轍
夏ももう終わりに差し掛かっていますね
今日は出校日なので朝から憂鬱でした
先日、祖母の家で暮らしていた猫が亡くなりました。
母親が高校生くらいの時から一緒にいて
約20年、人間に換算すると102歳で亡くなったと聞きました。
亡くなった経緯を聞いてみると
「老衰」
猫や犬と暮らしたことが無いのでわからないですが
人間ならすごいことだと思うんですね
今ではコロナで亡くなるということとか多いのかもしれませんが、日本人の4人に1人はがんで亡くなるというくらいなので、病気で亡くなるのは多いと思います。
それだけ、大事にされてきたのだなと
食生活は勿論の事、衛生面などを「その猫のためを想って」やらなければできないことだと思います。
その猫は、朝ご飯も、昼ご飯も普通に食べたそうです。いつも通りの生活をして、最後に僕の母の妹の隣で寝つき、その後動かなくなったそうです。
自分は今16歳、当然生まれた時からその子のことは知っていてよく見ていたし一緒に遊んだりもしてました。
もうあの子はいないのかと思うと、少しくるものはあります。
近しい親族が亡くなったことは幸いながらまだないので、親族じゃないながらも「亡くなる」ということはこういうことなのだなと思いました。
どこかで聞いたことある言葉ですが
「たとえ体が朽ちても、その者が生きた道は永遠に消えずに生き続ける」的なやつです
それが今回のタイトルの「轍」です。
「轍」の意味は調べてください、ていうか乃木坂が好きな人なら調べたことあるかもしれませんね。
最近になって漸く「歳月の轍」を聞きまして
生田絵梨花さんの声量に圧倒されているところですが、この夏は一番聞いたのは多分「絶望の一秒前」
です。
久しぶりに書いたのでオチもないですし読みにくいところもあるかもしれませんが、今日はこのあたりで
また書きます
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