見出し画像

『聴くことから始まるダンス』遊行編vol.1 即興ダンスフィールドワークLOG :

京都芸術大学舞台芸術研究センター舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点 2024年度 研究リサーチプロジェクト
「聴くことから始まるダンス」~耳を澄まして悲喜交々に巡る、高解像度なドタバタ[High-resolution Slapstick] 
研究代表 垣尾優(大阪市在住 ダンサー)のフィールドワークLOGです。
https://k-pac.org/openlab/12419/

これは、「聴く」「リアクション」をキーワードに、なぜか気になる場所や、なぜか気に入った場所を、記憶を思い出すように踊り巡る即興ダンスのフィールドワークです。また、道中、出会った人にもそんな場所を尋ね、それらを手がかりに、次へ辿るように歩き巡ります。
フィールドワーク同行者も募集しています。年齢性別ダンス経験不問。
問い合わせなど kakioproject@gmail.com


1. 「ほうろくを かぶって行や 春の雨」:小林一茶の句 補足 ほうろく/素焼きの土鍋

2024年 4月末日 大阪は夕方から雨が降った。
傘もなく追い立てられるようにたどり着いた高架下で雨を凌ぐ。
ここはフレンチブルドッグのマリモのお気に入りの散歩コースだそうだ。
人間の清水さんが、開けた野原に向かってボールを投げる、激しくなる雨も何のその、マリモは嬉々として走り、ボールを追いかけ咥え、全身を振るわせ水飛沫を上げながら猛烈な勢いで清水さんに戻しにくる。清水さんは、がっちり噛み掴んでいるマリモの口から、ボールをぶんどるようになんとか取り上げて、涎まみれになったそのボールをまた投げる、マリモは大喜びでまた走る。雨の中、それをなん度も繰り返す。
一休み。雨降らば降れ、風吹かば吹け、我々は涎まみれで繰り返す。

ダンスメモ:
雨が降ると、大体のことは成立するんです、それだけで。何にもしなくてもいいんだけど、現に清水さん、マリモと何も喋らず1時間くらいは雨宿りしてましたけど、まあ良い時間で。雨宿りの思い出は素敵な思い出が多いです。でも、だから、踊ってみようと思いました。カメラを持ってることとか研究成果のこととかもあるし、自分がどう動くか知りたいんですね。で、最初にやっぱり指が動きました。雨との親和性というかとても弱くからクレッシェンドそんな気分にぴったしだったのでしょう。自然にバランスが崩れるのを待って、全部がずっと動いているから、そこに乗っかるようする。でも、雨は完璧だから。必要性とか無駄とかではなく態度ということをよく考えます。ただ音、ただ濡れている。合わせよう、理解しよう、そこからではなく、すでにぴったし合っていると、すでに語りかけられてるんだからまず聴いてみようとそんな態度から始まることもあるんじゃないかな。熱い想いと投げやりさの加減が、難しいし、恐ろしいけど信じてみよう。

2.「彫三島 銘 源八」:補足 彫三島/陶器茶碗の形態、模様のひとつ

ボールは低い方に転がる。マリモのお気に入りのボールは、投げる清水さんの思惑を外れ変則的に地面を跳ね転がり、少し高台になった草の広場から、源八橋の下、低い河原の方に転がり落ちていった。 踊り終わり、ふと見ると、大きな鮒が水の中から河原に上がり横たわっていた。

ダンスメモ
足場が悪い所は、そそられるんです。足裏の感覚は、快楽的で、それが導いてくれます。だから、薄い靴底が好きです。こういう水のある場所に任せていると、少し水の方にひっぱられる力を感じます、だからじっと見てると怖い時がある。だから、あえて水を見たりする。腕を動かしたのは、なんでかなあ、景色がピシッと決まるような瞬間があって、光の加減か、そんな時自分もストップしたい、何かポーズすることで成立する瞬間が、ちょいちょいありました。河原の石は不安定なので、安定した時のアクセントが強かったのかも。鳥が、呑気に鳴いていたのも、もうちょい力ぬけよ大丈夫だよといった感じでハッとしました。しかし、水の波紋というのはなんでこんな整然と面白いんだろう、波紋の仕組み、リアクションという態度。

3.「ゲル状の体をゾル状にして前へ伸び出して前進します。」:出典 『考える粘菌』 中垣俊之 著 

朱と水色のコントラストに足が止まった。すぐ隣にあるデイケア施設の職員だろうか、この場所を掃除している男性がいる。「ここで踊って良いでしょうか?」そう私が尋ねると、掃除の手を止めないまま男性が答える。 「この壁も土地も私のもんではないですから、好きなように踊って、写真撮ったりしたら宜し。ただ、私は、映りませんっ。」 −私は、映りませんっ、思いがけずそこだけ強い口調だったからだろうか、”私は、映らない”、この、謎を投げかけられたような言葉に軽い衝撃を受け身体は宙にぶらりんとなった。頭の中で、この言葉が点滅するようにリフレインする。 私はグラフィティアートが描いてある壁をしばらく見つめて。読んだ。 K、0、ポップ、21、ミュン、チュオー、シュウパ、チチ、チチ、右手の甲に不意に不穏な感触、 やっぱり蚊や、もう出てきよったんや!瞬間、身体をぶるわせ、両手をゴマをするお猿さんのような形のままピシピシ打ち合わせ、私は逃げるように元来た道へ戻った。

ダンスメモ :
掃除する男性の動きが印象的でした。毎日毎日掃除してることは、すぐにわかりました。眼差しも違った。掃除することは、心を掃除することであるというが、多分彼の儀式というか大切な時間なのかなあ、邪魔かなあと何回も声をかけあぐねました、そんな私の感覚は当たってたんじゃないかな。こういうこと、こういうこともダンスと思うのです。

4. 「モダンタイムス」:補足 1936年のアメリカ映画。監督チャールズ・チャップリン

男は、壁に向かい一心にラケットを振っていた。
「一緒に踊りませんか」と声をかけた私に全身を白でコーディネートしたこの男性は応じ、ダンスセッションが始まる。二人でのドタバタダンスセッションも佳境に入る中、男性は用意してあったもう一つのラケットとリストバンドをおもむろに鞄から取り出し、君のラケットだろ?と言わんばかりに私に、ぐいと手渡した、リストバンドもはめてみろ、カッコいいぞと促し、構えはこうだ、そらっ、打ち返してみろ、と、あれよあれよと気がつけば、関係は上下に分かれ、男性は私の専属テニスコーチに、私は初心者の練習生となり、セッションではなくレッスンが始まった。基本の構え、フォア、バック、スマッシュ、ボールをよく見てラケットの真ん中に当てる、顔は上げるな!ボール見てへんからや!そうやない、こうや!!ソフトやソフト!コーチはますますエネルギッシュにだんだん厳しくなってゆく。
ほとんどの土地は、特定の誰かのものである。ランニングする人、少年サッカーの子供達、ヨット部員、彼らに追われるように、私達は練習場所を細かく転々と移動しながら1時間ラケットを振った。
「コーチ、すみません、そろそろ帰ります、次、ラストで、次で絶対帰りますんで。ありがとうございました。」私はお礼を言っておいとますることにして帰り際、男性に名前を尋ねると、ここに毎日いるから、との返答。この辺りは彼のお気に入りの場所でテニスの練習に毎日来るという。
見知らぬ人の突然の厳しいレッスンを終え、放心して帰途につく私の背中に、男性が叫ぶ。「でも、雨の日はおらへんで!」

ダンスメモ:
蹴りを入れられるような、はちゃめちゃな展開、時間、そして色々考えさせられました。いいダンスレッスン。帰り道、思わずニヤニヤしてしまった。あの男性は、やり手の経営者だったのではないかな。

5.「ペランの実験」:補足 ジャン・ペランによるブラウン運動に関する実験

コーチには申し訳ないが、今日は疲れていた。コーチのいる場所とは反対の対岸へ向かいベンチで踊る。
隣のベンチには、お母さんと小学生の男の子が座っている。仲が良い様子に、疲れも取れてしまったので、話しかけてみた。
即興ダンス?!すげー、と男の子。気分を良くした私は、さらに二人に尋ねた。「この辺りでお気に入りの場所や、気になる場所はありますか?そこで踊りたいのです。」お母さんはしばらく考えたあと、「そうそう、ここから見えるかな?あっち、少し先へ行ったら多分見えるかな、黒っぽい建物、そこの陶芸教室、あそこよかったわ、ねえ?」男の子も、うんうんとうなづく。陶芸教室 PLAGE へ向かう。

ダンスメモ
季節もあるんでしょう、風が吹いて、風の中にいて、自分は空っぽなのに虚しさはない。草が急に賑やかに楽しげに見えて名前を尋ねたくなるような面白い気持ち。外で踊ることは、様々な方向と踊ることとも感じます。空間によっては、方向という直線的なものが同心円のようなもの、球体のようなものにもなります。イメージで踊らないようにしてるのは、遅れるからです。でもイメージと同時、ぴったしなのは、むしろ憧れ。

6. 「弱いシグナルの重要性」:
出典『現代社会におけるイノベーションのための試行錯誤』 白肌 邦生 著

PLAGEが閉まっているのは知っていた。
ここを教えてくれた親切なお母さん(ニックネーム、ミヤさん)が事前にスマホで調べてくれたので今日は休みなのを知っていた。が、ショックだった。再度訪れることにして道路沿いを少し歩くと、建物の隙間に石でできたくだりの階段があった。上方のこちらの道路沿いの道は、車の交通量が多くなんとなく落ち着かないので、下方の人影まばらな住宅街の方へ降りることにした。段差の高さもまばらな崩れ掛けたような小さな階段を、山を下る要領で膝を抜き降りようとしたが、ショックを引きずっているのだろうか、膝は抜けきらずカクついた動きになってしまった。
降りたところで行くあてはないが、遠くの方に学校か病院のような大きな建物が見える。

ダンスメモ
記憶はどこに記憶されているのか?きっと頭だけではないし、そもそも何処というような場所ではないという。動機も目的もいろいろコロコロするはずだ。自分の知らない記憶を思い出し、今それを信じてみたいんです。ダンスは、思い出すことだと感じる時があります。たまには恥も外聞も言葉も目的も忘れて、聞いて、私も自然だと堂々として、いたい。

vol.2へ続く →

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?