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ギリ健を抱いて生きる

 私はいわゆる「ギリ健」である。誰にも話したことはない。ギリ健というのは、「ギリギリ健常」という意味でネットスラングのひとつだ。

 生まれたときから眼も耳も脚も心臓も肺も悪かった。染色体異常もある。でもこれら全部、生まれた時から、もしくは子供のころからなのでたぶん周りが思うより私は楽観的に生きている。これが物心ついてからとかなら、ほんのちょっとくらいは悲劇のヒロインぶったりもしたかもしれない。

 まあ身体的なことはどうでもよくって(機会があれば何か書くかもしれないが)それよりもヤバいのは精神面だ。精神面と言っても断じてメンヘラではない。メンタルはだいたい安定していて、落ち込むことがあってもお布団やごはんがあれば大抵の事はまあいっか!になる。

 ではなにか。

『不潔』である。子供のころから、歯を磨く、髪を洗う、身体を洗う、洗濯を出すが苦手だった。洗面所の蛇口から流れ落ちる水で手を洗う事、手を濡らす事がもう無理だった。かろうじて口をゆすぐくらいはできたので、それで凌いだ。当然歯は黄色い。

 髪の毛は4日に一度しか洗わなかった。身体はもっと少ない。風呂だけは毎日入ってシャワーを浴びて湯船につかる。湯で柔らかくなった肌を爪でひっかけばこんもりと垢が積もった。きたねえな、と風呂のタイルに落として流す。

 さすがにやばいな、と思ったのは中学生くらいからだった。子供の残酷で素直な指摘がいじめへと変わっていく頃だ。当然のように私もいじめられた。避けられるのはあまりにも不潔だったので仕方がないが、中学の日々のいじめは大人になってからも関係した全員をフルネームで覚えており、宅配ピザを100枚奴らの家へ注文する妄想でやりすごす夜が幾度もあった。

 やばいな、と思ってからも私は不潔だった。髪の毛はかろうじて3日に1回、夏場は2日に1回洗うようになった。全く洗っていなかった顔は洗髪時に一緒に洗うようになった。身体もその時洗う。髪の毛さえ洗えば、顔や体はワンセットで洗うことができると気が付いたのだ。

 ところが歯だけはだめだった。ワンセットの中に組み込めない。どうにか高校の頃には一カ月に一回程度は磨けるようになったが、15年禄に磨かれなかった歯は黄色くぬるぬるしていたし、歯石も目に見えている。

 それでも漠然とやばいなとは思っているものの、たいていの事はまあいいかでやり過ごす。他の人と自分が違うことにうすうす気が付いていても、それが何かは分からない。勉強はもちろん大抵の事は人よりできない。みんなが当たり前に(当時の私はみんな当たり前にしていると思っていた。中には相当頑張ってやりすごしてた人もいたのではと今では思う)が日頃のルーチンとして行っている事すらも私にはできない。

『発達障害』という言葉を知ったのは随分と大人になってからだった。テレビで紹介されていたその女性は、洗面台の蛇口から流れる水で顔を洗う事ができなかった。コンパスを使って、円を描く事ができなかった。物を片付ける事もできない(わからない)、料理での”少々”が分からなかった。

 洗面台の水で顔を洗うことができない、コンパスを使って上手く円を描く事が出来ない、物の片付けかたがわからない。料理の加減以外ほとんどすべて当てはまった。

 そうか、わたし、病気なのか。病気なら仕方ない、私は病気をたくさん持っていて、数だけで言えばプロみたいなもんだ。簡単に受け入れて簡単に諦めた。病気所以でできない事は昔から沢山あった。それでも私の腕は自由に動くし指も動く。できるときにできる幸せがあるのだから、できないときは無理しないでできる時にやろうと思った。

 時は流れて私は三十路を超えた。漸くにして夏場は毎日髪を洗えるようになった。冬場は2日に1回。身体と顔を洗う頻度は髪を洗う時なのは変わっていない。化粧は帰宅してからふき取りではぎ取っている。

 歯は仕事で会議がある日や出かける日に磨くようになった。相当気持ちを奮い立たせてこれが精いっぱいだった。電動歯ブラシがなかったら、もっとできない日が多かったと思う。

 今でも私の歯は黄色い。友人の真っ白な歯が羨ましくて、どうにかならないかと電動歯ブラシを買ってみた(2,000円くらいのもの)ところめちゃくちゃ楽でさらにツルツルになった。これまでのぬるっとした明らかに汚い感触から一気に改善されたのだ。

 それでも数十年きちんとまともに磨かれていなかった歯の黄ばみは改善されなかった。八重歯は特に酷かった。なんなら黄ばみがムラになってる気すらする。

 ある日ふと思い立った。コロナ禍の今、マスクをしているがいずれこれを取る日がくる。そうすると「うわ、こいつの歯こんな黄色いんだ」と改めて思われる日が来るのではないかと。

 逆を言えば、この二年ほどで私の歯の黄色さや汚さに気付いていた人も少し忘れてるんじゃない?と思ったのだ。歯医者のホワイトニングの値段を調べてすぐにやめた。人より様々な事が劣っている自分がなんとか仕事にありつけてはいてもこんな金額払えるわけがない。私は金銭管理に関しても相当に人より劣っている。

 選んだのはホワイトニング効果があるという歯磨き粉だった。歯磨きが苦痛でしかないのに、思い立った時は動けるのだ。限りなく子供の心理に近いのではないかと思う。そうして手に入れたひとつ千円を超す歯磨き粉は、たった数分で私の世界を変えた。

 あまりにも汚かったからか、歯垢は見えているものはだいたい一回で落ちた。八重歯のどうしようもねえなとなっていた所以外、ムラがほぼなくなり真っ白とも白ともまだまだ言えないが、明らかに黄ばみは薄くなっていた。つやつやと輝いて、正直こんな自分の歯を初めて見た。衝撃すぎて、もう一度すぐに磨いて鏡をのぞく。今まで見えなかった口内の歯が見える。三回目を磨いた。高校の頃の三か月分だ。八重歯の黄ばみのムラが薄くなっている。なにこれ、すごい。

 何度も鏡の前で角度を変えて口内を覗き見る。にんげんだ。わたし、にんげんなんだわ。忘れていた、考えないようにしていたけど、にんげんだったのだ。

 この衝撃から一カ月。まだ歯は毎日磨けないけど、週に3回は磨けるようになった。三十路を超えて、それでも私にできる事は少ない。毎朝顔を洗えない。洗濯をするのが嫌で何日も洗ってない服や靴下を着まわす(下着だけは替える)。部屋の片づけ方は未だにわからない。にんげんだった事を思い出しても、私の思い描くにんげんの生活はまだ遠い。

 物理的にも精神的にもできない事が人より多い。相手の意図するコミュニケーションを汲み取る事も得意ではない。私がギリ健である事は誰にも言っていないけど、私の周りの人はとっくに気付いているだろうと思う。

 でも歯磨き粉ひとつでわたしが私をにんげんである事を思い出せた。

 コンパスで円は描けないけど、それなりに楽しく生きている。

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