見出し画像

【初心者向けミリタリー】戦車の歴史あらかると/Panzer018【T-64戦車】

(全3,333文字)
皆さんこんにちは。
毎週木曜日は、かけうどんの趣味の軍事・ミリタリーに関連する記事を投稿する日にしております。

この『歴代戦車あらかると』シリーズでは、世界各国の歴代戦車を”単品”で取り上げてみたいと思います。

今回は旧ソ連軍の決戦兵器、『T-64戦車』について書きたいと思います。

過去のミリタリー関連記事はこちらのマガジンにまとめています。

【T-64戦車】


1.概要

T-64は、1960年代に旧ソ連において、T-55/54戦車の後継装備として開発された第2世代の主力戦車です。

一般的に旧ソ連製戦車は大量生産・大量供給を前提としていたので、シンプルかつ堅牢なつくりが売りでした。

ただ、このT-64だけはコンセプトが従来のソ連軍の装備体系からは少し離れたところに位置付けられており、世界に先駆けて新たな基準をめざした新戦車として開発がスタートしたと言う背景があります。

新型複合装甲の装備化、新たな戦車砲として導入された滑腔砲(ライフリングの無い砲)と、それにあわせて新規設計された新型徹甲弾/APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)、そして前例のないガスタービンエンジンの搭載など。積極的な新技術を取り込もうとした戦車でした。

さすがに、新しいことをしようとすれば、ハードルは一挙に跳ね上がります。新技術とは言え、新型戦車砲や専用弾薬の開発は比較的順調に進みましたが、特に難航したのがエンジンの実用化だったと言われています。

T-64の開発が予定より難航したため、T-64の開発途上で誕生した新型戦車砲を(当時の)現行装備だったT-55に搭載し、保険として中継ぎ投手的役割のT-62が急遽生産・配備されてもいます。

(過去記事・T-62戦車、T-55戦車)

旧ソ連としては珍しく、本車は同盟・友好国への供給はされていません。冷戦構造の中において、対NATO正面に重点的に配備され、旧東ドイツやハンガリーにも秘密裏に配備されたと言われています。

1985年、「対ドイツ戦勝40周年記念パレード」にこの新戦車が初登場しました。西側は、T-72の先行量産型と認識していたようでしたが、実際には、T-64の開発コストの高騰や配備遅延を補うため、穴埋め的に配備されたのがT-72でした。T-72の位置づけとしては、やはりT-64のピンチヒッターとして先行配備されたT-62をちょこっとアップデートした普及型第二弾とも言えます。

T-62とT-72の総生産台数が約4万両余りだったのに対し、T-64は1万2千両と、生産台数もその1/3以下となっています。

2.構造・機能など

(1)構造機能

ユニークな機構として、オプション装備の排土板(ブルトーザーの土をかく板のようなもの)が車体正面下部に取り付けられており、車体を前後に動かすことで地面をほじくって遮蔽物を創り出すことができます。
この機構は、その後の旧ソ連戦車のスタンダードな装備にもなり、余談ですが、排土板自体が増加装甲としての役割も果たせるといった一石二鳥の役割も持っているとされます。

(2)火力など

1975年以降、T-64には先行配備中だったT-72搭載砲の2A46/125mm滑腔砲が装備されています。

1985年以降、更に改良された2A46Mが標準装備となり、自動装てん装置を導入したことで乗員を1名減らしています。(従来の戦車砲を2A46に換装したものはT-64Rと呼ばれる。)

尚、当時の世界で稼働中だった、制式採用された戦車で本格的な自動装てん装置を装備していたものはなく、その点でもかなり先進的な取り組みだったと言えますが…。何しろ新機軸すぎたことが災いし、故障が多かったと言われ、最悪は乗員がメカに挟まれて大けがをしてしまう事故も絶えなかったと言われています。(ソ連の戦車は人を喰うとまで言われたとか言われなかったとか…)

しかしながら、これらの失敗をふまえて、後の装備改善へと繋がって行ったのは間違いなかったと思われます。

(3)機動力

本車最大の特徴は、西側にさきがけて戦車の心臓部にガスタービンエンジンを搭載しようとした試みでした。

ガスタービンエンジンとは、燃料を燃やしてタービンブレードに噴射することで回転力に変換するエンジンで、多くは航空機に搭載されるものが多かったものです。なぜそれを戦車に載せようとしたか?メリットは大きく3つほど考えられます。

①燃料が何でもいい。やや語弊もありますが、ガソリン、軽油、航空燃料など燃焼すればどんな油でもよく、補給面で利点があるとされます。
②機構の特性上、爆発的な加速力が得られる。発進・停止・射撃・移動と、めまぐるしい動きを要求される戦車と言う兵器の特性上、トップスピードまで短時間で到達できるのはかなり有利な要素と言えます。
③小型軽量コンパクト。一般的なガソリンエンジンやディーゼルエンジンに比較すると部品点数が少なくて済む。つまるところメンテナンスが楽。(実際はそうも簡単には行きませんでしたが:汗)

デメリットもあります。
▼燃費が悪い。
▼変速機がかなり複雑になる。
▼整備性が著しく悪い。

結果として、T-64の開発計画がスタートしてから、その足かせとなったのが、このエンジンの実用化だったことは推測ですが大きかったと思われます。

3.運用実績など

1964年から1987年までの間、約1万2千両余り生産されたT-64でしたが、その実用化は難産に継ぐ難産の末に生み出された世界最先端を目指した文字通り「決戦兵器」でした。(T-62=約1万9千両、T-72=約2万2千両)

旧ソ連時代、T-64は同盟国へ供給されなかったのもあって、実戦らしい実戦には参加していません。(アフガニスタン侵攻にも使用されず)

2014年のドンバス戦争において、ウ政府軍が一部運用したとの記録がありますが、2022年の状況を含めて細部不明です。

明確に言えることがあるとすれば、約半世紀前の旧式装備とは言え、主砲の125mm滑腔砲の威力は非常に強力であるということ。対物射撃などではかなり有効だと言えます。

しかしながら、ERAの性能向上によって最新型のT-90MやT-72B3などに対しては、有効性がやや難しいのではないかと個人的には考えます。(ネット情報にはそれなりに出所不明の情報が多数あるものの、紹介や転載は控えます。)

4.最後に…

常に西側を大きく上回る質と量と速度で戦車戦力を設計・開発・装備化・運用してきた旧ソ連でしたが、T-64は新しい試みを多数取り入れようとした結果、それらが足かせともなってしまったと言えなくもないです。

しかし、T-64の開発というチャレンジがあったからこそ、後のT-80のような『地上に存在するあらゆる戦車の頂点に君臨すると言っても過言ではない究極の陸戦兵器であるT-80』を誕生させることにも成功したと思えます。

後から様々な新戦車が多数登場したことで、T-80の優位性は必ずしも世界最強の座を今も堅持しているとは言えないかも知れませんが、登場当時、T-80と戦って互角か勝てる戦車がどれだけいたかは疑問でもあります。

これは単純にスペックだけの比較ではなく、生産・維持・運用と包括的な意味合いを含めて考えた時の話でもあります。

旧ソ連は緻密にして高度に設計されたミリタリーサイエンスというヒエラルキーの中で作り上げられた地上最強の軍事国家でした。T34が旧ソ連でなければ作れない戦車であったことが疑いない事実と同じように、T-80に至るまでの戦車開発の歴史の中において、T-64の存在は非常に貴重な技術的試金石であったとも言い替えれると思います。

戦車の歴史はソ連の歴史
ソ連の歴史は戦車の歴史
(byかけうどん)


毎度のことながら、なにしろ素人が書いている記事です。諸所分かりにくいところもあるかと思いますがどうかご容赦ください。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

(補足・お願い)
本記事は、純粋に陸戦や兵器に関する基礎的情報をミリタリー初心者向けに、できるだけシンプルにお伝えすることを目的に書いております。ウ戦に関する意見・コメントは受け付けられませんのでご了承ください。

よろしければサポート頂けると嬉しいです。頂いたサポートはクリエイター活動費として使わせて頂きます。