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【第4話】

ダメ

紬と湊斗が部屋を飛び出て行ったままの中。弟・光が、帰ろうとする想に気づいてかける言葉。2回繰り返されて、次回への重要な伏線にもなっている。

色々勝手にしゃべって、何も伝わってないから

耳が聴こえない想に、感情露わに一方的に喋ったことについての湊斗の台詞。でも実際は、何も伝達できていない訳ではないだろう。
想の目線からすれば、主に不安に感じている関係事として
① 湊斗が「紬と会っている」ことに怒っている
② 湊斗が声での会話が叶わないことを含め「耳が聴こえない状況」に関することで怒っている
ことを、感じ取っている所は大きい。ポイントは、親友の彼が〈怒らない〉ことをよく知っているはずで。その驚きの中で、想が湊斗の喋りを「待って」と制止したり「わからない」という否定的反応をしてないこと。想が何とか湊斗の話・想いを“耳”以外で、ひたすら感性を澄まして理解しようと必死だったのが見えて胸をうつ。

私が話したんじゃ伝わんない

湊斗自身が想と向き合い、自分の言葉で伝える大切さを説いた紬の一言。しかし湊斗は手話ができない。その点では、湊斗が直接ではなく、紬を介して手話で伝えるというのが現実的。だが、あえてそうした方法を避ける展開に進むのが肝。後に描かれる、この回のキーワードの1つ「通訳」をする紬、「通訳とは何であるか」という問いが、すでに始まっている。

(*手洗いをしながら、気まずそうな2人を窺う紬)

帰宅後の何気ないエチケットシーンだが、この物語で「台所の水」は、想の病をめぐる様々な《涙》のシンボルになってきた。ここでは、いま一度「涙」をふいて、という紬なりの湊斗へのエールと意志を感じて映る。

ご飯食べに行こう、ファミレスでいい?

想と湊斗を2人きりにさせようとする、紬の配慮による提案。ここまで常にファミレスは“2人利用”で描かれてきた。とりわけ、再会の思い出も含んで「紬と湊斗の場所」という印象が濃い。それだけに、ここでの兄弟の組み合わせは独特な質感があり、本来の家族利用としての「ファミリーレストラン」の色も出ている。

(*湊斗のスマホに「青羽何て?」と想からメーがル届く)

一瞬、湊斗が出ていった紬たちを振り返って玄関ドアを見るのが印象的。「紬からのLINE」かと思ったら、「想から」だった。踏切の再会直後に湊斗から着信を残して以来で、しかも目の前の相手からだけに、驚きが鮮烈。またこの場面、しばらく2人のLINEやりとりの後、音声認識アプリ(の入ったタブレット)を使った会話へ移行する。2人が互いにLINEの文字でやりとりすることも可能。だが紬との会話でも、想はアプリを積極的に用いている。ここには中途難聴者特有の思いや志向もある。もちろん病状やケースによって異なるが、話せていた想の場合「声での会話」は不安もある反面、希望も強いのではないか。もちろん聴者への配慮というのもあろう。いずれにしても、それがろう者と難聴者、聴者、どちらにとってどう便利か。自分と相手、どちらへの配慮なのか。しっかり考えたい点である。

(ファミレスの紬と光)

湊斗との恋の原点であるファミレスの場で、思い出の「ハンバーグ」を紬が注文している。しかも、この場面だけ「窓際の席」を横からのアングルで捉える構図をとっていない。特別感が漂う。

帰って死体あったらどうすんの?

唐突に入り込む「死体」「死んで」の語はドキッとする。決してただの冗談なだけではなく、後で登場する、ペット(生物)について「いつか死んじゃうよ、悲しいよ」と述べる湊斗の深い台詞へリンクするもの。もちろん殺人事件のようなことは起こりようもない雰囲気と展開なのだが。人間も必ず死を迎える。それもひょんなことで、残忍にもあっさりと……。そうした世界の物事の〈終わり〉を、ふっと挟み込むことで、この後の予期しない(できない)「別れ」を増強させてもいるよう。 また軽々しくふざける光がいなされた後の「全然受けない、おもしろくない」は、直前の湊斗が部屋で見ていたTVの漫才を受けた効果も含んでいる。

(湊斗がキッチンにいく)

想には聴こえないものの「紬意外と主婦っぽいっていうか…」という独り言の内容は、どこか想への当てつけのようにも映る。元彼への今彼としての不安(「自信のなさ」)と強がりが滲む。

(*湊斗の話す声がタブレットに文字で起こされていない)

聴者の「音のある世界」では、距離が離れるにつれて徐々に音が遠く小さくなっていくが、聴こえない想の「音のない世界」では、それがある瞬間に〈文字にならない〉という突然の明確な“切断”として認知される。その容赦ない孤独感と悲哀が想を襲う。実際それを盛り立てる形で、視聴者は「湊斗の声が徐々に小さくなって消える」音響効果を聞く。想はそのようには聴こえていないが、それをイメージしている。
すぐそばにいるのに「声」が自分には届かない。でも自分からの「声」は届く距離。想の決意へつながっていく。また、ここには便利な音声認識アプリ(現代のテクノロジー)の限界も映し出されて、耳が不自由な人の「生きづらさ」も投影されていて秀逸。

(*意を決して想が声をだす)

湊斗の振り向く驚きには、ただ「想が声をだした」というだけではなく、そこまでの数分間、自分が「想が聴こえないことを忘れ」て、一人で話をしてしまっていたことへの気づき・後悔がベースにある。それがわかり「ごめん」と、狭い部屋を小走りで急いで駆け寄るところに、湊斗の純な性格が凝縮されている。

喋った方がいい?

2話での「コーヒーかココアか」を軸とした“二者択一”演出を引き継いだ台詞作り。この質問に答える「想が好きな方で」の湊斗の言葉にも“~の方”とあって、精緻な演出展開がになっている。また想の声に、湊斗が言葉なく「首をふる」だけというのも沁みる構図。これまでの「想が話さ(せ)ず、相手側が声をかける」光景を、しっかり反転させた形をとっている。

想が好きなように話せばいい

ラストの会話部で伏線的に響いてくる。湊斗が想に優しさたっぷりに与える《話す自由》が、遮り奪われる形で、辛く悲しい結末が劇的に描かれる。

紬、大丈夫だよ

この前後も(この物語全体がそうだが)、何度も「大丈夫」を湊斗が反復している。「大丈夫」がひっくり返って「大丈夫でない」時、あるいは「大丈夫でなくなる」時にこそ、このフレーズが強調されてきた序盤部。言葉を発する湊斗自身は、決して大丈夫とは言い切れない心理。またこれ以降、カメラ(映像)が想のタブレット画面を映していない。文字にならない声のトーンや、やや時差をもって確認する表情なども踏まえて見返すと、湊斗の言葉の鋭利さも目立つ。

想の心配なんか要らない

紬を気遣っているであろう想を安心させるための文句だが「この三年ずっと一緒にいたけど、全然大丈夫。ずっと元気」などは、同時期に耳がほぼ聴こえない生活になった彼の想いは、どこか置いていかれているような淋しさも募る。

任せとけ

現在の恋人としてのプライドと、想の不安解消が混じる。これを受けた想のタイトルバック前後の「笑みを浮かべようとするが、すぐに表情がこわばる」微妙な表情が何とも切なく、複雑な内面を演じてうまい。

でも今の紬もちゃんと楽しそうだから

さり気ない「も」の重さ。「は」ではない。想との恋、想と過ごしていた青春の時間を、別物や遠い過去にすることなく。同じ恋として、同じ紬の恋人として《対等》に扱おうとする湊斗の実直で優しい本分が、よく表れた台詞。

聞かれちゃマズイ話

向き合って喋った「想と湊斗」の話から。「紬と真子」さらに「紬と湊斗」へと、対象がスライドしつつ拡張いくのがポイント。“友人”間から“恋人”間へ。2つのレベルの内緒話が交錯しながら、ラストの紬との交際をめぐる「想と湊斗」だけの秘密の話へと接続していく。

こっちも気を遣わなくていいっていうか

空気を読んだ、場のためのさまざまな気遣い。その最大級にあたる「紬と想のことに気を遣った」湊斗の決断が、最終盤で待ち構えている。

(缶ビールを光に渡す)

2人で勝手に「飲んだ分」を補充すべく買ったもの。おそらく届けようとしたのだろう。後にでてくる湊斗の重要な台詞「元に戻れる」へかかっている。ちなみに、解説版では缶ビールは数本となっているが、映像上は4本。その1本を渡すのは、部屋に残る紬・湊斗、光そして想。彼ら1人1本のような分け方に映って、この時点では4人の円満な〈関係〉構築を予兆して幸福そうにも映る。

(*缶ビールを想の頬に押し当てる)

購入したばかりで冷たい。それを1本あげようとするが、光の言葉が通じない。そんな中、ほっぺに缶を当てる行為は、耳でも目でも伝達が難しければ「触覚」へ訴えかけるよう。言葉によらないコミュニケーションを強く印象させる。また〈同じ種類の冷たいドリンクを1本手渡す〉のは、ラストのロッカーシーンへつながる伏線でもある。また先の「ぬるいコンポタ」とも対称的。加えてそのアクションが「胸キュン」の典型で、それを元彼とその相手の弟の間でやりとりするのも感慨深い読後感を残している。

ワシャワシャしていいですか

散歩中に遭遇する大型犬を撫でる際の会話。見逃しそうになるが、カットが変わった後に続けて紬が「モフモフ」とも言っている。物語特有のオノマトペ(擬音語)の“語の繰り返し”で、次回への大事な基盤にもなる。

(犬を撫でながら紬が想の手を握っている)

対照的に「手を繋いでいない」想と奈々の関係性を考えさせる場面。

生き物はなあ

冒頭の「死」の表現と結びつきながら、彼の生き物、あるいは生に対する死生観が見える。世界の宿命である生物の死を通じて、避けては通れない「終わり」に対する諦めにも似た感覚が、哀しみを帯びて伝わってくる。この段階で「もし別れても……」のくだりに別れを決めていた様子はなさそうだが、湊斗のこうした価値観が、別れの決断の潔さや決意へ続くこと十分感じとれる。

ぬるっとつき合い始めちゃったから

コンポタの温度の「ぬるい」と重ねられた同音意義的な表現。そして始まりが「ぬるっと」していただけに、だからこそ終わりは「唐突にはっきり」とした形をとる。

一緒にいたの彼女(笑)

このLINEを見た湊斗が横断歩道を渡っていく。その時、音響信号の音が響く。主に目が不自由な人へのツールだが、これを必要とする障がいや病の人は他にも多い。作品テーマである聴覚だけでなく、こうした何かしら助けを必要とする「不自由を抱える人」と「社会」の現状と制度問題を、そっと物語に挿入する。作り手の意識と想像力の高さがうかがえる箇所。――ちなみに、何度か横断歩道が登場してくるが、その全てにこうした「補助」は十分整備されているだろうか。そういう辺りをドラマの中で、向こう側のフィクションとして素通りしてはいないか。いま一度確認してみたい。

ろう学校の先輩(との結婚)

奈々と友人との会話。耳が不自由な人・ケースも多様。そこへの更なる理解と共に、当事者の現実認識も重要。先天性の病を抱えるろう者と中途難聴者との「隔たり」に触れている。奈々たちが話す「当たり前」と、私たち聴者、それだけでなく難聴者の当然がぞれぞれ違うことを改めて考えさせられる鋭く重い場面。後にある春尾の「ろう者同士みたいに分かり合えないです」という台詞(価値観)にも重ねっていく。

みんな元に戻れるなって 戻れたら嬉しい

フットサルへの誘いの話として「みんな」は、当時の部員仲間・友人を指しているように受け取るが、既にこの時点で湊斗の中では“紬と別れる”ことも含まれている。「みんな」は、過去の紬や湊斗、想にも及ぶ。言葉の難しさと豊饒な多義性を、後から気づくことになるフレーズ。

「湊斗にフットサル誘われた?」

このLINEを想が受信して読むのは、解説版にある通り、紬と再会して話しかけられたのと同じ駅前。しかも横断歩道だ。まだ迷っているが「踏み出す」勇気と未来が暗示されているかのような場面状況。

ただ平等に接することだけが正解だとも思わない

特別扱いや差別は問題外だが、「平等」は押しつけにならないのか。「理想」になってしまうのか。ダイバシティが尊重される現代社会で、一体となって考えていかねばならない問題が鋭く台詞で突きつけられている。

手話ができるってだけで、分かった気になりたくないんです

物語の展開でいえば、ラストで湊斗が別れを切り出す直前。想の気持ちを代弁する紬を、物語自身で〈批評〉するような一言。

だとしたら、振られてすぐ付き合ってるよ

「想の耳が聴こえなくなってから」=「湊斗とつき合い出してから」の3年間に目が向くが、それまでの〈5年間〉は、紬は想を忘れられず、湊斗は純粋な片想いを続けていた時間で、その重さも常に見逃してはいけない。

いつもの感じで

想が来たら「昔のような感じ」で、もし来なかったら「普段の感じ」でという意味。2パターンの状況を、同一のフレーズで表現するところに、過去と現在の垣根を〈言葉〉で超えるようなテイストがあって出色。

(紬の寝言)

1話の電話越しに聴こえる家族の声を受けたシーン。また光のかけた「暇すぎて電話」も、公園で想に言った「何かあったら電話して、何もなくても電話して」も想起させる。電話直前には「電車」が走るカットが置かれている。光が帰省中であることから、田舎の列車。この物語で「電車」は移動手段以上の意味を持っている【――省略――】。

紬はちょっと借りるんだけど

日曜日に紬と用事があることを伝える表現。だが、何気ない「借りる」に対する、「返す」の意味合いが重い。次に紬が光のもとに返す(帰る)時には、もう湊斗は彼氏ではなくなっていて、光との関係性も変わってしまうことを含みこんだ深い一言。

手話覚えれば?

湊斗から光への薦め・助言。「なんで」という反撥には、
①紬と別れた後、想と寄りを戻すだろう。そうなれば、弟としてもコミュニケーションのため、手話習得をするとよい。そうした未来(湊斗が紬と別れること)の嫌な予感による。
②元々何らかの事情で、光へ手話習得を薦めてきたが、それを拒絶したままでいる。
の二種類が考えられる。

通訳さん

想と湊斗をめぐって「くん」付け(逆の呼び捨て)が印象的に描かれているが、彼女は青羽か紬で「さん」付けされない。そんな点でも、ここで通訳を請け負った彼女はいつもと違う運命に立ち会う〈特別な存在〉として浮きあがる。シーン直前、想は駐車場出入口から入ってくる。そのしましま模様のバーは、3人が再会を果たした(2人でいる所を湊斗が目撃した)あの日の「踏切の遮断機」と重なる。運命の徴のようだ。

がんばって(それだけ伝えたら悪口だから)

厳密には「何とかしてやってよ」と通訳するところ。意訳のようになっている。スムーズかつ分かりやすい伝達のために、必ずしも言葉をそのままに置き換えるばかりではない「通訳」の本質・難しさが見える。

呼んだら振り向きそう/何か通じたっぽい

真子が想を呼ぶ声を、周りのメンバーたちが教えて気づく。聴こえた訳ではないが「声が届いた」のには違いなく、これから耳が不自由な想と仲間たちの“希望の未来”が感じられる一コマ。

(*湊斗が交代してベンチにくる)

バトンタッチをする際に、湊斗は「任せた」と発している。ここから描かれるのは「任せて」といった湊斗が、紬のことを想に「任せた」結論を伝えること。そして、それ(様子がおかしいこと)に想がコートの反対から気づくラストシーンに向けて。恋愛という試合(コート)に立つのは、湊斗に代わって想になる。湊斗はベンチでまさに恋を応援する側へ移る。それが暗示的に鮮やかに描かれている。

変な気遣わなくていいから

吸わないタバコを吸うを理由に、友人としての配慮で、紬と湊斗を2人きりにさせようとするための台詞。
冒頭からの
・想と湊斗を2人きりで対話させるため ←紬と光がファミレスへ
・紬と湊斗を2人きりにするため ←光がコンビニへ
・湊斗たちの想への気遣い(の不要)
それらが土台になってのシーン。最後に残した「仲よくね」の言葉を裏切るように、2人は破局する。

間違えて買っちゃった(コンポタ)

正しく言うなら「想のいたずら」で購入したもの。紬に言う必要がないから事実に触れてないだけでも、①あくまで「自分の誤り」だとするところに、この後に続くロッカーシーンの回想部での〈自分を責める〉ような色を含んだ身の引き方を、いっそう哀しく映す効果を作っている。②「間違えたの?」という紬の返しが、結末を知った後には“自分たちの3年間の恋”に向けた言葉として響き刺さってくる。そして2話の「ちょっとぬるいかも」に対応して、ここでは「冷めてる」。ぬるっと始まった2人の恋。その関係は決して冷えてなどいないのに……下される結論が、温度表現で切なく彩られている。

また過去では、紬は想に「ふられた」印象が強かった。でも今回は湊斗が彼女を「ふる」。ここにもコンポタ演出が効いている。2話で優しさ成分に溢れて配慮抜群な湊斗が、なぜ蓋だけ開けてそのまま缶を渡したか謎だった。《ふって》飲むものだからだ。物語はそのイメージ・言葉を周到に避ける形で、ここへ貯めてきて、爆発させて劇を盛り立てている感じもある。

3年前くらい前にほとんど聴こえなくなったんだって

あの日想とまっすぐ向き合って、LINEもするようになって。昔と同じように通じ合っていると思っている湊斗。でも、手話ができる相手、紬にはより「たくさんのこと」を話している。それは時間的にも当然なのだが、そこに大きな断絶を感じる湊斗。特に、想が音を喪失した「3年前」という時間を、彼女から改めて伝えられる衝撃は計り知れない。その時間は、彼と過ごした時間そのままで。いま正に湊斗自身、彼女が「本当に楽しかったか」と強い疑念を抱いているだけに、追い打ちのようにショックを与える。

イヤホンつけても音流れて来ないのかぁとか……

この直前までは「~だって」と、想の話の伝聞が主。いわば想の言葉を《通訳》するよう。でもここからは、想の想いに寄り添い、もっと言えば、想の内面を《代弁》しているよう言葉は続く。

紬、お願いがあって

交際中、彼女の希望に「なんでもいいよ」という大らかさで応えてきた湊斗。例えば2話のコンポタ、ハンバーグにつける主食、3話で描かれた出会いのドリンクバーのように。いつも彼は「選択肢」を与えるなどして、紬の自由を第一につき合ってきたと思われる。それだけに、彼からの「お願い」は特別な重さを持っている。

別れよう、好きな人がいるから

想が紬をふった「好きな人がいる。別れたい」に呼応する台詞作り。そこでの「好きな人」は紬のことを含んでいた。それが別れのフレーズながら、その中にひそかに忍ばせた“伝わる”ことが難しい魔法のコトバだった。それに対して、ここでの「好きな人」は紬に加え、想のことも含まれている。恋愛感情としての好き/友情としての好き。2つの間で葛藤した湊斗の想いが凝縮している。

(*想がコンポタのボタンを押す)

高校時代、よくこうしてふざけていたのだろう。紬のコンポタ好物が、想が好きだからなのかどうかで解釈が変わる所。紬が好きなことは知っているなら、想は意図的に狙って押したように見える。「紬が好きなのコレでしょ」的な、友情の会話のパスだ。でも彼女の好物を“変わらず”記憶したままの想を目の当たりにして、一気に湊斗の心は決壊していく。

(ペットボトルの水を渡す)

冒頭の光に渡されるビールと呼応したシーン。2人の飲み物は同じ。まるで想いが重なり共有されている印象が、まず強く飛び込んでくる。だがそれとは反対に、紬をめぐって2人の気持ち・考えは別れて、切ない結末をたどる。そしてこの物語では「水=涙」の象徴だ。ペットボトルの水でいえば、妹・萌が遊びにきた時も、お茶と水。2人の飲み物には差違がつけられてあった。ここでは、互いに溢れて流す「友情の涙」の象徴のようだ。

ちゃんと食べて寝てるかだけ、それだけは気にかけてね

「身を引いて」彼氏(恋)の座を譲ろうとするフレーズの始まり部分。序盤の対話にあった「任せといて」の逆に、紬のことを〈任せる〉湊斗なりの必死の言葉。話の様子がおかしいことに気づく辺り。文字を読む想の“喉ぼとけ”が大きく動いている所に注目。出てくる言葉を受け止めつつ、それでも即座には声を出すのが叶わない(ためらわれる)中で苦闘しているように映る。

この3年、本当は楽しくなかったと思う

前回の「喜怒哀楽」モチーフを受けたもの。まだ終わってはいなかった(そう思って観ていたのは浅はかだった)。想の病を受け入れるより「楽だった」から発展して、同じ語を今度は《楽》として使い、それを否定することで劇の流れを作っている。

何でもいいよって。紬の好きでいいよって

自分がつまらない恋人だったのではないかということが、一番の問題なのではない。「紬が教えてくれた音楽とか映画とか」で、湊斗の言葉が詰まり、一気に感情(涙)があふれ出すことからも。スピッツを含めて、彼女が「好きなもの」は想由来の、想に結びついたものだったと思われる。それを湊斗は積極的に“上書き”するようなことはせず、いや性格的に出来ず、むしろ〈想との大切な数々の好き〉を温存するようにしながら、彼女を大事にしてきた。切ない。

スマホを出そうとする想の手を湊斗が抑える

かなり力強く抑えている。2人を想って身をひく湊斗が、溢れる気持ちを一方的でも伝えずにいられない。本心だけは親友に伝えておきたい。どれも確かに理解できる。でも想のスマホを強引に抑えつけたのは、耳が聴こえない中で「対等」レベルをこえた酷もあるのではないか。そこで想が発した声は、彼が望んだもの、希望した形じゃないようにも捉えられる。そこに内容や状況以上の哀しさを感じなくもない。他方で、その抑えるしぐさは、必然的に2人がまるで《手を握っている》かのようにもなるのも趣深い。

紬、想の隣にいる時が一番かわいいんだよね。知らなかったでしょ?

表現は直接的ではないが、だからこそ、この一言からはよりビビッドに「紬が一番好きなのは想だよ」というメッセージが伝わってくる。そして「知らなかったでしょ」の問いかけは、紬と初めて手話でやりとりする場面に強調されていた「知ってる」も想起させて、3年間抱えてきた湊斗の不安と辛さを一気に浴びせるようで苦しい。

いつでも自分が見てきたあの紬だと思ってきたでしょ

恋の思い出や記憶がもつ残酷な一面をつくような一言。耳が聴こえない想には、「彼女の面影」はその声とともに、胸に人一倍強く、あの頃のままに“保存されている”だけにつらいフレーズ。

耳、聴こえないんだよ

この声が切ないのは、その意味だけでは決してない。今回、私たちは真逆の「想の声」を2つ聴いたのだ。冒頭の会話シーンにあった湊斗を呼ぶ声。それは、友情に裏打ちされた勇気の意志のかたまりだった。それに対して、ここにある「耳が聴こえないんだよ」はスマホを抑えられて仕方なく発するしかなかったもの。彼には他に言語表現の手段がない訳だから。同じ絞りだす声ではあるが「好きなように話せばいい」に反したこの発話が、ずっと胸を締めつける面も無視できない。

耳、聴こえないだけでしょ

「だけ」は、湊斗の優しさゆえ出た言葉。それ以外は何も変わっていないことを伝えるものだが、その反面でどこかで「聴こえないこと」の重さ・困難について、2人に大きな認識の相違があるようにも響く。

喜ぶから

「喜怒哀楽」の着地点は“楽”ではなくて“喜”なのだ。熟語でいえば“終わり”ではなく“始まり”が終着。それが湊斗の価値観であり、彼なりの優しさが見出した答え。しっかり“怒”に始まり、“喜”へ恋と物語を導く。自分自身の恋愛を閉じて、紬のために、そして彼女と想の恋のための「はじまり」を再び作る。それが見事なまでに台詞の言語表現面でも演出されている。


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