「一家総動員」という言葉を聞くと、何やら物々しい感じを受けますが、今から90年ほど前の時代を生きた羽仁もと子は、憧れの言葉だと語っています。
要は、家族みんながそれぞれの仕事や役割を持って、家庭生活を営むということでしょう。みなさんの家庭では、いかがでしょうか?
「自分を他人を道具扱いにすることから、この人生のありとあらゆる不幸や悲しみが出ています」と、羽仁もと子が言うように、親を家族の面倒を見る道具のように見てしまったり、自分の夢を子どもに託すと称して、子どもを道具扱いしてしまうなど、家族であるからこそ生まれてしまう悲劇もあります。
「一家総動員」のできる家庭は、同じ夢や目標を持つ同志、仲間とも言えるでしょう。理想的で健全な家庭運営について、著作の中でもと子は以下のように記しています。
月刊『婦人之友』の昭和5年10月号では、「家庭総動員」号と銘打って、巻頭「友への手紙」に、今回紹介した「一家総動員」の原文が掲載されています。「家庭総動員」の特集記事では、何人もの生活を実例として掲載。家庭総動員を励行した家族の話や、時間の使い方、買い物の仕方、食事作りと後片付けの時間のこと、夜の暮らし方などが取り上げられています。記事の所々には下のような挿絵もあり、家族みんなが家のことへ興味を向けるための工夫や苦労が見て取れます。
現在も、家事や家のことは女性が中心である家庭も多いことでしょう。老若男女問わず、自分の家である以上、まずは自分の身の回りのことは自分でやる、そして助け合って生活していこうという気持ちを持つことで、生活の土台となる力が身につきます。
羽仁もと子は、「家庭から社会へ」という言葉も残しています。よき家庭運営は、よき社会を形成していくという思いの中、上記のような文章が生まれました。「全世界全人類をうるおすことが出来るものです」の一文も決して大それたことではなく、もと子の描く家庭運営は、社会を、世界を変える力があると信じていたからこそ生まれた言葉なのでしょう。