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【日記】生成AIについて

(全3,333文字)
ちょっと今更ですが、生成AIのことについて書こうかなと思います。
ほぼ出尽くした感のあるネタですが私なりの考えなどをまとめてみました。


1.chatナントカって凄いらしいね

今まで生成AIについては特に意識したことがありませんでした。

使いもせずに文句を言ったり否定するのもどうかと思ったので、自分が最も得意とする分野について、素人っぽい質問をいくつかしてみたり、少々ツッコんだ角度で質問してみたりと、時間をかけて色々やってみました。その結果は。

「この程度なら俺の方が上かも…」

共試データが少ない分野の知識に関しては、さすがのAIもうまく答えきれないようでした。

正直、未知のものに触れたような特別な感動は無かったです。むしろ、この程度のことで騒ぎになってるの?と不思議に思いました。

大企業が巨額の開発費用と多数の天才技術者・開発者を動員して作成したモノに対して、一般市民がやけに上から目線の物言いで恐縮ですが、正直な感想です。

2.どんな使い道があるのかな?

AIに資料収集と整理統合の作業を任せると、時間短縮になるし誤字脱字もなく綺麗にまとまるのはよく分かりました。その点ではAIが人間を上回ることは間違いないと思います。

なので、研究や教育の分野などで働いておられる方のサポート機能としては、今後期待できるかも知れないという可能性は少しだけ見えました。

正式に認められた権威のある文献の引用、関連する基礎・先行研究の成果との整合性を図ったりするのはとても時間がかかることです。それらを自動的にやってくれるなら、仕事上の『作業』に係る時間を大きく短縮させることができる。それは助けになると思います。

もちろん、引用元がどこの何なのか、誰がいつ書いたものなのか、なぜそれを引用したのか、といった論文を作成する上でのルールはきちんと守らなければなりません。それらが絶対前提になるので、決して他人の研究成果をマルっとパクったり、複数の論文をまとめてミックスし、さも自分が書いたみたいなものにしてはなりません。

生成AIが飛躍的に進化したと言うのは分かりますが、補助ツールとしての域を出るものではない。人間のサポートをさせる分にはちょっとだけ価値があるかも知れない。そう思いました。

研究者は無数にある先人たちの遺産の全てを知るところが研究の原点だと私は思います。

それには気が遠くなる時間が必要で、特定の分野の学問であっても教科書1冊や10冊、100冊でも事足りることはまずありません。一生かかってもたどり着けない場合すら少なくはない。

自分がたてた仮説なんて100コ思いついても既に誰かが研究していたことだったり、仮に新規性があったとしても、1つも使えない場合なんてよくあることです。

なので、その内容をよく理解していない人が適当にAIに文章を作らせたとしても、作成を命じた本人がその分野に精通していない時点で『ナンチャッテなナントカに関するそれっぽい文章』にしかならない。

見る人が見れば一目瞭然で分かります。

3.人の仕事とは

「生成AIが人の職を奪う可能性がある?」

その意見に私はイエスともノーとも言いませんし、言えません。

法律で縛ろうとしたところで、何を縛るかさえ論点が明確になっていませんし、この機能が何を目的として作られたものなのか、そして、使う上でどのような既存の概念に対して問題が発生するのかといった十分な議論が尽くされていないからです。(枠組みが出来上がる前にモノが出てきてしまったから?)

前述の通り、限りある時間の中で研究者の研究効率が飛躍的に向上する可能性はあったとしても、生成AIが自ら『ゼロ⇒イチ』になるような創作・創造は、『今のところは』できない。汎用型AIが実用化されれば、そこはちょっと断言できませんし、その時期もすぐそこまで来ているのは間違いないかも知れませんが。

4.技術進歩にまつわる昔話

ここで、映画にもなっている、ちょっと歴史のお話になります。

第二次世界大戦当時、ドイツ軍が使用していた『エニグマ』は、機械で暗号を生成・解読していたため、傍受側は人間の手で解読することが不可能でした。その解読を可能にしたのは天才数学者が開発に成功した現在のパーソナルコンピュータの原型となるマシンでした。

AIが電気信号で超高速処理する信号の流れに生身の人間が到底叶うはずがありません。よほど暗算の訓練を積んでる人でない限り、100均で売ってる電卓の計算能力にすらかなわない。ごく当たり前のことですが(笑)

機械に人間がかなうところと、かなわないところはテクノロジーの発達レベルで差は出てくるでしょうけれど、現行のAIはまだ生まれたての赤ちゃんみたいなもので、これからの育て方次第では我々の生活や仕事、あらゆる文化的文明的な営みをより豊かにしてくれる可能性を無限に秘めているものだと思います。

5.まとめ

今回は文章形式で質問したことに対してその最大公約数的なものを自動生成してくれるAIについて、あくまでも個人的な意見を書かせて頂きました。

○ジャンルにもよるが、何となく、それらしい『何か』は出してくれる。しかも短時間に、それなりの質と量で。

○質問の方法やキーワードを変える等、工夫してみても結果(精度や信用度)はさほど変わらない。

○内容に対して精通していない人が使ってもその間違いに気付くことはほぼ難しいかも知れない。(なので使い方には注意したほうがいい)

○他者の発表した文献や資料、コメント等から語句を収集してきてそれらしいモノを作り上げてくれるが完成度は怪しい場合がある。(ジャンルによる)

○恐らく、同じ作業を人間がやろうとしたら物凄く時間がかかる。

つまるところ、利用者次第ということになるのかなとも思えます。

AIは膨大な供試データの中から条件に一致するキーワードを拾ってきて正しい文法の中に埋め込んでいる単純な作業をしているに過ぎません。

私個人の考えになりますが、人間が書く文章には少なからず書き手の気持ちや魂がこもるんじゃないかなと思います。

AIの精度がどんどん上がっていったとしても、ゼロからイチを生み出せるのは今のところ人間だけ。AIがAIの強みである生成能力が発揮できるのは、その供試データの苗床を人が今まで懸命に創ってきたからに過ぎないと思います。そして、それはこれからもずっとです。

最後に

AIには、科学的な研究や教育に携わる方々の仕事上の労力を軽減したり、とても役に立つ補助機能があるかも知れないという観点で書きました。

決してAIで記事を書くことに異論があるとか、それは間違ってるという話ではありません。

私は自分が書きたい事を自分が書きたいように、自分の手で書きたい。

この考えは誰にも押し付ける気はありませんし、生成AIを上手に活用されてる方々に異論を唱えるものでもありません。

自分が書きたいテーマや話題に対してAIにまとめてもらって、それに対する自分の意見や考え方を書くようなやり方も十分な価値があるものですし、ユニークで面白い使い方だなとも思います。フォロワーさんの記事で楽しく拝見させて頂いているものも少なくありません。

何か気になるキーワードを一つ打ち込んで、そこから出て来た答えに対してちょっとコメントを付けるだけでも毎日更新するネタにもなるし、それはとても楽だと思いますから、難しい事はともかく、逆にどんどん使っちゃえばいいのかなとも思います。

本記事のまとめですが、noteって文章を書いたり読んだりするのが好きな方が多いプラットフォームだと思います。

自分が書いたオリジナルの文章を読んでくださった方が、自分という人間に興味を持ってくれて、お互いに楽しく交流ができるなら、相手が生成AIを使ってる・使っていない、は私的には問題なんて無いと思っています。

ちょっと言い方が雑になってしまいましたが、そこに善悪はなく、楽しく交流ができればいいのではないかと思うのです。

(最終的にコイツ手堅く丸く収めやがったな…って言われそうですが(;^_^A))

ツールは『使う側の人次第』ということで終わります。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

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