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egg(52)

 
第二十六章
 
2か月ぶりに自宅に戻った高藤隆治は、真っ青な顔をした妻の恵美にしがみつかれた。
「ああ、よかった! あなたが帰ってきてくれて!」
「由美はどうなった?」
「それが……部屋に閉じこもったまま、もう3日になるの……」
クリスマスイブだからと買ってきた、3人分のケーキを恵美に手渡した隆治は、コートを脱ぐと、早速2階に上がり、娘の由美の部屋のドアをノックした。
「由美、お父さんだ。クリスマスケーキを買ってきたよ。一緒に食べないか?」
しかし部屋からは物音ひとつ聞こえない。隆治はドアノブを握り、ドアを押し開けようとしたが、板が何枚も打ち付けられているらしく、ドアは1ミリも動かなかった。
2階から降りてきた隆治に恵美が尋ねた。
「どう? あの子、返事をした?」
「いや、何も……。なあ、中で倒れていたりしてないんだろうな?」
「時々、物音がするから大丈夫だとは思うんだけど……ご飯も食べてないし、トイレに行った様子もないから、体が心配で。それに、そもそもあの子が何を考えているのかが理解できなくて、すごく不安なのよ。ねえ、ドアを壊してでも中に入った方がよくないかしら?」
「そうだな」
頷いて隆治はガレージの物置に向かった。バールかのこぎりがあったはず、と思って棚を探したが、大工道具が丸々無くなっている。
「おい、ここにあった大工道具はどこにいったんだ?」
声をかけると、はっとして恵美が答えた。
「ひょっとして由美じゃない?」
「閉じこもるために、工具を全部持っていったってことか……」
隆治は頭を抱えた。自分が想像していた以上に、由美の状況は厄介そうだ。
そこに電話がかかってきた。恵美が
「お母さんだわ」
と呟いて、玄関に向かった。由美が閉じこもって3日間、不安になった恵美は実母の鈴木正子と実兄の妻である麻子、義母の高藤いちと義妹の弘子とに電話で相談していたらしい。実の家族だけならともかく、僕の家族にまで連絡をするなんて、と隆治は少し恨みに思ったが、この異常事態を一人で抱えるのは無理だっただろうな、とも思い、一日でも早く戻ってこられなかった自分を呪いたいような気持ちになった。
 
30分後、電話が終わってリビングに戻ってきた恵美に、隆治は事情を聞いた。
「それで、由美はどうして閉じこもっているんだ?」
「何度も言ったと思うけど、理由がわからないのよ」
と、疲れ果てた様子で恵美が答えた。
「だって特に何の兆候もなかったから。あなたの資金繰りがおかしくなったあとも、あの子はバイトを増やして、嫌な顔一つせずに協力してくれたくらいだもの……。
でもそうね、しいて言えば、由美の貯金を手切れ金として使うことになったときに、ショックを受けていたと思うけど……」
「つまり僕のせいってわけか」
今日こそ由美にお礼を言って、これからのことをきちんと話したいと思っていたのだが、と隆治は残念な気持ちになった。
恵美が続ける。
「でも、最後にはあの子も納得してくれたのよ。だからお金の話が原因なのか、私には確信が持てないわ」
ふうっと二人そろってため息をついた。リビングに重苦しい沈黙が広がる。
圧迫感のある静けさに耐えられなくなった隆治が、ちょっと口角を上げて恵美に言った。
「なあ、せっかく買ってきたんだ。ケーキを食べちゃわないか?」
「そうね!」
恵美も取り繕ったような笑顔で応える。
「3ピースあるから、1つは由美に残しておくわ。あなたはどれがいいの?」
「お前が食べたいのを選ぶといいよ。僕はどれでもいいんだ」
「じゃあ、私はモンブランにするわ。由美はイチゴのショートケーキが好きだから、あなたはフルーツタルトでいい?」
 
ドリップしたコーヒーとケーキで夫婦は久々に食卓を共にした。本来なら安らげるはずの時間だったが、2階に立てこもる娘の存在が、二人の心を重苦しく押しつぶした。
 
「明日、ホームセンターでバールを買ってくるよ」
と隆治は恵美に話した。
「由美がどう思っているにせよ、明日になったら4日も閉じこもっていることになるだろ? さすがに心配だから、朝からドアを壊そうと思うんだ」
「そうね! そうしましょう!」
と恵美が涙ぐんで嬉しそうに言った。
 

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