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自己決定を繰り返して、おもしろく生きる

一年ほど前に自己決定と幸福度に関する話を聞いた。

要は自分の人生を自分の意思で決めてこれたかどうかが幸福度を上げて、いわゆる親のレールに敷かれたような大学受験→大企業に入るような生き方は幸福度が低い傾向にあると。

自分に置き換えてみた。30歳過ぎまで幸福だなんてあまり考えたことがなかったけれど、振り返るとターニングポイントの進路はすべて自己決定で生きてきた実感がある。むしろ、自己決定のみかもしれない。

大学の入学難易度、つまり難関大学を卒業したという学歴は、アジア人を含め日本人にとって重要であると考えられています。しかし、入学難易度を考慮して学歴を調査したところ、主観的幸福感への説明力は統計的に有意ではありませんでした。

一方、世帯年収額と自己決定指標は主観的幸福感に対して有意な説明効果を持ち、さらに自己決定指標の方が強い影響力を持っていました。自己決定は所得や学歴よりも主観的幸福感に、より強い影響を与えているということが分かったのです。そのため、これまではあまり変数として取り上げられませんでしたが、自分で人生の選択をすることが、選んだ行動の動機づけと満足度を高め、幸福度を高めているのではないかと考えています。
https://www.rieti.go.jp/jp/publications/rd/126.html

自分の生きてきた道は決して平坦ではなかったし、誰かに自慢できるようなものでもない。文化的資本に恵まれず、古本やTSUTAYAで安価のカルチャーを過剰摂取して、途中からは時代に恵まれたパソコンとの出会いによって、時間と距離、そして経済力を無視した世界で表現することや未知の人たちとコミュニケーションしてきたのは大きな経験だったと思う。

いま発売されている雑誌『Spectator』の”パソコンとヒッピー特集”を読んだら、これ俺じゃねーかとなったくらい。どうりでアウトサイダーな人たちに好かれるわけだ。身体性と移動を兼ね備えたステレオタイプなヒッピー像ではなく、精神性と情報距離を掛け合わせたタイプのヒッピーが世界中に増えているのかもしれない。ちなみに現在は、前者の身体性と移動タイプの生き方になっていることは自覚しなければならない。一生、アウトサイダーなんだな。

自己決定の話に戻すが、パソコンとリアルを行き来していた10代後半から20代前半にかけての体験があまりにも強烈だった。現実社会の不安をすべて仮想現実に逃げ込んで、アバター的な仮面をかぶって立ち居振る舞う。最初はテキストサイトと呼ばれるホームページ文化。ただただ自分の存在を誰が見てるのかわからない空間に文章を投げ込んでいた。

次はオンラインゲーム。SEGAのドリームキャストの『ぐるぐる温泉』『ファンタシスターオンライン』に何百時間も費やしていた記憶がある。今となっては当たり前のオンラインという概念がいかに革命的な体験だったか。大阪の貧しい家庭で育った自分にとって、経済格差や文化格差を超越し、何者でもない少年が、ただ違う誰かになりきる。

そこには現実社会の写し鏡となってしまった今のSNSにはない、純粋な仮面としての機能美があったように思う。純度の高い現実逃避が与える影響は負の側面もあるだろうが、自分にとっては誰にも比較されず、誰にも邪魔されず、自分の決定権だけを持って生きていられるインターネット空間は天国そのものだった。

ライターの世界に憧れをもったきっかけは、誰にも頼まれずに毎月50本以上のレビューブログを運営していた時代のこと。当時、日本語ラップに傾倒していた。この世に存在する音源は全部聴くぞ!と収集に躍起だった。月に何十枚も作品を聴き込む生活をしていて、2〜3回聴き込んだらレビューを執筆。といっても素人が1時間ぐらいで走り書きのようにレビューの真似事していただけに過ぎないのだが、この膨大なレビューをアーカイブしていたホームページに一件のメールが届く。

「ミュージック・マガジン編集長の高橋です」

音楽専門誌の編集長から「日本語ラップのレビューを書いてみませんか?」と誘われて、当時20歳ぐらいだった自分は脳に雷を打たれたような衝撃と喜びと感動を抱いて、真っ先に四畳半の部屋を飛び出して親父に報告したような気がする。弟だったかな。記憶が曖昧だけど、好きで勝手にバカみたいな量のレビューを書いていたら、足を踏み入れたこともない東京の雑誌編集長からメールが届くなんて、これはもうパソコンを発明した人に感謝だし、インターネットの可能性に賭けてくれた先人に足を向けて寝られない。いや、もう方角がわからんから向けてしまってるだろう。

夢も希望もない。目の前にあるのは大量の新聞と松屋の牛丼と親父の闇金。そこに飛び込んできた「レビューを書きませんか?」が人生初の「音楽ライターになってみたい!」という夢であり、目標だった。

ここからはもう自己決定の連続。ダイジェストでこれまで自分で勝手に決めて実行してきたことを挙げると…

・音楽ライターになるべく、日本語ラップWEBマガジンを立ち上げる

・親に一度も相談せず、上京を決める

・柿次郎の名前で生きていくことを決める

・そして「柿」のタトゥーを入れる

・就職も転職も自分で決める

・独立して会社を立ち上げることを決める

・すぐに二拠点生活を始めることを決める

・その直後に長野でお店を始めることを決める

特徴としては一度も就職活動をしていないし、転職活動もしていない。普通に生きていたら「こうあるべき」のゴールが立ちはだかる。傾向と対策を練って平均化した正解に向かって、自分を偽る作業が発生する。運がいいのか悪いのか、日本社会にシステムとして備わっている「こうあるべき」の包囲網をかいくぐり、気づいたら自己決定だけで今の自分になっているわけだ。

結果、38歳時点では幸福度が高い人生を送れているとは思う。もちろん浮き沈みあっての人生なので、いきなり病気になったら大変だし、事故って死んだらおしまい。それでもいま死んでも悔いがないように自己決定の筋肉を鍛えて、やりたいことをやりたいように選択できる状態は誰がどう考えても幸せに近づきやすいだろう。

こんなnoteも書いているが、自己決定でカードデッキを構築し続けた結果、何を引いても対応できるようになってきているし、それこそどんな過程であってもおもしろがるようになれたのかもしれない。だからどうってわけじゃないけれど、たまたま自分はそうだった。「こうあるべき」の包囲網は真面目なほどに網目が細かく迫りくるものなんだろう。そことの差異が自分のパーソナリティを形成し、誰かがおもしろがってくれる。全員が全員、一緒なわけがないんだから。生まれて死ぬまでの時間が平等じゃないからこそ、自己決定を繰り返して、最後はやりきった灰になってしまえばいい。


1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!