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30年の住宅ローンと未来の前借り

やだ。

やだよ。

なんなの、もう。

思い切って家を買うことにした。土地もついてる。長野県信濃町の大自然に居を構えて、C.W.ニコルのように生きる覚悟ができた。ただし、宵越しの金を持たないスタイルで生きてきたため、銀行口座には8万円しか入ってない。どうすればいいのか。お金を借りるしかない。昔の自分なら消費者金融に駆け込んでいたかもしれないが、長野に本拠地を構える中小企業社長として銀行へ行かざるをえない。

「すみません、お金を貸してください」

意外や意外。下からすくいあげるようにお金を借りる立場かと思いきや、地方銀行マンの方が低姿勢だった。お金を借りる側の方が偉いだと…? 思春期に親父が闇金にお金を借りていた世界とは真逆だ。よくよく考えれば、お金を貸すこと自体がビジネスになってるのだから当然なのかもしれない。それでも、違和感は拭えない。なんだろう。お金を借りるっていいことなのか。

銀行でお金を借りる行為は、社会的信用を調査されることと同義である。大手企業に勤めていれば、35年住宅ローンなんて余裕で下りる。会社の信用に紐付いた「未来永劫あなたの会社は潰れることはありません。だからお貸ししまーす!」の判断は強い。

幸い小さい会社ながらも、クリーンな決算書が手元にあるため、なんとかなりそうな感じではある。それでも30年後の68歳まで働き続けて、ずっとお金を稼ぎ続ける未来を想像するのはツラい。身体が動く限り、脳が機能している限り、それなりに生きていくことはできても、毎月のローン返済に追われるのは本能的な不安にフタをして感覚を麻痺させる行為に近いと思っている。

金融の仕組みが人間社会を発展させてきたのは事実。使えるものは使ったほうがいいし、病気になったときの保険もあるし、一度借りてしまえばもうそれは開き直って「頑張って、稼ごう!」の司令を脳から指先に送り届ければいいのだろう。

でも、やだな〜〜。この後戻りできない感覚。

麻痺したのちに未来の前借りで、理想的な暮らしを実現する矛盾。自分の人生を考えたときに、この決断ができるのはこのタイミングが最後かもしれないなと思う。このもやもやした感情は少しでも文字に残しておきたいし、働いて稼がないとこのもやもやが背後から忍び寄ってくる緊張感はエネルギーにもなりうる。

借りてこ、金。

1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!