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『silent』シナリオ演出“全力”解説ノート【第1話】

★「はじめに」にも目を通してくださいね


・(*駅前、イヤホンで音楽を聴きながら想が待っている)

解説ナレーションでは駅前だが、実際は駅の歩道橋。何でもない冒頭設定にみえるが、「約束」「駅」「待ち合わせ」の組み合わせが、後の展開にリンクしていく。おそらく高校時代、毎日のように約束していた「駅での待ち合わせ」が、8年後の悲痛な再会となって描かれることとなる。

・雪だね、雪だね

2人の初々しくも、多くのコトバを語らずとも意思疎通ができている特徴的な会話。ここにある「台詞の反復」は、この後、1話の中で多用されて重要な機能をはたす。一端を挙げると、互いの相槌のほか、「人違い」「あの佐倉想くん」「紬さんを僕に下さい」「びっくりした」「(イヤホンで聴く音楽を)知ってる」「好き、つき合って」「よろしくお願いします」「プッツン」「好きな人が好きで」等。また、ここでの空の天候をめぐる“朝”の会話は、後の紬と湊斗の“夜”の会話へ重なる。

・雪

この後に登場する、「雨」や「月」などにも接続している点に注目したい。「雪」の理由はさまざまあるが、想を演じる目黒蓮のグループ名「Snow Man」にもかかった設定でもある。

・雪だるま

紬が「2つ作って、もう1個のっけて」と言いながら、わざわざ丁寧に雪だるまを作るしぐさをしている点が、まず注目点。その形は、2人を隔てる運命の8年間の〈8〉の字そのもの。作品は冒頭から、早くもテーマである“コトバ”の可能性を追求し、視聴者に投げかけている。また雪がまとわりつき「どんどん」大きくなる点が強調されているのも見逃せない。想の「少しずつ」耳が聞こえなくなって、世界が小さく閉じていく辛い経験と対比になるイメージ。また、2つの雪の玉をくっつけて完成させるイメージが、2人が離れ離れになる悲運を盛り立ててもいる。更にサッカーボールは、想が好きと思える生きがいのような象徴。難聴を患って以降、(音楽だけでなく)これからも離れていると予想される。その悲しみも既にただよう。雪のボールが「転がす」イメージは、再会シーンのイヤホンが落ちて転がる状況にも通じている。今後も出てくるだろうが、重層的に精巧にストーリーの部分を支え、各効果を生み出す見事な演出である。

・静かだね

まだこの時は想像だにしない、未来に訪れる想の難聴と、その「音のない世界」を予兆している。

・雪が降ると静か

この後カットが切り替わって移る、8年後の紬と湊斗が、早朝にうるさく感じる「雨音」を際立たせる。雪は静かに降って「音」がないが、雨は降ればふるほど「音」がする。それだけではない。耳が聞こえない想にとっては、雪がふるのも雨がふるのも、晴れていても「音」はしない。天候を音で感じることはできない。その点でも後々ドキリとする1コマでもある。

・うるさい

1話終盤の再会場面で、想が紬に放つ手話の「お前、うるさい」につながる。ここでは、紬の“聴こえている大声”に対してだが、ラストでは“聴こえない声”に向けて。さらには想が発するのも“声”ではなく、“手話”へと置き換わる。その「言葉によるコミュニケーション・意思疎通」という面での、音の不在と静寂さを鮮やかに対比することになる。ここでの雪景色もまた静かなだけに、その記憶とつながりながらの効果も大きく。またラストでは(想には聴こえない/紬は会話に夢中で聞いていない)町の雑踏音との対も見逃せない。

・(朝の)5時

紬と湊斗が目が覚めた時刻。※詳細は保留。

・タワレコ

紬のバイト先。音楽好きゆえの職場だろう。耳が聴こえなくなった想にとっては、いつもイヤホンを手放さないほど好きだった「音楽との離別」の点で、そのショップで働く紬を襲うこれからの苦悩と悲痛は、計り知れない。

・つむつむちゃん

紬のあだ名。何でもないようだが、ここにも物語の台詞回しの特色の“単語の繰り返し”が「つむ」を重ねている。

・CDの売れにくい時代

音楽の現状を説明するフレーズなだけでなく、配信・サブスクへの移行が、まだCDの貸し借りや購入があった、「耳が聞こえていた」想の過去を悲しく想起させる。彼の音楽を愛した時間は、CD(時代)とともに止まったまま。

・(*湊斗と電話している紬が想に気づく)

①想と「電話」で話すのが好きだっただけに、この再会(目撃)のシチューエーションは悲しく運命的。今の2人はもう昔と同じようには「電話」で声を聴けない/話せない。②姿を見つけて「想」と呼びかける声を、湊斗が電話越しに聞いてしまう点も見逃せない。動揺だけでなく、紬は湊斗とは「電話」で話せている=繋がれているのに、想とはそれがもう叶わない現実をつきつけて更に切ない。③電車が近づくホームでの電話は、マナーが悪い。だがそれは制作サイドの失敗などでは決してない。他の場面でも同じことがいえる箇所があるが、電話をしている時、人は会話に集中し「外部の音=世界の音」をほとんど省略してしまっている。ここでは電車音、駅の雑踏など。耳には入っているが無意識で流しているそれらの「音」を、想は聴くことができない。そして人込みの公共機関を利用するような際には、それらの「音」はつねに注意の対象でもあり、「聴こえない音を視覚や触覚で補う」ことが求められる。そうした聴者と聴覚困難者の社会的で本質的な差異にもふれている。――意識して聴く「音楽」や「会話」といったものだけが“音”なのではない。自分の周りにある自然音や世界の雑音も同じく“音”である。そしてそれさえ聞こえないことの重さを考えなければならない物語性。

・佐倉くん

紬が想を呼ぶ時の呼称。佐倉は、冬が明けた春の“桜”の意を含んでいそうだ(ただの駄洒落のように思うかもしれないが違う、これは「言葉」をめぐる物語で、ひとつのコトバの音・響きから、和歌や詩のような掛詞的な要素を引き出すのも有意義な見方である)。

・ツチノコ

卒業後、同級生たちも分からない形で、行方知れずとなった想を「目撃」したことの比喩。紬と湊斗それぞれが、彼を「探そう」とするこの後の行動も含めての喩え選び。

・同じ世界線に存在してんだ

長らく行方の分からない想を見かけたことへの友人の反応。現代の若者的な表現ではあるが、後述の通り、このSF的用語の投用はあながち無視できないことになるだろう。

・約束してなくても?(約束のない待ち伏せ)

後に登場する2人の恋の原点である、スピッツ『魔法のコトバ』の歌詞「また会えるよ 約束しなくても」にリンクした作り。冒頭の高校時代の「駅での待ち合わせ」とつながる。また2人が再会は、各々に約束した相手がいる(紬は湊斗と、想は彼女と)中で、約束なしに駅前での偶然の出来事。それは、冒頭にあった毎日駅で待ち合わせてた約束の日々が、逆なでして襲ってくるような再会で、切なく運命的。また約束は、1話ラストに置かれた卒業式後の「電話をするね」の約束とも対比になっていて、過去と今をビビッドに映して余韻をのこす。

・フットサル

想と湊斗のサッカー部の元顧問の古賀が営む(?)。何かの事情で、湊斗ら部員に「送別会」を催されて教師を辞めたらしい・病が分かって以来、想はボールにふれていないのではないかと推察されるが、恩師とはまだ交流があり、ラインで時々やりとりしているようだ。

・知らないですか?

想の消息をたずねる湊斗に、古賀は知らないふりをする。この「知っている/知らない」が、高校時代2人の恋の原点にあたる場面の、音楽をめぐっての「本当に知ってる?」という会話の応酬。また後の、電話番号をたずねる湊斗と想の妹・萌とのやりとり。それぞれリンクして物語を立体的にしている。

・(ラインの)最近どう?

想を気にかけて送るライン文面。返ってくるのは「静かです」で、後にある湊斗が悩みに悩んで送信する「元気?」もそうだが、病を抱える人間への気遣いとコミュニケーションの難しさも滲んで考えさせられる。ちなみに返信がくる後の場面のライン画面から、この日が「10月10日(月)」とわかる。

・そっか、そうなんだ

湊斗との結婚を強く望んで期待している弟・光と紬の、何気ない会話。だがそのやりとりには、何度も「あ、そう」「そうねえ」、また直後の「そういう年頃」といった形で、《そう》という語が含みこまれている。湊斗との幸せを語るシーンに、台詞を介して、言葉を発する本人たちは気づかずに「想の存在」が入り込んでいるのは興味深い。リアルな会話感を出すための結果で、意図的でないかもしれないが、脚本家は何度も音読するようにこれを読んで感じていても不思議ではない。

・(スマホで佐倉想を検索している)

湊斗と同じように、この後に紬も検索していたことがわかる描写がある。そして両者とも、自分らの幸せを優先するべく、過去を振り払うように「検索履歴」を消去する。(それは「佐倉想」という名前を消す行為でもある点を留意しておきたい。)その行動の一致が、紬と想の相性の良さを強調する一方で、人探しをする時のネット社会の現代様式を映し取ってリアルな描写である。

・(検索履歴を消す紬)

履歴には「靴下 ショップ 人気」がみえる。お洒落の表れだが、物語のはじめの朝のシーンに、内見に行くのに「靴下だけはキレイなのを履いていく」という台詞があったのを思い出す。部屋探しに備えたそれだったかもしれない。

・びっくりした

紬からの「着信音」と、その電話を取って聴こえてくる光の「大きな声」への反応。どちらも不意。

・白いイヤホン

かつてプレゼントで想からもらったイヤホン。押入れの缶に、大切に保管されている所に「想への想い」の強さが滲む。

・想の作文

どういった経緯で彼女の手元に置かれているかは不明(物語の今後に期待)。ポイントは過去を思い出しながら、それを「読む」という点だろう。現在の想には、声ではなく「文字」が重要となっているだけに深い感銘をじわじわ作る。ちなみに、これを想が全校生徒の前で読んで、紬が惹かれたのは高校2年生の秋。2013年のこと(公式HP)。

・好きな声で好きな言葉をつむぐ人だった

折り畳むように重ねられた「好き」の繰り返しを使った台詞表現は、胸に印象的に残る。同時に、これは紬の表現の癖であることが後の各シーンから分かってくる。この作文で恋に落ちた点で、その文章中に「つむぐ=紬」という自身の名前が含みこまれていたのも運命的。

・佐倉です、青羽です

初めての対面・会話。これはクラスが同じになった高校3年生の春。2014年のこと(公式HP)。ナレーションで「あの名前が忘れられなくて」と強調されていることも考慮すると、ここでの「名前の交換」は特別なもの。【――■■割愛■■――】また「佐倉=桜」「青羽=青葉」ととるなら、2人の名前は、いずれも〈春〉のモチーフで共通していることにも気づく。

・何、聴いてるの?

音楽(の話題と共有)が、2人を一気に近づける物語の重要場面。ともすると、2人はスピッツを聴いたように勘違いしそうになるが、後の告白前に「スピッツは知っている。これは本当に知ってる」とあることから、別物であることに注意。なので貸した新譜も含めて、この時点で2人が共有して聴いた音楽が何かは分からない。2人だけの秘密(として物語は進む)。可能性については後述する。

・いいよね、これすごくいい

紬がイヤホンで音楽を聴いた感想の台詞。何とか会話を合わせようとしている愛らしい必死さがみえる。と同時に、ここで「好き」という言い方をしていないのが肝。ここと同じで聴いている音楽をたずねる後の告白シーンの、「好き」への流れ・盛り上がりを高める土台でもある。

・(*イヤホンを想が紬にわたす)

ここで重要なのは、イヤホンを両耳ともわたすという身振り。ここ十数年のいわゆる胸キュン作品では、〈イヤホンを片方わたす→音楽を共有する→イヤホンの長さから必然的に2人の距離が近づく〉という、いわゆる「イチャホン」演出が重宝し多用されてきた。印象的な恋愛ドラマの例では、『ブザー・ビード』1話や、『好きな人がいること』1話などがあげられる。その歴史的背景からすると、この描き方は良い意味で流行にのらず、いま一度、恋愛と音楽の関係を問い直す“反-胸キュン”的な演出として、斬新的かつ意義深い。

・(夏の制服)

背景の人物から実際は自由と思われるが、紬が「半袖」で、想が「長袖」(湊斗も)という対比がさりげなく効いている。その半袖は、ストレートに想いをさらけ出しアプローチしていく紬とよくマッチしていて、他方で夏でも長袖を“腕まくり”をする想(男子ら)は、決してチャラついてはいないが、お洒落な「青春男子」を演出していて味わい深い。

・嫌でも週5で行く場所で、嫌でも週5で好きな人に会える場所だった

学校という空間・時間の本質を、ドキッと伝えるナレーション。紬の声のため、この後つき合い出すのも含めて、彼女に重ねて〈甘酸っぱいドキドキした恋心〉を強調して響くが、同じ映像にいる湊斗に照らせば「嫌でも週5で好きな人が他の誰かと付き合っているのをみる場所」として、〈切なく苦しい片想い〉を届けてもいる鋭い台詞作り。

・(*階段の下の紬にプレイヤーを落とす)

①モノを投げて、相手がキャッチする。やや無邪気でふざけたアクションが、青春の恋愛ぽい。②直後の「告白」シーンの助走・予告にもなっていて、このプレイヤーは「言葉」の代わりのようなものとしても映る。2人を結んだ原点は“音楽”だったことを象徴する重要なシーン。③CD自体ではなく、それを入れた音楽プレイヤーを貸すのは、当時の音楽文化を懐かしくリアルに思い出させるとともに、その貸し借りには「好きな人のモノ」を手にする、それを持ち帰り音楽を共有する、という今はもう失われた独特な感興があったことも伝える。この時は“まだ紬はプレイヤーを持ってなかったのかな”等の想像をかきたてるのも秀逸。④ちなみにここでのイヤホンは「青」。後に交換しあうイヤホンの色を対比的に盛り上げてもいる。

・新譜入ってる

その中身が視聴者の想像をかきたてる。これは2014年のシーン。この年、スピッツは配信限定シングルしか出していない。1話ラストに映り込むthe pillowsであれば、アルバム『ムーンダスト』(10月)をリリースしているが秋。夏服の装いからすると一致しないだろうか…。

・名前を呼びたくなる後ろ姿

この後に訪れる、想の名前を呼んでも届かない=聴こえない「悲しい再会(ホームそして駅前)」のシチュエーションへの伏線。またこれを更に強調するように、卒業式後の場面として「後ろ姿に名前を呼ぶ」映像が、1話の締めくくりに置かれている。

・ハチクロの曲

スピッツの『魔法のコトバ』。映画『ハチミツとクローバー』(2006年7月22日公開)の主題歌だった。曲名がすぐには出てこない(出さない)、それでも会話が成立していく辺りの、音楽について話す時の会話のリアルさが秀逸。

・好きです、付き合って下さい

歩いたままの横並びでの告白シチュエーションは、“照れ”と“勇気”が詰まっていて尊い。紬がリュックの紐を普段以上に、両手でグッと握っている部分にも、表情以上の内面の〈覚悟と緊張〉がよく現れているのも見所。この時、想はイヤホンを外して「ん、何?」と返す。確かに何を話しかけられたか音量が大きめだと分からないが、実際は「聞こえていた」かもしれない可能性の余白を残している。もしそうなら、紬の想いとそれを伝えようとしている決意を知ったうえで、想が〈男からの告白〉という体裁にしてみせたと読むこともできて、深みがある。キュン。

・青羽好き、つきあって

想のこの告白の一言に至るまでの台詞構成が、とにかく巧みで胸キュン度が高い。直前、独特な緊張感の中で、音楽をめぐる会話で2人は「好き」を互いに2回ラリーしている。普通の趣味の話題から、特別な告白へ。そのスライドがドキドキ。また対象も「スピッツ→ハチクロの曲」へ具体的になっていく流れになっていて、それが次第に核心(告白)へ近づく高まりを作って見事。

・録音するから

告白された喜びから出た衝動で、会話に流される形でスルーしてしまうが、未来に向かっては重い意味を持つ。一番欲しい愛情のコトバを、もうあの頃と同じようには聴けない今。単純な録音しておけばよかったという後悔ではないだろうが、人間の“声と言葉”をめぐるその時々の「出来事の一回性」、その貴重さという根源的問題を、紬と視聴者につきつける。橋の上での告白、川のせせらぎと鳥の声(自然)が印象的に響いている。想にとって、この出来事はこれらの「音」も一緒になって記憶されている。聴こえない人間には、そうした状況の音は極めて大きいもの。

・(手を握る)

後に描かれる恋人・湊斗と「つなぐ手」へリンクしていく。ここで想が握る「手」も、8年後の現在に湊斗とつなぐ「手」も〈好きの証〉でかたまりといえる。1話ラストの卒業式後の「振る手」も幸せ一杯。そこに“言葉は不要”だった。その同じ「手」が“言語”そのものとなって、再会シーンでは容赦ない現実で2人の間に断絶をみせることとなる。

・時々電話の奥から、家族の声が聞こえるのが好きだった

家族と住んでいる学生時代の「通話あるある」。もっと言えば、物語が描くのはもう携帯時代だが、そこにかつての「家電」時代の恋人同士の会話風景も透けてみえる感じもあるのが趣深い。後に登場する、紬と湊斗の電話シーン(兄弟姉妹の声が聞こえる)の伏線にもなっている。

・同じイヤホンの色違い

同じものを贈り合うを通して、2人の相性の良さを強調しながら、「同じ音楽を聴けなくなる」辛い未来をつく演出。ちなみに、もらったのは紬が「白」で、想が「黒」。その「白」は冒頭の“真っ白な雪景色”と結びつきながら、想との恋をイヤホンとともに胸の奥にしまった紬の記憶のかたち。更には、雪がしんしんと降ったあの日のような「音のない世界」に住む想の未来につながっていて味わい深い。そして、想はイヤホンをまだ残しているのかが気になる…。ちなみに、紬が「黒のイヤホン」を選んであげたのは、想役の目黒蓮の《黒》にかけられたファン想いのニクい演出ともとれる。

・(*紬のスマホに想からメールが届く)

一方的に別れを告げる想からのライン。この時、紬はスピッツ『魔法のコトバ』を聴いている。画面を見た瞬間の再生時間が「0:53」付近。ちょうどサビに差し掛かった所。曲の盛り上がり(サビの「魔法のコトバ」)にあわせて失恋を果たした。何とも切なく、細やかな演出。恋が始まった原点、告白シーンでイヤホンを渡され聞いたのも、ほぼ同じ個所だった。さらに切ない。

・「好きな人がいる、別れたい」その文字を見せられて終わった

1話で唯一、紬がイヤホンを外す箇所。学生時代、想がイヤホンを外すのは、いつも紬が声をかけた時で「幸せな瞬間」だった。ここではそれを反転させて悲劇を伝えている。

・イヤホンが壊れてしまったのは3年ほど前、それからずっと音が出ない

後に、想が聴力を失ったのも「3年前」とでてくる。イヤホンが故障して音が出なくなった頃、想の側では「音が聞こえなくなった」。互いに知らないだけに、じつに悲しい時間のシンクロ。イヤホンは代えがきくが、耳はそうはいかない辛さの対比も滲む。もう一つ逃せないのは、振られてからもイヤホンが壊れるまでの約5年間、想からもらったイヤホンを使い続けていたことだ。同じ間、徐々に聴力が奪われる中で、想はプレゼントされた“イヤホンで音楽を聴けていたのだろうか”という疑問と一緒に、彼女の胸の底に長く続いたであろう「彼への未練」が迫る。

・その好きな人とはどうなりましたか/好きだった人の好きな人ってどんな人ですか

紬の声によるナレーションだが、これは一体いつどの時点からの言葉なのだろう…。映像は現在の想と彼女へ切り替わって、彼が読書をしている。そのため、このフレーズは、彼が読んでいる「本の一節」のようにも映る。ちなみに彼が手にしているのは「白い本」だ。ここでも、冒頭の「雪の風景」とその静かさが、そっと想起され接続してくる。

・週5でそれしたら俺、もう終わります

就活中のバイトの後輩の愚痴。先の高校生活の回想台詞とリンクしたもの。この直後、紬は高校生カップルが音楽を試聴する光景を目撃して、自身の過去も振り返っていると思われる。「現在/過去」「社会人/学生」を台詞の重なりでもって、瞬時につなぐ鮮やかな演出。試聴機が「ヘッドホン」というのも、思い出の「イヤホン」と対になっていて深い。

・紬に聞かれたら「私はモノじゃない」ってキレられそう

耳の病が分かった想が、紬と離れようとした強い覚悟が現れた言葉。この時、大好きな音楽からも離れ、ラストにあるように「CDという物質」も封印したと思われる。「彼女との別れ」と「音楽との離別」が一緒に襲った想の辛さを想像させる台詞としても響く。

・(*紬がスピッツの曲を試聴している)

聴いているのはスピッツ『楓』。実際、物語の中に挿入歌的に流れるので明らかだが、同曲を収めた8thアルバム『フェイクファー』がアップで映し出され、そのトラック6番の曲を再生している所からもわかる。この歌詞の核になっているのは「君の声を抱いて歩いて行く」で、突然の別れの後、大好きだった想の声を聞けないままできた紬の内面と見事に接続する。また「呼び合う名前」というフレーズも、高校時代の2人を強く想起する。なお、8thアルバムの「8」は、紬と想を隔てた「8年間」にもかかっている。ちなみにこの曲を、演出(挿入歌)として使って記憶に残るのが、月9『Over Time』(1999)である。11話で宗一郎(反町隆史)と夏樹(江角マキコ)が、東京タワーを見ながら/想像しながらFMラジオを互いにつけ、そこから流れるこの曲の話を電話で交わす。その名場面のオマージュにもなっていて刺激的。――ちなみに、その脚本は北川悦吏子。聴覚困難者と手話を描いたドラマとして思い出される名作は、豊川悦司・常盤貴子主演『愛していると言ってくれ』(1995)。そして、妻夫木聡・柴咲コウ主演の『オレンジデイズ』(2004)。そのいずれも彼女の脚本作でもある点で、より感慨深い。スピッツファン的には、大事な一曲であるの事実だが、他でもないこの曲を入れ込んだところに、境遇も含め同じ主題の北川作品群へのドラマに向けた“敬意”と“愛情”を含みこんでいるようにもえる。他方で、本作のプロデューサーの村瀬健氏は、自身で「プランクトン」というロックバンドをプロデュースするほどの音楽好きで知られる。これまでの手がけた作品でも、色々な形で音楽を活用してきた。そうした中でも、(脚本家が違うものの)山下智久主演の月9『SUMMER NUDE』2話で、フジファブリック「若者のすべて」をはじめ、FRYING KIDS等を同じく“ラジオから流す”形で挿入歌として使ってみせたのが思い起こされる。

・湊斗くんってさ、知ってるんだっけ?/想のね、うん知ってる

何を知っている/知らないのか。目的語を欠くことで生じるズレ。言葉と伝達の難しさ・問題を、うまくストーリー展開に絡めている。

・(階段で湊斗と想の母がすれ違う)

【――■■大幅な割愛■■――】またこのシーンを支えているのは、先に登場した「名前が忘れられなくて」や「名前を呼びたくなる声をかけたくなる後ろ姿」といった想に向けた紬の想い。

・知ってるって聞いたら知ってるって……

「知ってる/知らない」をめぐる親子のぶつかる対話部。「何を」の目的語を省いて、“知る”の語の反転・相反を連続して積み重ねた台詞まわしは、衝突の鋭利にみせるだけでなく、その対比が想の病をめぐる登場人物たちそれぞれの立ち位置を強烈に示唆して、ストーリーを鋭くして秀逸。湊斗が「知ってる」と答えたのは、高校時代に電話番号を知っていたか、という意味だろうか(?)。

・線路沿いで座り込む湊斗

想の真実を知って、それをどう紬に伝えてよいか苦悩しているさま。鳴り響く踏切の警報機が、襲うように彼のひっ迫具合を効果的に映してみせている。加えて、彼女からの着信音、横を走っていく電車の「騒々しい音たち」が、耳が聴こえない想の「音のない世界」を対照的に浮かび上がらせもくる。この時、彼は頭の中が一杯でそれらの環境音が聴こえていないか、あるいは「うるさい」と感じているかもしれない。

・ラインより電話派

紬の恋人とのコミュニケーションの趣向に関する話。耳が不自由になった想は「電話よりライン」へ、いや応なく重点が逆転した現実を生きている。それを鋭くついた一言にもなっている。

・好きな人が好きで

スピッツについて、バイト先の上司にかつて話した時の言い回し。先にあった「好きな声で好きな言葉をつむぐ人だった」と重なりながら、想への思いを語る時の、彼女の癖のような言語表現。物語にでてくる数々の“反復する台詞”使いの中で、この「好き」の重複はとりわけ際立って映り、想への愛情の深さと実直さがコトバの使い方から強くうかがえる。その紬の“言葉に対する誠実さ”が、この作品の底で光となって流れていて、耳が聴こえなくなった想との関係にも希望を与えることになるのだろう…。

・タワレコをまなざす想

代表的なロゴのフレーズ「NO MUSIC NO LIFE」が、好きな音楽を喪失した中で生きる彼の辛い境遇を鋭く表象している。時に「広告」の文字フレーズも、見る人によっては棘となり心を痛める。単に音楽だからのロケ地の協賛協力に留まらず、一歩踏み込んでこうした普段見落としてしまっている「街にあるコトバの問題」を鋭く描写する制作意識はすごいものがある。

・元彼?

上司のこの質問に、安易に同意をせず「昔つき合っていた、好きだった人です」と丁寧に言い直してみせる所に、紬の性格がよく現れている。彼女にとって、想も湊斗も「好き」な相手という点では同じ。そこに言葉で差別をつけないのは、自身の恋とコトバに誠実な生き方の証。

・大丈夫

耳が聴こえないことを勝手に教えてしまった妹・萌が、想を心配して送ったラインに対する返事。ここでも言葉はひっくり返る。文字とは違って、決して「大丈夫ではない」のだ。それを察して、萌は動く。

・何で出来るでんすか、あれ

ここでも「あれ」のラリーがあって、単語を重ねる台詞手法が活きている。だが「あれ」という表現には、やや不自然さも残る。映像的には、湊斗が春尾に話しかけたのはすぐ。なのに、いま目の前でみた手話を代名詞、それも「それ」や「いまの」ではなく、より遠くのものを指す表現を選んでいる。やや深読みして見るなら、そこには「手話」がまだ自分からは縁遠いものという聴者としての意識と、直後の手話を「できれば覚えたくない」とのつながりで、想の現実を受け止めたくない困惑と動揺も含んでいるようにも受け取れる。

・そういう刷り込みがあるんですよ……

この部分の「手話」への偏見の話は、それを使う耳が不自由な人のみならず、それを教える側など「手話」に人間全体に対する〈聴者側のイメージ〉を厳しく批判して重い。「ぼくも聴者なんですけどね」は、障碍者をめぐる当事者問題にもふれて社会的。

・また普通に話したいです

現実をまだ受け止められていない湊斗の願望。だが何気なく口から出た「普通」は、手話で話すことが「普通ではない」という障碍者への差別意識をはらんでいて、聴者の偏見を露呈している。

・(CD棚を見つめる湊斗)

耳が聴こえないということは、大好きな音楽も聴けないということ。台詞での説明が一切ないからこそ、ほんの数秒に、彼の中で、想の置かれた現実が具体性を帯びて襲ってくるさまが痛いほど伝わってくる場面。

・晴れてるね

冒頭と違い、ここでは台詞が反復して返ってこない。それが、冒頭の想と交わした「雪だね」に呼応することで、仲睦まじい〈紬と湊斗〉だが悲しくうつる。月の出ている夜を「晴れ」と表現するのは、湊斗固有の素敵な感性。だが「夜を昼で喩える・置き換える」イメージには、想の現実を知って〈暗くなっている心情〉を何とか隠し、いつものように〈明るく〉平然と振舞おうとするさまも、暗示されているようだ。

・怒ってないから

過去の恋愛話をして、気分を害したと勘違いしているかもしれない紬への説明。湊斗は泣いているが、悲しいだけではない。想のことを知って、どうしてよいか分からない自分、そうなってしまった現実への〈激しい憤り〉と一人闘っている。その点で、目の前の彼女には「怒ってない」が怒っていて、言葉が逆転した状況なのだ。

・(*手をつないで紬と湊斗が歩いていく)

その後ろ姿を映すアングルは、高校時代の紬と想の告白シーンに重なる。ポイントは「夜」。仕事帰りのシチュエーションに過ぎないが、過去のシーンとの呼応の中で、どこか彼らの進む道が「暗く」険しいことを暗示しているようにも映る。

・(湊斗が想からライン返信を確認する)

画面の日付からこの日、つまり紬と想が再会するのが「10月17日(月)」とわかる。1話放送時点、まだ未来だ。

・最悪

イヤホンを落として出る一言。だがその先には、探していた想がいて、その再会に暫し「最高の喜び」を紬は感じる。だが耳の聞こえない彼とのディスコミュニケーションと衝突に、「最悪」の再会に変貌する。その一連の展開を、言葉の反転で描写している。

(*耳にワイヤレスイヤホンを付けようとして落とす)

①二人の恋の象徴である「イヤホン」が、再び2人を結びつける。でもそれがワイヤレスであることで、これから明らかになる両者の「見えない断絶」を予兆している。
②イヤホンを落とすは、高校時代に音楽プレイヤーを「落として」受け取った場面に接続してもいる。あそこにあるのが〈恋に落ちる〉幸せだったとすれば、ここで起きるのはその恋と思い出を〈重い現実へ突き落とす〉悲運である。
③8年前はイヤホンの「コード」が愛の象徴のように、紬と想を結んでいた。でも時代は経て、今はワイヤレスに変わり「線」がもうない。そんな中で、2人はイヤホンが映しだす“時間”をこえ、互いの間に普遍の愛という「固い一本の繋がり」を再び描き築けるか。そうした物語としても見せる、見事な演出である。

・(歩きだす想を、話しかけて追いかける紬)

想は腕をつかまれるまで、一度たりとも振り向かない。何とか逃れようとする必死さのかたわら、そこには目前の安全確認を怠れない難聴者の歩き方もリアルに描かれている。途中、道路を横断する時に、しっかり左右確認もしている。

・想の手話

紬は手話を理解できないが、状況から彼の耳が聴こえないことを察したと思われる。特にそれが顕著に伝わったとみえるのが「一緒に音楽も聴けない」という互いの方耳に手をかざす手話部分だ。実際、その箇所で紬がアップになるカメラワーク。それがイヤホンを分ける(イヤホンを両耳とも渡して音楽を共有していた過去、そしてもうコードのあるイヤホンが廃れた時代に変わっただけに、その描写力は強烈だ)ようでまた切ない。

・3年前ほとんど聞こえなくなった

先にあった紬の「イヤホン故障」と時間がシンクロしている。その表現の細部に目を向けたい。紬のそれは「3年位前」と曖昧だったが、想はここで手話で「3年前」と言い切っている。彼が音を失った日と記憶は重く鮮明。明らかな違いがある。そうした辺りを精緻に描いてみせる生方美久の脚本力はすさまじい。

・筆談とかで

手話の想を前に、何とかコミュニケーションを取ろうとしての言動。だがここには2つの問題が潜む。手話で話す人を前に、即座に「筆談」を迫る・提示することの是非。そして紬は想が「聞こえない」というより「話せない」と思っているのではないかというすれ違い。想が「話せない」のか(ここは極めて大事で、1話を観た限りの視聴者の想像力として、彼は会話も困難かもしれない、他の病も抱えているかもしれないという考えを巡らせられるかにドラマを観る質が関わってくる)。それとも昔と同じような明瞭な発話が困難なために、それを見せたくない等の理由で「話さなかった」のか。彼の苦悩とともに思考がめぐる。1話時点ではわからない。

・佐倉くん

手話シーンの直後の高校時代の回想。そこにある名前を呼ぶ声に「振り返る想」は、もう今はいない。もう「イヤホンを外す想」もいない。その変化と現在を、切なく伝える。

・卒業式

物語の設定である2022年現在の8年前から計算できなくもないが、この映像にみえる立て看板に「平成26年度」とあり、2015年3月とわかる。 ※10/15訂正

・電話するね

過去の何気ない約束。もう「電話で話す」ことが叶わない現実を、重く悲しく補強する構成。またここからは、当時の2人の別れがラインの文字で、大好きな声の「電話」で伝えられなかった悲しみ(とその背後にあった真相)も重なってくる。そしてこのシーンの特徴は、やや距離があって声が届かないかもしれないために、紬が「電話・するね」の言葉をゆっくり区切って、大きな口をあけて発していること。口の動きでもわかるように。それは耳が聴こえない現在の彼にとって、極めて重要となる「口話」である。その点で、訪れる未来を予兆している場面としても深い。その観点でいうと、ここで既に、2人は深刻には受け止めてはいないが、すでに耳に異常を感じ始めていて、そのためにわざわざ口でも分かる“大きな声”と、想も言われた言葉を“確認するように反復”しているように見ることもできなくない。病が分かったのは「卒業してすぐ」とあるが、卒業前に症状がでていたかもしれない。例え、今後の展開でそれが間違いであっても。そういう所へ想いを向けられるかも大切だろう。また想のこの互いに《ふる手》は、約束の確認とともに「バイバイまたね」に他ならず、意味の齟齬がない。起こりようもない。つまり、手で会話ができている訳だ。それが「手話がわからない」再会場面の悲哀をいっそう色濃くしてみせている。

・ベッドの下に隠されたCD

段ボールの中にあるのを想の母が見つける。耳が聴こえなくなった想が、大好きな音楽から離れるも、捨てられなかったもの。CDジャケットについたヒビは、かつて彼がぶつけたと思われる「聞こえないこと」「音楽が聴けないこと」への怒りの痕跡だろう。それを知った母の心情とあわせて、実に悲しい。実家の想の部屋なので、息子の部屋をそのままにしているのはよくあるが、背後に映るCDのないラックはもちろん、そのまま残るひと昔前のコンポが、想(あるいは家族)の〈止まってしまった時間〉を体現しているのも胸がつまる。ちなみに、そのCDはジャケットから、back numberの4thアルバム『ラブストーリー』とわかる。文字通り、このドラマそのものである。それだけではなく、同アルバムのモチーフを色濃くこめた、最後のトラック曲は『世田谷ラブストーリー』。紬が想を探して待ち伏せしたのが、小田急線「世田谷代田駅」で、物語の舞台にも通じていて趣深い。加えて、同アルバムがリリースされたのは2014年3月26日。卒業式直後である。病が見つかったのは「卒業してすぐ」とあることから、想にとって忘れられない一枚といえそうだ。またこれと同じくCDの山の一番上には、the pillowsのアルバム『PIED PIPER』(2008)もみえる。前述の通り、2人が教室で初めて共有した可能性の高いアーティスト候補ではあり、この後の話に登場してくるかが注目。


(C) 柿谷浩一
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