『聴くことから始まるダンス』遊行編vol.6 即興ダンスフィールドワークLOG :
フィールドワーク同行者も募集しています。年齢性別ダンス経験不問。
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27.「落雷と倒立」
出典:なぜこれを書いたかわからない、私の忘れられた2020年のメモから。
ルートM /
大阪地下鉄 太子橋今市(たいしばしいまいち)駅。
この街のことも何も知らない。
日本のほとんどの駅には、改札を出るとすぐに、地図上に施設や飲食店などを記した、その街の案内板がある。ここにもあった。
地図上で、緑色に塗られたエリアは公園、赤字で病院、葬儀場、飲食店など、黒字で地名と学校、交番などが記されている。
地下鉄 太子橋今市駅の案内板には、緑も赤もごくまばらにしかない。黒字で書かれているのはほとんどが地名だ。
地図のほとんどがグレーに塗られた四角いエリアの集積である。
これは一般住宅を表している。そうか、ここはベットタウン。大阪市の北東の境、守口市(もりぐちし)との境界である。
とにかく行く宛はない、どうしようかと思っていると、
「今市パンダ集会所」という名前に目が止まった。
パンダ。なんで、まさか。こんなところに、パンダ。
黒字で書かれている、しかし例えば学校なら学校、幼稚園なら幼稚園と明記されているし、飲食店なら赤字のはず。一体なんの施設なんだろう。
実家の近くの神社の敷地内に、なぜか動物園のような大きな檻があって、ここにニホンザルがいたのだが、それを思い出し、まさかそんな風に本物のパンダ、まさか。しかし、世界は広い。
行ってみることにして、パンダ集会所への最寄りの3番出口へ向かう。
この駅は結構古いようで壁なども褪せていて、また、深い。(後で調べると、大阪の地下鉄で3番目に深い駅とのこと)
地下通路の空間に対しての光量がギリギリな蛍光灯が、床と壁を青白く照らしている。あちらこちらから、どこからともなく染み出した地下水が、そのまま壁面に沿って滴って、長い通路の薄暗い脇溝をさらさらと流れていた。
パンダ集会所は、書道教室だった。書道?白黒だから?
パンダへの飛躍がすごいよ。
ダンスメモ:
書道からパンダ、みたいな飛躍。飛躍がいいことばかりではないと思うが、この感覚は大事だ、これが人間。サルが二本足で立った時も、このような飛躍感や、突然自転車に乗れるようになった時のような、いきなり感があったのではないか。
踊っていても、突然、思いがけないものと繋がるときがある。
28.「この少年は、それ以来1日も忘れたことがない」
出典:『ラ・ジュテ』(1962)SF映画 監督/クリス・マルケル
ルートM/
街は、広く平坦だった。
川の流れが、そう流れているのに理由があるように、街並みにも理由がある。土地の特徴、人、街の歴史が、地名や建物や道路といった街並みを作っている。
歩いていて面白いのは、街の記憶を身体のスケール感で読み解くようなところだ。
身体のスケールや当たり前のような自然な感覚に合った、そんな気持ち良い場所もあるし、何かちょっとした違和感を感じる場所もある。
が、どちらにもやっぱり理由がある。(別にオカルト的なことを言っているわけではない。)
街並み、街の記憶は、ある種ダンスの振り付けのようになって歩きを促す。
太子橋今市周辺、京阪電車(京都と大阪を繋ぐ私鉄)守口駅周辺を2時間は歩いたと思う。
踊れなかった。
この街をなぜか何にもない砂漠のように感じてしまって、途方に暮れた。
踊ったりしたらすぐに蒸発しそうな気がして。(住人の方がいらっしゃったらすみません、この日はこう思ってしまいましたが、再度訪れました。次回に続きます。)
もう帰ろう。
私は目についたバス停で、時間がかかりそうだが自宅近くまで帰れるバスがあることを知り、道はずれにある自動販売機で隠れるように水を買ってから、バスに乗った。
私の降りる停留所にまもなく着くというまさにその時、まだバスが動いているのに降車しようと立ち上がったお婆さんがすぐ前方でよろめいた、
思わず、右手を伸ばし、お婆さんの左手の手首をしっかとつかむ、しかし、お婆さんは私に背中を向けたまま、そのまま前に歩こうとしたから、行かせまいと私は腰を低くした、ピンと張った片手同士でしっかり繋がった私たちは体育祭で行う、組体操のようにバスがきちんと止まるまで止まった。
ダンスメモ:
手首を掴んだ感触、触れたところから伝わったお婆さんの体重、存在感が何日も残りました。1ヶ月以上たった今でも感触を思い出せます。子供の頃、神社内になぜかあった檻にいた、ニホンザルと、木の枝を使ってタイマンでの綱引きをよくしました。猿は枝を掴んだ瞬間に、すごい力を出せます。
力自体も恐ろしく強いのですが、人間離れしていると感じるのは、力が発生する速さです。この、ガクンッと引っ張られた感触もいまだに思い出せます。
感触や記憶は、無意識の中で積み重なってゆき、ある日、ダンスとしても現れたりするのだろう。感触や記憶は、今の自分を作っている。
赤ちゃんや子供のうちに、存分に抱きしめてあげてください。
29.「INSIDE」
2016年発売のパズルプラットフォーマーアドベンチャゲーム
開発元/Playdead
ルートM/
ふたたび、太子橋今市駅に。
この辺りは、もともと低湿地帯で広大な蓮根畑だったという。
そしてさらに古代は、ここから東の生駒山地(いこまさんち/大阪京都奈良を隔てる山地)から広がっていた原生林であったそうだ。
近隣の地名に、千林、森小路、守口(元は森口)と森にまつわる地名が残っていることや、弥生式土器も出土していることから、かなり昔から人が居住していた地域だということがわかる。太子橋今市の”太子”はもちろん聖徳太子が由来である。
もう一度、パンダ集会所を確認するため3番出口を上がった。
出口上がってすぐの所に、最近ちょくちょく見かけるようになった、
生搾りオレンジジュース販売機があった。そこにいた親子に、この辺の気に入っている場所を尋ねた。しばらく考えたお母さんは、やっぱり商店街かな、祭りもあるんですよ。と。小学生の男の子は搾りたてジュースに夢中だ。
商店街へ向かった。前回とはうって変わり、人が沢山いる。
活気のある商店街、今市商店街や千林商店街などいくつかの商店街がつながっていて長い。古い店も新しい店も大型スーパーも個人商店も沢山あって、賑やかで、大きな通りでも横丁通りでも老若男女が行き交っているすごくいい商店街だった。
前回の砂漠的印象は、一体なんだったんだ、街を歩いてる人もほとんどいなかったのに。
この辺りの建物は一見実用的な印象だが、なにか見慣れない感じもする、
道路の構成も有機的無機的大小入り混じって複雑だ。
歩いていると、なんとも言えない不思議さを感じる時がある、それが気になって、上記した蓮根畑など、街の歴史などを調べたり思いを馳せたりした。
この辺りは戦国江戸時代では宿場町でもあったこと、太平洋戦争での空襲も受けていないため、戦前からの建物も残っているということ、そんなことも関係しているのか。
また、盆地で育ち、今、ビルの間で生活している私にとって、そもそも広い平地であることが不思議なのだろうか。
生活圏の規模も私の感覚より広い。
この日最終的にたどり着くことになる、ルートPaでも行った巨大な公園、鶴見緑地公園は、実はここから近いことがわかった。
この辺りで、ぼーっとしたり、ジョギングしたくなったら、
この巨大な公園に行けば良い、西側の大阪や東側の守口市で仕事をする、そして買い物はこの巨大で最高な商店街がある。
太子橋今市の案内板の地図が住宅地を示すグレーばかりなのを、改めて納得する。この街は眠る場所。そして、寝室がうちより広い。
とにかく、歩くほど、思った以上に味が出てくる街。
賑やかな商店街を抜けて、しばらく行くと小さな公園があった。
墓地を背にそれを守るようにあった静かな空間、清水小公園。
なぜかここが気に入って、踊った。
周りの道や住宅がこの公園を半円に囲むようにあって、さらにこの公園から、墓地と逆側にまっすぐな道が一本、かなり向こうまで伸びている。
パリなどにある宮殿は、はるか先の巨大な門まで道がまっすぐ続いているが、そんな、この街の全ての道は清水小公園に通ず、という感じで。
このまっすぐな道をずんずん歩いて、大きな道路を左に曲がり、
緑(みどり)1、緑2、緑3という変わった地名に、カウントされるように促されまたしばらく歩いたら、
ルートPaで行った鶴見緑地公園の北西口に着いていた。ここはシンガポールの学生Hadiと出会った場所だ。
Hadiはいなかったが、このルートMとルートPaは、ここで川が合流するように一つとなり、これからは、ルートPaMとなる。
vol.7へ続く→
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