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【小中学生のための鎌倉ガイド】37.長寿寺

長寿寺ちょうじゅじ


宗  派:臨済宗りんざいしゅう建長寺派けんちょうじは
山号寺号:宝亀山ほうきざん長寿寺ちょうじゅじ
創  建:南北朝時代初期 正確なことは不明 
開  山:古先印元こせんいんげん禅師ぜんじ
関係人物:足利尊氏あしかがたかうじ足利基氏あしかがもとうじ(尊氏の四男)


 長寿寺は通常は拝観はいかんできません。春( 4月~6月 金土日及び祝日)、秋(10月~11月 金土日及び祝日)、12月(1日~7日まで毎日)の期間に拝観が可能になりますが、くわしい予定は、鎌倉市の観光情報等により確認してください。

長寿寺 階段と山門

 長寿寺ちょうじゅじが建てられた時期ははっきりしていないが、足利尊氏あしかがたかうじが自分が住んでいた家の跡地に建てた寺が始まりであると言われている。足利尊氏は室町幕府の初代征夷大将軍せいいたいしょうぐんになる前は、鎌倉幕府の御家人ごけにんだった。そのため鎌倉に住んでいた。
 延文えんぶん3年(1358)に尊氏たかうじが死んだあと、尊氏の四男足利基氏あしかがもとうじが、父尊氏たかうじ菩提ぼだいとむらう(冥福めいふくいのる)ために七堂伽藍しちどうがらんを備えた堂を建てたと伝えられている。七堂伽藍しちどうがらんとは、禅宗ぜんしゅうでは、法堂はっとう仏殿ぶつでん山門さんもん僧堂そうどうなどの建物を意味していて、つまり建物が充実した立派な寺だったということになる(現在は、すべての建物は残っていない)。

 開山の古先印元こせんいんげん禅師は、長寿寺の初代住職である。永仁えいにん元(1294)年に生まれ、8歳で円覚寺の桃渓とうけい禅師のもとで修業をした。
 長寿寺の本堂には、足利尊氏あしかがたかうじ坐像ざぞう古先印元こせんいんげん禅師ぜんじ坐像ざぞうまつられている。

本堂

 境内にある五輪塔ごりんとうには、足利尊氏の遺髪いはつめられていると伝えられている。遺髪いはつとは、くなった人の形見かたみとして残されたかみの毛のことである。

五輪塔 足利尊氏の墓

 観音堂かんのんどうは、奈良の忍辱山にんにくせん円成寺えんじょうじにあった多宝塔たほうとう(室町時代のもの)を大正時代にここに移し、手を加えたものである。

観音堂

 長寿寺を拝観できる期間は、1年のうちで限られている。その期間に旅行の日程が合えば、ぜひ拝観をおすすめしたい。美しい庭園も見る価値がある。





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