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#9 夏の扉を開けて

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【名前を呼ばれただけなのに怒られていると勘違いしてビビるコアラ】
油断している時に名前を呼ばれるとビビる。なんだかんだ呼ばれる前は予感があったりするものだ。目線を感じたり、何となく遠くで聞こえる会話の流れだったり、近づいてくる音とか温度とか、でもたまにノーモーションで声をかけて来る忍者のような人や、こちらが完全に上の空だったり餃子に似た雲を探している時に限って声をかけて来る暗殺者のような人がいる。その時は決まって身体がびっくりして飛び跳ねてしまう。反応しろ!殺されるぞ!と信号を送っているのかもしれない。しかし相手からは「はは~ん、こいつ今やましい事をしていたな?」と受け取られてしまう。それをすかさず必死に弁解するとどんどん嘘みたいになってくる。その妙な焦りが辛い。
僕は基本的に最悪の事態をひたすらに想定して生きている。だから「声をかける→用がある→何かやらかした→怒られる」みたいな想像をしてしまう。特に急な声掛けは顔が見えないからビクっとして「ごめんなさい!」と言う言葉が喉まで来てしまう。これはもう反射的なものだから割と諦めてはいるのだけれど、テレビに映っていたコアラを見て「コアラ!」を速く言うと「コラ!」と聞き間違えて、そんな言葉が自分の方に飛んで来たら確実にビクッとなるだろうな。コアラって可哀想。僕の名前が呼ばれるだけで怒られている様に感じる名前だったらどうしよう。と思った。
例えば、「ふざけんな」だったら、声をかけられる度に「おい、ふざけんな」と言われる事になる。怖い。「5番でお待ちのふざけんな様」怖い。「ふざけんなー!ご飯よー!」怖い。食卓に行きたくない。「結婚しよう。ふざけんな。」これはエモい。結婚する。
逆に名前を平和な感じにすればいいのだろうか。「おい、お花畑」「5番でお待ちのお花畑様」いや、馬鹿にしてんのか。
話が脱に脱線したけれど、何にせよ、コアラを呼ぶ時は声のトーンや、速度とか気をつけようと思う。ついで人を呼ぶ時も。

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【スイカ合わせ】
夏。夏と来たら真っ先にスイカ割りを思い浮かべる。しかし、スイカ割りという遊びが全然意味わからない。海にそんな棒ある?と思うくらいのバットの様な木の棒を持って目隠しをして、自ら目隠しをしているのに何故か周りが誘導して木の棒を叩き割るという戯れ。しかもスイカ一個に対して一度しかできないプレミアムお戯れ。クラスの人気者しか出来ないお戯れ。そりゃそうだ、あんなぐしゃぐしゃになったスイカ、クラスの人気者クラス(変な日本語)の奴が割るから皆でワイワイ食べられるのだ。そうでないと、ぐしゃぐしゃなスイカを皆で黙々と食べる葬式のような、夏の供養みたいな食事になってしまう。夏はこれからなのに。だから僕はスイカ割りとはほぼ無縁で生きてきた。それでも何故か、夏になって、夏のイラストを描こうとすると真っ先にスイカ割りが思い浮かぶ。実はかなり憧れがあるのかもしれない。
今年もスイカ割りの想像から夏が始まった。(正しい所作は分からないけど)目隠しをして木の棒を地面に突き刺し、10回程度ぐるぐる回る。そして周りの誘導によってスイカの前まで行き、スイカを叩き割る。そこまでしないとスイカを残酷に割る事に対する罪悪感に勝てないのか?というくらい「自分の意志」を遠ざける。もしかしたらスイカに祟られるのだろうか。割った後に塩をかけるのも供養の為なのだろうか。
だったらスイカを綺麗に切って、それを合わせて復元する「スイカ合わせ」というのはどうだろうか。まず、スイカの表面を褒める。「素敵な模様ですね」とか「ツヤがたまりませんな」とか言う。一通り褒めた後、スイカに「中も見てみたいな。さぞかし綺麗なのでしょうね。見てもいいですか?綺麗に切らせていただきますので。」とお伺いを立てる。スイカから承諾を貰ったら真っ二つに包丁で切る。切れた断面を「綺麗~」「タマや~」などど、また褒める。ここまで褒めておだてればスイカはもうこっちのもの。何をしても許してくれるようになる。それからはスイカ割りの要領でゲームスタート、但し、スイカを叩き割るのでは無く、切ったスイカ同士と合わせて復元するゲームになる。無事に復元出来たら、スイカに「今日はありがとうございました。素敵な夏の思い出になりました。それでは失礼します。」と言って立ち去ろうとする。5歩程度進んだ辺りでスイカが「いやいや、せっかくだし、食べていけよ。」と言って来る。その後2ターン程度謙遜した後、心置きなくいただく。(スイカが何も言って来なかったらそのまま帰宅になる。)

うん。今年も夏が始まった。

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【餃子に包まれる】
「飼い犬に手を噛まれる」みたいなこと、実は沢山あるよね。