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キャラのお芝居はキャラ同士の心の営みから生まれるもの #コルクラボマンガ専科

コルクラボマンガ専科を受講中の声優・ほたかけるです。

演技のやり方は役者の数だけあり、正解はないのですが少しずつ考えていることを言語化してみようと思います。

マンガ専科最初の課題であるコッペくんの動画へのアテレコでは、キャラ単体を軸にして、如何にキャラクターを立てるかの「キャラづくり」の考え方で声を録っていきました。

ところがキャラ作りは、意外に厄介な工程でキャラ単体に注目してひとり作り込んでしまうと、いざ本番でキャラクター同士がコミュニケーションをとった時に、感情の動き方がズレて来てしまう可能性があります。

2回目の課題は、なるべくキャラクター同士のやり取りからキャラクター像を絞っていきました

キャラクター同士の心の営み

私たち声優は別録り(1人ずつ別々に収録すること)に慣れているため、良くも悪くも、別録りでも会話が成立する暗黙知のようなものを持っています。

この何となく”お約束”に感じている表現は、現状の商業ベースでの収録スピードにある意味で必要な職人的技術です。

声優としての「キャリア」と「道」はなるべく分けようと意識しているのですが、おそらくこの引き出しはいわゆる「キャリア」を重ねるための「スキル」に当たります。

ただ役者として本来、目指したいのはキャラクター単体として立つ事だけではなく、演じる役が周りから投げかけられたものに対して、どう感情が動き、行動していくかの瞬間瞬間を体現し、周りに在る何かと心を通わせていくこと。そして、それをご覧頂いている方々へ確実に届けること。

役者として生きていくための「道」の部分だと思います。

さらり文字に起こしていますが、ここが肝であり鬼門で、我々表現者がずっと向き合っていく所だと思います…言うは易く行うは難し…。

一生勉強ですしキャラと相対したつもりで、すぐ小手先の何かに逃げてしまったり。人としての器がまるごとバレてしまう、恐ろしい事をやっていますね…。

そんなわけで、今回はキャラクター単体としてどう喋るかよりも、このキャラクターたちだったら、お互いにどんなやり取りが生まれるか!を想像して作っていきました。

今回読ませて頂いたのは久野砂糖さんの桃太郎マンガ

感情のゆらぎを優先する分、意図的に声質を変えることは若干セーブしたのですが、仲良しの声優・水野なみちゃんが秒でそのことに気づいていて、さすが…!

冒頭:大人のモブ

よくいじめるモブキャラクターの声を担当する時は、性格の悪そうな声を出して欲しい、と言われます。

モブキャラは情報量を削るためにあまり個性を持たせ過ぎても良くないので、引き算して作ることが多いです。

おそらくマンガの表現で目を描かないのも、似た所があるのかなと。(そんなモブキャラでも、キャラの名前と住んでる部屋のインテリアなど脳内で妄想を膨らませて現場に入ることが多いです)

嫌らしい大人は社会性があるため、ひそひそ声で喋ることが多いです。自分たちが喋っている事は、本来好ましくない事(ひそひそ話)だと理解した上で口に出し、"こちらは聴こえないように話しているのに、結果的に聞こえてしまった or 積極的に聴いた相手が悪い"と悪気なく責任をなすって来るような嫌なひとたち。

ただ、確かに桃から生まれた人間という得体の知れないものに対する恐れもわかるので、どうしたら良いんでしょうね。そうして、そういった大人の空気は子供にも伝わります。

冒頭:子供のモブ

対して子供は、周りに聞こえるかなんてお構いなしの人が多いので、なるべく音のブレーキをかけないようにしています。加えて子供たちの場合、加虐性があるかないかを考えます。また、彼らから桃太郎がどんな存在にみえていて、いじめているのか。

・自分たちより同じフィールドにいて、自分より劣る存在
    OR
・自分たちと違うフィールドにいる、自分たちと異なる存在

様々なパターンがありますが大別すると、このどちらかが多いと思います。いじめっ子側の捉え方によって芝居は変わります。

成長した桃太郎や台詞から推測するに、桃太郎自身は心に弱さを持っているけれど、そこがいじめられる原因ではなく、出自のせいで周りから排除されている方を強めに出しました。

いじめっ子側に社会的悪意がある場合、分かりやすく嫌らしい音を声にのせます。逆に子供が悪意なく無邪気に行為へ及んでいる場合は、無垢な音で演じる事が多いです(ホラー作品だとそっちの方が多め

ただ1分尺の映像コンテンツ(今回のマンガを読んだ秒数)の出だしで、冒頭15秒もいじめられるシーンを続けるのは少しもったりしています。

ご覧になる方に桃太郎が追い詰められて育った事が伝われば良いので、さらに作り込むなら、最初のセリフをお客さんに聴かせた後は、編集などで台詞を被せ、もう少しテンポよくいった方が良いかもしれません。

桃太郎とお母さん・お父さん

散々、それっぽい真面目な顔で演技について語っていますが、個人的な趣味嗜好の話をすると久野砂糖さんの桃太郎~~~~!!!!!大好き~~~~~!!!!

きっとヒーローしてではなく、人としての弱さを抱えながらも等身大で藻掻きながら懸命に生きていく人じゃないですか…ダメ…好き…。しかも、虚勢張ってるのがバレバレじゃないですか。とっても優しい子なんでしょうね。

そしてこんな桃太郎を育ててくれたお母さんとお父さんは、きっと優しい人なんだろうな、想像しました。溢れんばかりの惜しみない愛情を…というよりはちゃんと桃太郎と良い距離感を保った愛情の示し方だったのかもしれません。

なので、なるべく品のようなものが残るお母さんたちにしたいと考えました。たぶん、本当はお節介をしたいけど、ちゃんと桃太郎の意思も確認して、尊重してくれる良いお母さんたちだと思います。そしてちょっと心配性。

品のある優しいお母さんなので、寝起き桃太郎を気遣って、いたずらに心配オーラを出しすぎないよう声をかけました(しかしにじみ出る心配性

逆に桃太郎は、最後の行ってきますに気持ちを集約したかったので、なるべく頭で喋っているようにぎこちない、説明ゼリフ的な話し方になっています。

キャラクター単体で作ってしまった場合の例

単体で作り込んだ時の違和感が顕著に出たセリフがあったので例にあげると……

お母さんの「何言ってんだい」。優しいお母さんで作り込んでいった時はbeforeでも良かったのですが、桃太郎のあの空々しい喋り方に対して、優しく話しかけるだけでは、少しお母さんの愛情が形だけのものに感じてしまいました。

おそらく桃太郎を愛しているお母さんなら、息子の態度に対して、少し悲しく思い、怒ったのでは…?「もう!この子ったらなんてこと言うの!」と。ここだけは全て録った後に、このお母さんなら、息子がこんなテンションで喋っていたら少し叱るのではないか?と考えて、録り直しました。

本当に些細なニュアンスの違いなのですが、そういった細かい所に家族同士の関係性が浮かび上がって来るのではないかと。この親にして、この子あり……。

桃太郎にとっても、生まれてからの旅立ちの日まで家族と過ごした時間は家族の絆を信じられる、掛け替えのない時間だったのではないかと思います。


ーーーーーーーと!色々、頭でっかちに考えて演じるのですが、四の五の言わずに原稿から受け取ったもので心を動かして、全身をつかって表現し、誰かに一生懸命伝えようとすることの方が尊かったりもするわけです。

周りにいる同業の方々もこのnoteをご覧になる可能性を思うと、「道」だの「キャリア」だのを語るのは凄まじく恥ずかしいのですが、こんな事を普段、考えながらお芝居やディレクションをしております……これからもまだまだ皆さんから学ばせて下さい…。

私自身、未だにお芝居の定義が分からなくて、まだまだ模索中です。一生、分からない気もします。明日は違うことを言っている可能性もあります。

そんな振り回されてしまうお芝居が大好きです。

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