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なまえ

マルチエンディング、という言葉があります。
今でも使われているんでしょうか。もう積極的にテレビゲーム(「テレビ」ゲーム!)の情報を摂取していないのですが、ゲームの進め方によって結果であるエンディングが違う、というのはもはや普通のことで殊更に取り上げられないものだろうと想像します。
昔のゲームは、全てのタスクをこなした後にやってくるエンディングはたったひとつであることが多かったので、フラグによって管理されて複数のエンディングがあることというのはとても画期的な概念だったんですよね。
ファミコン黎明期だと、そもそもエンディングという概念がなく、延々とレベルが上がっていくだけ、ということも多々ありました。

かきもちり、という筆名についてたまに由来をたずねられることがあります。
一応ちゃんと由来となるエピソードはあるのですが、非常に個人的かつ説明しにくいエピソードで、なおかつわたしにとっては大切なエピソードでありながらも、話してみるとそう大したエピソードでは無かったりします。

…「エピソード」って言いたかったんです。エビのソードみたいでいいですよね。🦐🗡️

かんわきゅうだい。
なので、わたしの筆名については、MOS(マルチオリジンシステム)方式を取っています。
下記の由来から好きなものをお選びください。

①わたしには猟師の祖父がいました。普段は、口数も多くなく、特別かわいがられたような記憶もありません。
でも、たまに口を開いた時にいつも言われていたことがあります。
「狩りは感謝の気持ちをもってやんねばなんねぇ。獲物さは神さんが授けんだ。銃だけえがっても、気持ちの入ってねぇ弾は当たんねぇ。気持ちさえ忘れなければおめにだって神さんは獲物ば授けてける。生きる、ってことは感謝する、ってこった」
結局わたしは猟師の道に進むことはありませんでしたが、その祖父の言葉を胸に、常に感謝の気持ちを持ちながら生きることを忘れないよう、「か」と「り」の中に「きもち」を入れて「かきもちり」を名乗ることにしたのです。

②まだ10代だった『夏』、わたしにはとても大切に思う人がいました。
でも、若かったわたしはその『気持ち』を素直に伝えることができませんでした。
気持ちとは『裏』腹な、素っ気ない素振りばかり。それなのにわたしを気に掛けてくれたあの人の心を、どれだけ傷付けたことでしょう。
氷を引っ掻いて、かき氷はできる。甘いけれど、氷は傷付き、すぐに溶けて濡れてしまう。わたしたちはそんな風に涙から逃れることができませんでした。
決して忘れてはいけない、あの夏。
あれから何度も夏を迎えては見送りましたが、同じ夏はもうやってきません。
自分への戒めとして、「夏(か)」、「気持ち」、「裏(り)」…そう、「かきもちり」と名乗っているのです。

③「かきもち通り」というお菓子をご存知の方はあまり多くは無いと思います。
地元では老舗の菓子舗が出していたかきもちの商品名なのですが、幼稚園当時に仲の良かったりょうたくんが好きでお家に遊びに行くといつも用意されていました。
石畳をイメージしたかきもちで、それを敷き詰めた道をイメージした名前でした。
独特の甘じょっぱさは今でも忘れられません。

パッケージにはちゃんと「かきもち通り」と書いてあるのですが、漢字が読めなかったわたしたちは平仮名を拾って「かきもちり」と呼んでいました。
小学校に上がる頃にお父さんの都合で遠いところに引っ越した彼が最後にくれたのもこのお菓子。

りょうたくんの最後のプレゼント。ずっと取っておきたかったのですが、食品のためそれは叶いませんでした。母に促されて泣きながら食べたことを覚えています。
数年後、本棚の奥で見つけたスクラップブックを開くとそこにはあの時の「かきもちり」の包みが貼ってあるではありませんか。
母が貼ってくれていたらしい、最後のかきもちり。漢字が読めるようになっていたわたしはそこではじめて「かきもちり」ではなく「かきもち通り」であることを知りました。
しかし心の中ではいつまでも二人で楽しく食べた「かきもちり」なのでした。

そんな「かきもちり」にあやかって、思い出に残るような楽しい時間を皆さんに提供できるようなペンギンになれるように祈りを込めて名乗っています。

※これらの由来は全てフィクションです。実在の人物、団体、お菓子、ペンギンには一切関係ありません。

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