見出し画像

egg(47)

 
第二十一章
 
「おかえり」
わたしこと高藤由美は袖で涙を拭うと、慌ててソファに座りなおした。
「ただいま。はー、今日も疲れたわ」
化粧と香水の匂いを漂わせて、お母さんが帰ってきた。
「今日は何を買ってきたの?」
わたしはげんなりして、お母さんの両腕にかかっている重たそうなスーパーの袋を見た。
「これ全部りんごよ」
と言って、お母さんが袋の中から赤くてつやつやしたりんごを次から次へと取り出した。わたしはびっくりして聞く。
「量多すぎじゃない? 何個あるの?」
「うーんと、ちょうど20個ね」
「ちょっと待って! なんでそんなにたくさん買ったの?」
お母さんが嬉しそうな笑顔で答える。
「ダイエットのためよ!」
バブル期に買ったシャネルのハンドバックから出てきたのは、今大流行している「リンゴダイエット」の本だった。受け取ったわたしは表紙をしげしげと眺めた。
「『三日間リンゴ食べ放題で、3キロやせて美肌になる』? これって本当なの?」
「本当らしいのよ! テレビでも紹介されていたんだもの。効果を試してみたいじゃない?」
ルンルン気分のお母さんはさらに言った。
「今日から3日間、私はリンゴしか食べないから、お前は何か適当に食べてちょうだいね」
「え!? リンゴだけ?」
「当り前よ。ダイエットするんだから」
言いながらキッチンの流しでリンゴを洗ってむき始めたお母さんの後ろ姿を見て、わたしは大丈夫なのかな? と疑わしく思った。
だって気がつけば、お母さんはいつもダイエットをしている。わたしが思い出せるだけでも、紅茶きのこダイエットに、こんにゃくダイエット、ハトムギダイエット、あと、かえって太っちゃいそうな、ゆで卵ダイエットなんてのもあった。
最近は、「まずーい、もう一杯!」というCMで一気に全国区になった、死ぬほどまずい「青汁」を、ダイエットのために1年以上飲み続けていたっけ。
でも全然痩せたようには見えないし、むしろ貫禄が増しているんだよね。お母さんにはゼッタイ言えないけど……。
 
こんな風にテレビから最先端のダイエット法や健康情報を仕入れて実践するのは、なにもうちのお母さんに限った話じゃない。主婦の間では今や『ジョーシキ』的な行動なんだもの。
だからテレビが「きなこで痩せる!」と言えば、スーパーの棚から一瞬できなこが消え失せるし、「ドクダミ茶がいい!」と言えば、聞いたことがない名前の通販会社で、ありがたそうな効能付きのドクダミ茶が数万円で売られることもある。
でもさ、テレビが新しいダイエット法を流行らせるたびに、次々と乗り換えてしまうのは、テレビが流す情報に効果がないことを証明していると思うんだけど……。
一度、お母さんにそう言ってみたら、
「たまたま私に合わなかっただけで、やせた人もたくさんいるのよ!」
と、芸能人の名前を次から次へと上げて、わたしの言うことを全否定してきた。
 
そんなお母さんを見ていると、
「みんながやっていることが絶対に正しいんだから、私だけ乗り遅れるわけにはいかない!」
という強烈な思い込みを感じる。このやり方でずっと成功していたってことなんだろうな。わたしだって大学受験で失敗して、みんなの流れに乗れなくなるまでは、同じような気持ちだったけど、いつまでも輪っかの中を走り続けるハムスターのようでいいのかどうか、もはやわたしにはよくわからなくなっている。 
 
そして、そんなこと以上に一番困るのは、「健康になるから」という理由で、わたしにもこの手の健康食品やサプリをどんどん進めてくるところだ。しかもお金はお母さんとわたしではんぶんこ。借金があるのに、なんでここにお金をつぎ込むのか、わたしにはさっぱり理解できない。一度、1万円以上するアメリカのサプリを買おうと誘われたけど、本当にお金がないから断ったら、へそを曲げられてしまった。
「いいわよ! お前に健康になってほしかっただけなのに! そんなにお金お金ってうるさく言うなら、もっと安い方法にするわよ!」
 
それで最近のお母さんは、スーパーで若さと健康を買おうとしている。今回はリンゴだし、3日間だけだって言うし、わたしは巻き込まれていない。コンビニバイト中にお弁当を買えばいいのだ。
大皿の上で山盛りになっているリンゴを見ながら、
「バイトに行ってきます」
と言って、わたしは外に出た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?