女々しくて

流行歌『女々しくて』で傷つく人たち

もし2019年、令和元年の今、女性アイドルが「女らしくなくてつらい」という歌を歌ったらどうだろう。
炎上商法を疑ってしまう程に、炎上は間違いない。
「女性に女らしさ」を強要する事は、もうすでにいけない事という認識になっている。

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私は女性に生まれながら、男性ホルモンを打っている。
性同一性障害、性別違和、FTM、オナベ。そんな単語のものだ。
男らしくありたかった。男よりも男らしくありたかった。

それでも女々しい自分が目についてしまって、
死ぬほど苦しく、悲しい思いをしてきた。
酒の席で後輩男性が笑いながら冗談を言う。
「レイさん、その行動って、女々しいですよ!」
その言葉に私は笑えるどころか、悔しくて涙すら流してしまう。
そんな自分がまた女々しい。大嫌いだ。

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2009年。平成21年。
この記事を書いているのが2019年7月なので、10年前だ。
2009年に私は、女装をしてキャバ嬢をしていた。
なんとなく私の「華京院レイ」という名前も『それ』っぽいが、2009年の時に私はすでにその名前を使っていた。今はその話は置いておこう。

東京新宿、歌舞伎町。
眠らない街で私は、この題目の『女々しくて』という流行歌を歌っていた。
アップテンポで盛り上がるこの曲は、キャバクラやホストクラブで毎日流れていた。

『女々しくて辛いよ』という言葉から始まるこの曲。
察するに、男性ボーカリスト兼作詞者が、自らの女々しさを自虐的に歌ったのだろう。
その歌詞により、不愉快になる女性は少ないと思われる。
同時に男性が歌っても、自虐のジョークとなり、聞いて不快にはならない。
先輩にカラオケに誘われてしまった新入男性社員が1番に歌うには
間違いの無い選曲であろう。
この歌は、一般的な女性が聞くにはダメージが無い。
一方で、男性が聞いても、「この歌を歌っている人間は、俺より女々しいのだ」という気分にさせ、男性視聴者の「俺はこいつ(カラオケで歌う新入男性社員など)より女々しくない」のだという気分にさせ、心地よい。
紅白歌合戦でも何度も歌われてきた流行曲だ。

この、女性も男性も傷つかない流行曲は、
私だけを傷つけた。

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10年の時が過ぎて、2019年7月16日。

いろいろあって『オナベ』の私は出産し、男性ホルモンを打つ病院の待合室で、スマートフォンで子どもに与える玩具を検索していた。
歌が大好きな子ども。ボタンを押すと歌が流れる玩具を探していた。
そこでたどり着いたのが、この玩具だった。

この玩具に類似した玩具は数個あり、
それぞれ童謡に特化したもの。手遊びに特化したもの。英語曲に特化したもの。
そしてポップスと呼ばれる流行歌に特化したものが、この商品だった。

言葉を覚えはじめた小さな子は、たどたどしい日本語で「きらきらぼし」を嬉しそうに歌っている。
そんな子どもの歌のレパートリーを増やそうと、微笑ましく曲目を眺めていたのだが、そんな私の目に飛び込んできたのがこの『女々しくて』だった。

10年を超えての再会。
10年の間に、私はキャバ嬢をやめて、男性ホルモンを打ち始めて、かと思えば妊娠出産して、今となりには小さな子どもがいる。
私は目を丸くした。
選曲のポップさにも驚いたが、10年を超えての再会に驚いた。
あの曲だ。
『女々しくて』だ。

私は、化粧を落とした顔に、ぼつぼつと蓄えた無精髭を指でなぞりながら、考える。
「私は、傷ついている」、と。

もし、こうなったらどうだろう。
私の子どもがたどたどしい日本語で、私に向かって笑顔で歌う。
『女々しくて辛いよ』、と。
そんな、私の傷のど真ん中をえぐる歌詞を歌われてしまったら、私はきっと泣いてしまう。
そしてまた、泣いてしまう自分が女々しくて悔しいし、作詞者も私を傷つけるために作ったわけじゃないのに私は勝手に流れ弾を受けたように傷ついてしまって、それも悲しくて泣いてしまう。

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2019年。平成31年であり、令和元年。

女性に「女らしさ」を求めた企業が度々炎上している。
「女らしくヒールのある靴を履け」。「女らしくマナーとして化粧をしろ」。
こういった言葉は炎上するし、私も炎上に同意する。
「女性が女らしくある必要はない」。
ようやく人々がその事に気付き、あと30年もすればその考えは社会に浸透するだろう。

一方で、「男性が男らしくある必要はない」、という言葉は2019年にまだ見かけない気がする。
男性は2019年の今、まだ男らしくあるべきだと無言の圧力を社会から突きつけられている。

先に断るが、この文章は「だから女より男はかわいそう」と言いたいものではない。
筆者は上記の都合により、「女らしくしろと言われる女性」のつらさも、「男らしくしろと言われる男性」の苦しみもわかってしまう。
20年以上、女らしくしろと言われ続け、男性ホルモンを打った今、男らしくしろという圧力がかかっている。
それは、私が「女々しい」という言葉に傷ついてしまう事からも明らかだった。

『女々しくて』がリリースされてから10年。
私は、誰かに「女々しい男でも良いんだよ」と言って欲しいと願っている。
女々しい男でも良いし、雄々しい女でも良い。どちらにあてはまらなくても良い。
2019年、令和元年。
もうそろそろそういう考えでも良いのではないか?

あえて、私がnoteというこの小さな空間で言う。
「女性が女らしくある必要はない」し、「男性が男らしくある必要はない」。
自分らしくて良い。

「女々しい」という言葉に傷ついた事のあるあなた。あなたはとてもあなたらしい。それは悪いことではなく、とても素晴らしいことなんだ。

いつか「女々しい」という悪口の概念がさっぱりとなくなると良いなあ。

2019.07.17

あ、『女々しくて』を歌ったゴールデンボンバーさんのライブはとてもとても面白いのでみなさん是非見て頂きたいです。

2019.07.17

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2019.07.18
一部加筆

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