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バーンアウトの一歩手前、「熾火」で踏みとどまる年始の自己分析

新年早々、やる気が全く出ない。きっとみんなそうだろう。正月ボケは生活リズムが乱れることによって生まれる。食いすぎる。寝すぎる。緊張感を失って、ただボーッと過ごす。人間にとって必要な時間だと思う。正月ぐらいはゆっくり過ごせばいいんじゃないか?

だが、それができないタイプもいる。おれだ。何を隠そうおれの中のおれだ。20代半ばまでは新聞配達の朝刊で正月休みなし。平行していた松屋バイトも休日出勤が当たり前。毎日毎日働くことが自分のリズムになってしまっている。社会人生活以降はさすがに年末年始は休んでいるものの、全国行脚が脳と身体に与える刺激はきっと中毒性があるのだろう。止まると、不安になる。

あれだけ「休ませてくれ!」と日々叫んでいたにもかかわらず、実際に世の中の動きが止まった休みを与えられると戸惑ってしまう。丸3日間、家で過ごしたらもう衝動が生まれてくる。

「あの狂乱の日常へ戻りたい」

これはもう病気なのかもしれない。同時に出版以降の過剰な行動が与える脳と身体への負荷は相当なものだったと思われる。休む必要性をあれだけ感じていたが、アドレナリンを強制的に分泌し、乾いた喉を潤すようにリラックスを追い求める。熱々のサウナとキンキンに冷えた水風呂の交互浴の関係性に似ているのかもしれない。どちらもないぬるま湯の日常に身体を慣らせるべきなのだが、極端な世界に身を置き続けることでエネルギーを得ているのも事実。全国移動でエネルギーの一部を消耗しながら、旅先の滞在時間でエネルギーをチャージしているのではないか。もはや謎の生き物だ。

一方で「バーンアウト症候群(燃え尽き症候群)」にも近い状態なのかもしれない…と考え始めている。やる気のでなさ。好奇心の減退。来たるべき不景気に向けた経営者としての思考と心構えは、ビジネス的な情報につい反射で手を伸ばしてしまう。不安の根っこを栄養源としたスマートフォンの中の情報構造はなかなかにエグい仕様だ。どこまでいっても不安を煽る。正解のない中での仮説を有識者が言い合って、解釈を視聴者や読者に委ねる。ついついそれっぽいものに触れて「わかった気になる」ことを疑っているタイプだったが、やる気のでなさと寝転がったYoutubeの相性はあまりにもいい。怖いぐらいにおすすめ動画があがってくるのだから。

要は「やりたくねぇな…」と心底気づいているのに、「やるしかねぇんだな…」の気持ちが衝動を弱らせるというか。そんな甘いこと言ってんじゃねぇと言われたらそれまでなんだけど、元々やらなくてもいいけれど絶対やったほうがいいことを人一倍やってるからなぁ。

バーンアウト症候群について調べたら

バーンアウトはさまざまな研究が進み、Maslach Burnout Inventory(MBI)と呼ばれるバーンアウトの尺度があります。MBIによると、以下の3つがバーンアウトの代表的な症状であるとされています。

また、これら3つのバーンアウトの代表的症状は独立したものではなく、互いに関係し合っています。

①情緒的消耗感
情緒的に仕事へ力を尽くした結果、疲れ果ててしまった状態を情緒的消耗感と表現します。注目すべきは、身体的な疲労ではなく情緒的であるという点です。顧客や同僚の気持ちを思いやり、時にはプライベート面も含めて配慮しながら信頼関係を築こうと努力を重ねた結果、情緒的に消耗してしまう状態に陥ってしまいます。誠心誠意がんばったのに、そのがんばりに応じた成果が得られず疲れ果ててしまうのです。

②脱人格化
顧客や同僚へ思いやりのない態度を取ってしまう症状を脱人格化といいます。人は情緒的なエネルギーがなくなると、自分を守るために脱人格化の行動を起こしてしまうのです。問題が起きたらすべて人のせいにしてしまう、あるいは他人の悪口が増えるといった行動がその典型です。

③個人的達成感の低下
情緒的消耗感があらわれ脱人格化の状態に陥った人は、顧客や同僚とコミュニケーションの齟齬が起き、どうしても仕事の質が落ちてきます。
成果も急激に落ちて達成感ややりがいが得られなくなった結果、自尊心も傷つけられ休職や退職につながってしまうケースもあります。
https://mba.globis.ac.jp/careernote/1494.html

こんな感じだった。表現としておもしろかったのは「情緒的消耗感」。いや、これもう完全に『おまえの俺をおしえてくれ』の執筆・出版がトリガーになってそう。上記の「めっちゃ頑張ったのに報われない!」は一切ないんだけど、自分のアイデンティティを掘り下げまくって、世の中に放り投げる作業は情緒的に消耗する荒行でもある。慣れていたつもりでも、なんやかんやの反動が心身に起きているはずで。自分の心の穴を埋めようとせず、その形を見極めて愛でることが大事だよって書いてたのに、その行為自体でまたも穴が開いてる状態だったのかもしれない。

そんな穴に効いちゃう処方箋が「過剰な刺激」だとしたら…?

どんな薬でも、やべえドラッグでも、じじいが飲んでるマムシの粉でも、一度飲み続けた処方箋が切れたときに「飲んでる分だけ足りなくなる」のは自明の理。つまりバーンアウト症候群の一歩手前な状態は、ちょっとした禁断症状が出始める「適応の時間」なんだろうな。お酒でもタバコでも、断って3日ぐらい経ったらなんかウズウズしてくるから。逆にいえばこの初期症状を乗り越えて、グッとこらえて刺激の弱い生活を選び続けることが一番のリハビリになるはずだ。

人間は単純な側面もある。年末年始の流れで通えなかった接骨院で、1時間半みっちり身体にダイレクトな刺激を入れてもらった。能動的な運動とは言えないけれど、人を介した強制的なストレッチは心にも好影響が生まれる。「あれ、もしかしておれは怠惰な生活で身体が落ちていただけでは?」と錯覚できた。なんだもう大丈夫かもしれない。

動きたくないなら動かなくていい。それでも人と会って、話して笑って、適度に酒を飲んで愉しめばいい。オフィスに通うのもいつもの日常を取り戻す手段のひとつだ。働けばいい。文章をかけばいい。旅をしたければ旅をすればいい。結局、毎年このルーティンの繰り返しなんだろう。どうあがいても刺激にまみれた全国行脚のマラソンのトラックコースにぶちこまれてしまう生業だ。この性分を理解しながら、燃え尽きる一歩手前の熾火で心身をキープしていくのが宿題なんだと、この文章を書き終えて気づくことができた。やっぱり文章を書く行為はセラピーだな。書いてよかった。

みなさん、今年もよろしくお願いします。


1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!