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肩書きと自分の活動と

最近、サイエンスライターとして活動していることについて華々しく褒めてもらうことがあって、それが少しむずがゆい。(超わがままだ)

私としては、自分が理科として出会ったものについて調べて、絵や文章で表現することで自分なりに消化したり、発信したりしている。発信することで誰かが、理科について感じている / 感じていたあれこれに反応してくれることを期待している。

そういうことをする人は、世の中ではサイエンスライターというのかな?サイエンスライターというのは、最新の科学研究や科学界のことを報道として、ある面としてはジャーナリスティックに書いたり、科学の研究をドキュエンタリー的に書いてストーリーを見せたりする人のことを言うのではないのか?これが私の思うサイエンスライターってことだ。随分解像度上がったという感じだ。

いや、もちろんそういうこともやってみたい。やってみたいけど、私の活動の軸はなんというかそっちじゃない。日本の社会と科学、もっと言えば自分と科学に興味がある。科学が自分にとって、あるいは日本の社会にとってどういうものなのかに興味がある。両者の間にギャップがあるとして、どういうギャップなのかをはっきりさせたい。

それで、そのギャップを埋める方法として、先に書いた「科学研究や科学界のことを報道として、ある面としてはジャーナリスティックに」書くことや、「科学の研究をドキュエンタリー的に書いてストーリーを」見せることがあると思う。サイエンスライターというのは手段であって目的ではない

サイエンスイラストレーターというのもそうだ。私は最近そう呼んでもらえることがある。でもサイエンスイラストレーターと認めてもらえたら幸せになるのかなと思っていたけどそうじゃなかった。科学について、私が理科として出会ったものについて、それと人の関係を描けたときが幸せなんだ。それがお金のもらえる仕事じゃなくてもいい。もらえてももらえなくてもどっちでもいい。私の精神的な満足の話だこれは。サイエンスイラストレーターというのも手段であって目的ではないってことだ。

「サイエンスコミュニケーター」や「サイエンスイラストレーター」「サイエンスライター」になることが目的なのではない。することが目的にあって、その手段としてというか、社会的な立場としてそれをやることになったらなんという肩書きに近いのかというと「サイエンスコミュニケーター」とか「サイエンスイラストレーター」「サイエンスライター」になるという話だ。

だから、文章を書こうがイラストを描こうが、マンガを作ろうが動画を作ろうが、あるいは歌おうが曲を作ろうが、なんだっていいのだ。3Dモデルだっていい。とにかく、私が理科として出会ったものと、人や自分との関係について調べて、表現して、消化して味わって、自分のみている世界と調和させたいだけなんだよ!

最近肩書きや立場を意識することが多いので、少し整理してみた。でも、肩書きをつけてもらえるとスキルを上げるきっかけになるし、自覚や責任感が芽生えるし、仕事としてやらなければ立ち上がらない何かが立ち上がる気がするから、ありがたい。ただ外側の言葉で、自分の内側のあり方まで決めないようにしたかったから、こうして書いてみた。これからも一歩一歩やってみる。

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