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新年は何のために祝すべきか?

 みなさま、あめましておめでとうございます!

 2020年~2021年は、新型コロナウイルスの感染拡大で、暮らしは大きく変わりました。2022年もまだ、予断の許さない状況にありますが、希望をもって前向きに生活していきたいですね。2022年はじめの記事は、羽仁もと子のことばをご紹介します。

新年を迎うる心
 歳暮くれから新年にかけては、一定の収入を以て暮らしている中流の家庭では、第一に金がいるということが問題になるのでありますが、新年には何故なにゆえに金がいるかという事をまず考えて見たいと思います。それは新年という機会を利用して物を贈る必要の所もありましょうし、家族の身のまわりのものも、この時に用意しようというのも、あながち道理のない事ではありませぬが、よく考えて見るというと、実に趣味深き歳の暮れが、兎に角多くの家持ちのために、物質的の苦労をする時になっているというものは、年始と歳暮さいぼということをあらぬかたに思い過した、わが社会の弊害のためであろうと思います。年始歳暮のまことの意味は、静かに過ぐる一年を省みて、新たな希望を確立し、励んでこれを行うための機会であるのです。年末にすべての自身の負っている責任を果たすのは、その反省の結果であって、元旦に祝いの膳に向かうのは、新たに得たる希望を祝するためであるのです。
 新年の目出度いのはこの故で、決して世間体のために祝う正月ではありません。何のために新年を祝うのか、その訳をば考えず、うかうかと新年新年という声にせきたてられ、新年の来るというために、あれも用意せねばならず、どんな晴衣はれぎもつくらねばならぬという風に思い煩うならば、ほかに現れるその家の正月が或は立派に出来るかも知れませぬが、内なる我は少しも新年の福音に接することなく、むしろ歳暮と新年の来る度に、我々の平和がかき乱されるということになりましょう。前述の意義において、幸福なる新年を祝するために、家人の晴衣を新調するのも理由いわれなき事ではありません。更に新なる装飾品を増して、室内をより多く趣味深くするのもよい事です。併しながらこれらはすべてこの一年間における勤労の一部によって、容易く出来あたう範囲のものでなければなりません。苦しいやり繰りの力でこれらの事をする人は、前にいった新年という声にうかうかのせられている人です。新年は何の為に祝すべきかを、静かに考えて見ねばなりません。私共は勿論わが多くの家庭にたくさんの晴衣の出来るのを喜びます。併しながら旧年における勤労のあとを顧みて、悔ゆべきことを真に悔い、感謝すべきことを真実に感謝して、限りなき天恵に浴しつつ、新年を迎え得る家庭がありましたならば、更にゆかしさに堪えぬのでございます。

『家庭之友』 明治39年11月号

 家計簿の「第一冊目」は、明治38年用。明治39年「家庭之友」4月号には、家計簿創刊によせる新聞評が掲載されています。そこには、「昨年のこの家計簿を編纂発行せしに評判甚だ高く、之に依て一家の経済上に種々の利点を得たりとて、編纂者に礼状を送るもの多しという」(時事新報評)とあります。
 家計だけでなく、明治44 年(1911 年)には、婦人之友で「理想の平民的台所」と題し、使いやすい台所の設計案の募集を行い、のちに、立って調理のできる調理台の通信販売までしています。それまでの、土間にしゃがんで調理をするというスタイルから見ると、革新的! 新しい提案を衣食住で行っています。この文章の「決して世間体のために祝う正月ではありません」というのも、新しい時代を開いていこうという気持ちから書かれているのかもしれません。

 本年もみなさまに興味を持ってもらえるようなnoteの記事を作っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします!

羽仁もと子とは、どんな人? 

 1873年、青森県八戸生まれ。1897年、報知新聞社に校正係として入社。その後、日本初の女性記者として、洞察力と情感にあるれる記事を書く。同じ新聞社で、新進気鋭の記者だった吉一と結婚。1903年4月3日、2人は「婦人之友」の前身、「家庭之友」を創刊。創刊号の発売前日には長女が誕生し、自分たちの家庭が直面する疑問や課題を誌面に取り上げ、読者に呼びかけ響き合っていった。1930年に読者の集まり「全国友の会」が誕生した。最晩年まで婦人之友巻頭に友への手紙を書きつづけ、そのほとんどが著作集全21巻に収録されている。
 婦人之友では、2021年1月号より、森まゆみ氏による「羽仁もと子とその時代」を連載中です。そちらも合わせてごらんください。


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