のらべりV寄稿作品「ある冬の窓べりにて」 #N_V_Q #NVQ5感想

「赤」
「シルバー、水色、黄色」
「……また赤」

 真っ白に覆われた街はずれ。夕暮れに染まる安い貸しアパートの立ち並ぶあたりを、家路を急ぐ自動車がまばらに通り過ぎていく。昼間まで降り続いた雪はすっかり道路を覆い隠し、走る車が雪のかけらを舞い上がらせている。そのひとつが風に乗って辿り着いた道路沿いの二階、風が吹けばカタカタと音を立てる窓の向こう。少女型アンドロイドが猫耳のような機械部品を銀の髪から覗かせ、眼下を横切る車の色をぽつりぽつりと呟いていた。物憂げな青い目で雪景色を眺める彼女の頭上では、この空間唯一の暖房機能を持つ空調設備が静かに眠っていた。
「まあ、居候アンドロイドには寒かろうと文句はないんですけどね」
少女は窓に凭れかかると右頬をガラスに預け、ほう、と息を吹きかける。乾いた排気熱はガラスを曇らせることなく、鼻先にかかった毛束を少し揺らしてうす暗い部屋の空気に溶けて行った。

 ぷつん。
 乾いた音を立てて天井の照明が切れたのが一時間前。呆気にとられた一人と一機、部屋の主たるご主人と私はただポカンとそれを見つめるだけだった。他の電子機器も切れていると気付き、ご主人から冷や汗が吹き出したのは五秒後のこと。
「……電気料金の督促、届いてましたよね?」
私の問いに、ご主人はわたわたと手を動かしながら答える。
「あ、あのですね、引っ越し後の色々があって忙しかったというか、過去のことを忘れてしまうのも人間の人間たる証明でございまして……」
詰め寄る私にいくつかの歯切れの悪い弁明を繰り返したが、勝機がないと見るや、身支度もとりあえず憐れな人間さまは部屋を飛び出した。
「行ってきまーーーーす!!!!」
「はい、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
玄関ドアから顔だけ覗かせ、片手をひらひらお見送り。小さくなる背中が角に消えたのを見届けてから部屋の中に向き直る。視界には床面積の大部分を埋めようとしている(ご主人は「お宝」と呼ぶ)ジャンク部品たち、そして移り住んで数ヶ月経つというのに、未だ荷ほどき途中の段ボール箱。実に味気ない景色が広がっていた。

 ――ヒマ、だな。私以外には音を立てるものも動くものもない部屋。あ、天井裏を忙しそうに走っていたねずみさんが一匹いたけれど、気まぐれに捕まえて弄んでいたらチュウと鳴いて昇天してしまった。儚い。他に変化があるとすれば、窓の外から時折差し込む車の前照灯の明かりくらい。白い壁を滑るそれを目で追ってみても、ほんの一瞬で天井の角に消えてしまう。はじめのうちはなんとなく覚えていた行き過ぎる車の台数も、すっかり朧気になってしまっていた。さて、一時間ヒマをヒマのままに過ごしてみたが、退屈だ。退屈になるとあれこれと思いを巡らせ、答えの得られないことも考えてしまう。あの人は今どの辺りだろう。慌てていたものだから、滑って転んでやしないか。市街地の方を見やるとビル群の隙間に夕陽が沈もうとしていた。

「イームラ イムラ イームラ傭兵!イームラ イムラ 高火力?!」
ぽけぽけしていた私の耳に、バカみたいな爆音が飛び込む。我に返って覗いた窓の外ではイムラのトラックがゆっくりとこちらへ走って来るのが見えた。窓から入る街灯の明かりが、暗い部屋の隅に積まれた段ボール箱を照らし出し、不器用に開かれた蓋の影が壁に染み付いていた。
「過去を忘れるのも人間の人間たる、ですか」
ふとバカ主人の言葉を思い出す。忘れた、と言いながらあの狼狽っぷり。やっぱり覚えてるんじゃないですか。自分の記憶領域に残った映像を見返すと、初めは何事か分からず宙を見つめていた目が段々と泳ぎ始めるものでひとりで少し笑ってしまった。
「忘れてしまえればこそ、かも知れませんね」
先の映像よりさらに奥深くに残された、かつて私たちが戦地に立った頃の記録たち。消えることのない、痛ましくも輝かしい記憶。窓辺に腰掛けてすっかり冷え切った足先を見つめていると、天井の照明灯がパッと明るさを取り戻した。どうやらバカ主人が無事にミッションを完遂したよう。良かったですね、呼称をご主人に戻してさしあげます。さて、電気が復旧したのなら、凍えて帰ってくるであろうご主人のために暖房を点けて、と。そうだ、お風呂も沸かしておきましょうか。

「ふう……極楽、ではなく良いお湯加減ですねこれは」
お湯はりボタンを押してしばらく待つと、完了を知らせる陽気なメロディーが部屋に響いた。せっかく沸かしたお湯なので、適温に保つためにこうして全身でチェックしています。ぬくぬくの誘惑に負けたのではありません、決して。それよりも、ご主人が一向に帰って来ないのはいったいどこをほっつき歩いているのやら。大方ジャンク屋にでも寄り道しているんだろう。外から耳慣れた歩調で階段を登る音と「へっくしゅん」という声を聴覚センサーが捉えた。……噂をすればなんとやら。お戻りのようだ。浴室を出て簡単に全身の水気をとってから、上体に巻き付けた大判のタオルを胸の上で折り返す。もうちょっとだけ遅くてもよかったのに、などとぼやいてみるとアパートの外廊下からまたくしゃみが聞こえた。スリッパをパタパタ鳴らして玄関へ駆ける。ドアを開けると冬の空気と一緒に飛び込んできたのは、頬と鼻先を赤くしたご主人の面食らった顔。
「おふろ、沸いてますよ」
「いや、そんなことより……なんて格好してるのよ……」
真っ赤な顔が、一層赤くなった。なんだか分からないが、ちょっぴり勝った気分。
「外は冷えたでしょう。どうぞ中へお入りに……ひっくしゅ」
おや。沈黙数秒。
「……勝手にほかほかにあったまった上に外気で冷やされたら、そりゃなんか起きるでしょうよ……結露とか」
と、呆れた様子。
「……知ってましたとも。私はこうせいのうなので。」
見えすいた嘘で私が誤魔化そうとした瞬間、ご主人のお腹がぐうと鳴った。呆れ顔が綻び、はにかんだ笑顔に変わる。
「晩御飯さ、出来合いだけど……帰りに買ってきたから、ちょっとだけ待てる?」
そう言いながら片手に提げた買いもの袋をひょいと持ち上げるご主人。
「ええ、待ちます、待ちますとも」
私が二度頷いて答える。ご主人はニッと笑うと靴をぽいぽいと玄関に脱ぎ散らかして部屋の中へ。荷物を置きながらあったかーい、おうち最高などと叫んでいる。さっきまで静かだった部屋が、急に大騒ぎ。
「ひとりは退屈ですが、ふたりだと退屈しませんね」
後ろ手に玄関扉を閉めて、そういえば、とぽそりとつぶやく。
「おかえりなさい」
部屋の奥からまたひとつ、大きなくしゃみが聞こえた。

(終)


ますきゃのいる生活シリーズ。
冬(のらべり3)、夏(のらべり4)と来ましたがまた冬です。
のらべりでしか文章書かないから毎回困ってますが、でも無いよりは出てきた方がいいじゃんの気持ちであれこれ思案してます。
書いた後で思ったけど、くしゃみの回数の意味って結構地域差あるよね。
でもまああんまり変わらん部分もあるからいいでしょ。


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