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egg(57)

 
第三十一章
 
「てっ……哲治なのか!?」
高藤隆治は真っ青になって叫んだ。分厚く塗られたマスカラや真っ赤な口紅に目を奪われてしまっていたが、たしかによく見ると、目の前にいる女は十二年前に家出した息子の哲治だった。
「だがっ! なぜ女の格好なんて! それに、そっ……それはっ!!」
と、隆治は哲治のはちきれんばかりの巨乳を指さした。
哲治がラメ入りの黒いマニキュアを塗った長い爪で自分の豊かな乳房を指し、ハスキーな女性らしい声で答えた。
「これ? シリコンを入れたのよ」
「しっ、しっ、シリコンだとお!」
息子の変貌ぶりについていけず、言葉が出てこなくなって口をぱくぱくとさせる隆治を見て、哲治が説明する。
「あのねえ。あたし、タイで性転換手術を受けたの。取るもの取って、もう男性じゃないんだから」
そういって自分の下腹の辺りをぽんぽんと叩いた。隆治が目をひん剥いてスカートを凝視する。そして突然怒り出した。
「哲治! お、お前! せっかく産んでもらった体にメスを入れて、おかまになったっていうのか! お母さんに申し訳ないと思わないのか、この親不孝者めがっ!」
小首をかしげて哲治が不思議そうな顔をする。その様子も妻の恵美そっくりだ。哲治が言う。
「違う違う。あたしはおかまじゃなくって、ニューハーフ! それに哲治って名前も今は使ってないの。『デイジー』って呼んでくれない?」
「にゅ、ニュー……なんだ? それに『デイジー』だと!? 一体何をわけのわからんことを! お前は、お前は哲治だろうがあっ!」
引きつけでも起こしそうな勢いで、泡を吹きながら叫ぶ隆治を見て、いちが間に割って入った。
「まあまあ、今日哲治が来たのは由美に会うためなのよお。お前と恵美さんは、私と一緒にファミレスでお茶でも飲みましょうかねえ」
我に返った隆治がいちに喰ってかかった。
「は? 『これ』を由美に会わせるっていうのか? バカなことを! 由美だってどうせ話すワケない!」
途端にいちが厳しい表情になる。静かな迫力を醸して、いちが隆治をにらんだ。
「息子を『これ』扱いするとは何事だね! 由美がお前の話に聞く耳持たないのも、そういうお前の態度が原因だと思ったことはないのかい!」
ぴしゃりとやりこめられて、隆治の肩がうなだれた。
「……だけど、おふくろ、この状態はあんまりだ。びっくりしすぎて、僕はどうしたら……」
 
門の向こうからプップッと車のクラクションが聞こえてきた。運転席にはさっきまで隆治をなだめていた直樹が座っている。
「車持ってきたので、行きましょうかあ?」
と助手席から降りてきた唐沢がいちに言った。
いちはにっこり笑って頷くと、隆治に言った。
「さあさあ、哲治に会うかどうかは由美が決めることよお。恵美さんを連れていらっしゃいな。気分転換の時間よ!」
夢遊病のようになった隆治は、ちらりと哲治を見ると、そのままキッチンに向かい、泣きすぎて目が腫れあがっている恵美を連れて戻ってきた。
タオルで目を押さえた恵美が哲治の脇に来た。恵美は哲治の姿を見て、ぎょっとしたように一瞬立ち止まったが、隆治に背中を押され、そのまま車の後部座席に乗り込んだ。
唐沢が哲治と太一に話しかける。
「じゃあ、俺と直樹はファミレスに行ってくるよお」
「ああ、頼んだ」
と太一がにやっと笑って唐沢の肩をぽんと叩いた。唐沢がにやりと笑い返す。そしていちに話しかけた。
「あのう、哲治のおばあちゃん? そろそろお昼ごはんの時間なんだけど、ファミレスで何か食べてもいいっすかあ? 俺腹減っちゃって」
言いながらおなかがぐうと大きな音を立てる。
いちはほっほっほっと笑って唐沢に言った。
「もちろんよお。こんなことに付き合わせているんだから、おなかいっぱい食べてちょうだいねえ」
「あざっす!」
いきおいよく礼をする唐沢を見て哲治も笑って言った。
「現役野球選手は、この年になっても代謝がいいね!」
「2軍だけどなあ!」
とおなかをさすりながら唐沢が笑顔で応える。そして唐沢といちは、哲治と太一を残して車に向かった。
 
車が走り去り、哲治と太一は玄関に入った。
「さて……」
ハイヒールを脱いで、哲治が上がりかまちですくっと立ち上がった。
「行ってくる」
太一が哲治を優しく抱きしめた。
「行ってこい」
こくりと頷いて、哲治は2階に続く階段を一歩一歩踏みしめるように上り始めた。
太一は玄関で腰を下ろすと、パンツのポケットからマルボロを取り出し、ZIPPOでシュボッと火をつけた。
 

 

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