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「自分」はなんだろう?の理解を諦めて、「自我」と「自己」に切り分けて考えたらハッピーな世界に辿り着いた

もうすぐ38歳になるけれど、いまだに自分のことが自分でよくわかっていない。

他人を取材して言語化するのは好きな方だと思うし、日々出会う人たちの目の奥を覗き込むような癖があるくらいだ。当てずっぽうな見立てを勝手にバーンと作り、医者の往診感覚で言葉を交わす。当たっていても、当たっていなくても、この見立てを作ることが他人との接点を生んでいる気がしてならない。

しかし、自分のことは本当にわからない。

どんな顔をしているのかは鏡を見ればわかる。プロフィール文言のために趣味を並べることはできる。人生に大きな影響を与えたヒップホップには、マジ感謝のビッグリスペクトが年々増している。誰かに対して説明できるカードは準備万端。聞かれたら答える。それだけで十分なのかもしれないけれど、自分の認識に欠けているのはなぜなんだろうか?

我が身を振り返ってみよう。会社員の衣を脱ぎ捨てて、独立したここ数年は”自分を置き去りにしてきた”実感が強い。ただでさえノリでつけられた名前「柿次郎」を名乗り、アイデンティティの強制上書きを実行している。自分が自分がであることを忘れて、新たな役割を演じて思い込む中で何かが変わってきたのは事実だ。

そこに高頻度の「旅」が加わった。その目的は「他者」の価値観を依代のように受け入れて咀嚼し、仮想空間のインターネット上にアーカイブすること。自分を置き去りにして、他者をどんどんインストールする行為は文字面にするとなかなかに恐ろしい。水木しげると一晩一緒に飲んでこの話をすれば、鬼太郎に並ぶような妖怪の仲間に入れてもらえるかもしれない。


必要だった自己崩壊ツアー

妖怪道中記ともいえる「全国行脚の自己崩壊ツアー」は5年間続いている。コロナきっかけで一度は終息したものの、仕事と遊びが癒着したような生活では閉じていた蓋がパカッと開いてしまう。

抑圧されたエネルギーは、ボロボロの自己崩壊を起こした龍になって飛び出ていってしまった。それが先日の”2泊3日のつもりで北海道に乗り込んだら8泊9日になっていた件”のすべてである。6泊延長なんてツタヤじゃねーんだから。

不思議なものでコロナの最中に「土いじり」と「バス釣り」にハマって、移住3年目の長野の土地を軸足にできた感覚がある。大阪で生まれ育ち、東京に10年間いたものの、ようやく衣食住の環境を整えられたのは長野だった。

それまでが足りず足りずのちぐはぐな生活だったから、ことさらに今の生活に安心感を覚えているのかもしれない。その結果、置き去りにしていた自分と向き合うことができた。いまもなお、自分のことがわからないけれど、ようやく自分のことがわからないことに気づけたともいえる。

もう、自分のことを理解するのは諦めた。他者が話す自分を物語のように愉しめばいいんじゃないか。その物語が楽しくおもしろければいいんじゃないか。そんな風に思えるようになったことと10年以上放置していた虫歯治療に時間をあてられたのは、皮肉にもコロナのおかげだ。


自我と自己


「自我(エゴ)」と「自己(セルフ)」を切り分けて考えてみたい。

20代の大半は自己を守るために、自我で武装していた。その自我も薄い鎧を身に纏っているだけ。すぐに傷つき剥がれてしまうようなペラペラの粗末なものだった。

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自我?

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自己?

いまを生きるために野心を燃やし、自己を守りながら構築するための生き方は、当然長く続くものではない。息切れを起こし、何度も何度も自己崩壊の沼に陥っていたように思う。それでも続けてきた。ひとつのやり方しかできなかった。よりよく生きるために、自己を確立するために、わたしは全国行脚の取材に知恵を見出してきたのだろう。

ようやく自我を小さく折りたたむことができるようになった。自己を構築し、他者に対して自然と寛容さを持てるようになってきた気がする。そして自分を知ることを諦めることができた。

仏教では「諦める」の語源を「明らしめる」としている。つまり明らかにして、受け入れることである。長い年月をかけて自分を諦めることは、自分を受け入れることだとしたら。ようやくひとつの土俵に辿り着いた。ウェルカム。自分が自分で在ることを誇れる日々。まだまだ人生は否応なしに続くけれど、心身が爆発するような自己崩壊ツアーの旅が今後も必要になる気がしてならない。

さて、生きよ。


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1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!