供述-2
おのれはマッタク不出来である。
今日も朝起きて、洗顔し、食事を終えて一時間してからようやく歯磨きを忘れていることに気づいた。いまいち人間の生活というものに慣れることができぬ。歯磨きを終えてから食事をするのを忘れていたという様子を呈することもある、不出来というより人間に慣れていないと言った方が余程正しい。
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マッタク不出来であっても、先代の本屋から継いだこの店、経営が立ち行かぬというわけではない。先代はそもそも、おのれの腰にとうとうがたが来た時に店を畳むつもりでいて、おのれはこの店の世話になっているものだから、頼み込んで店を継がせてくれと頭をなんべんも下げた。先代は何度も断ったわけであるが、おのれはどうしてもこの店を維持したかった。金が目当てではない、先代がおのれら作ってくれた居場所をどうにか守っていきたいという一心であった。
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先代は口が悪くアルコールも良くあおる人間であったが、べらぼうに意思と肝臓が強いのか、事実のらりくらりとしてる上で他人を叱り飛ばす口の悪い人格者という些か矛盾した者であり、ともあれ腰を悪くした以外に体に悪さはない。生涯背筋がぴんとしていて、老体を疑うほどの健全な人間であった。そのくせ、先代は人に目を見られるのが嫌いだといって、鬱陶しい前髪をしていて、その長身でヒョイと歩けばジロジロと人によく見られていた。おのれも目を見られるのが嫌いだから、今はその姿を模倣している。ただおのれは先代と違って愛想は良い自信がある。たまにそれは崩れるが、それはおのれの性質故にいたし方がない。そういうキャラクターなのである。そういう風に出来上がっているキャラクターなのである。人は誰しもキャラクターを演じる、おのれの場合はフカコーリョク、そういうものでそうなってしまっているもので、だから必死に本を読む。アイデンティティの確立には他人を参考にするのが一番である、書を読み人の姿を真似て、パッチワークのおのれを作り出す。必死こいて作りました、これでいかがでござんしょう、そうフリをしてみてもどうにもナサケない、チェッ、中也のようにやけくそのような奔放でもなければ、太宰のように卑屈と自尊心の間に揺れ動く人間にもなりきれぬ。マッタク不出来、半端者である。それでも本屋は今日も閉店、夜は長い。
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