陸上競技の回顧とそこから得た学び(中学2年)

今日も前回に引き続き、陸上競技の回顧とそこから得た学びについて書いていきたいと思います。
今回は中学2年生です。私にとっては様々な変化があった学年でした。
まずは、後輩が出来たことです。そして、教える立場になったこと、更には種目も変える決断をしました。

さて、前回と同様に時間経過とともに書いてきいます。

冬の地獄の練習を耐え抜き、練習の意味や狙いを理解するようになってから、確実にピッチが上がり、スタートの押し出し4歩、6歩も力強くなったような気がしていました。

私達の中学の近くには競技場があり、その点はとても恵まれていました。
冬は競技場の練習は休日がメインだったので、久しぶりに競技場で走れて嬉しかったことを覚えています。

春の練習が始まり、いくつかの試合を終えると、ハードルは共通男子のある程度の記録を出せて、100mも12秒8台を出し、同学年ではトップになれました。

するとすぐに新入部員が入ってきました。
男子は2人(1人は長距離)。女子は6人という内訳でした。
ここで初めて後輩が出来たわけで、練習では恥ずかし姿を見せる訳にはいかないと思うことで、集中出来たと思います。

春の地区大会では、部活中選考の結果共通のハードルに出場することが出来ました。
結果は2位。
出場人数が少なく、決勝では向かい風が5m吹く中という条件でしたが、様々なライバルに勝つことが出来ました。

また、先輩と組める最後のリレーではアンカーを任されいい走りがてきました。

そこから、3週間程で県大会があるのですが、調整を兼ねた記録会で100mの自己ベスト大きく更新し、12秒4台で通信記録を突破しました。
ハードル、リレー、100で通信大会に出場できることになりました。

しかし、県大会直前から足首の全面、健の部分に違和感がありました。
ダッシュやハードル走は問題ないのですが、走り終わったあと激痛に襲われました。

この時点で県大会直前、タイム計測でいい結果も出ず。
完全な調整失敗で県大会に挑みました。
もちろん、ベストは出ないし県上位の猛者達にボゴボコにされました。
直前のアップ会場からビビっていたと思います。

県大会の2週間後に通信大会は行われました。
足首に関しては、湿布やアイシング、繋がっていると思われる膝周りのマッサージなどを行いました。
しかし、雨もという条件も重なり、100は12秒8台、ハードルも18秒台というように、またもや不甲斐ない結果に終わりました。

3年生が引退し、新体制になりましたが、私はここで副部長(2人)という役職をもらいました。
個人的には、部長補佐、部長不在時の代理、後輩の指導など目を配るシーンが増えました。

足首の怪我は完治しておらず、夏休み前に人生で初めて形成外科を受診し、見てもらい、1週間ほど練習を辞めることになりました。

夏休みの練習では、練習について注意されることより、部活という団体としての注意を受けることが多くありました。
私も要所要所で足りていない所を指摘されました。

夏休みの練習が終わると、新人戦に向けた準備が始ましました。
私はもちろんハードル1本。かなり遅いタイミングですが、3歩に取り組み始め、4台目まで3歩切り替えて4歩という、器用ですかタイムは狙えない方法にしました。

新人戦では、リレーは新メンバーで2走を任され、ハードルは3位に入賞することが出来ました。
ここまでの大会を振り返ると夏の大きな大会以外はなかなか良かったと思います。

そして、冬のメニューが始まるのですが。この年から延長部活というものが始まり、かなりハードなトレーニング内容になっていました。基本的に男子は5キロから10キロのバーベルなどの荷重をしてトレーニングを行い。
走る距離も長く、しかも短時間に凝縮した内容でした。

さて、このタイミングで部長が生徒会長になりました。喜ばしいことですが、副部長2人は部長代理を務めることが多くなり、やはり部長の偉大さを知りました。
もちろん顧問の先生からの指摘も増える訳で、副部長2人は時々愚痴をこぼしておりました。

そんな態度が行けなかったのでしょうか、3月頃に競技場での練習が増えると、去年の同じ時期に感じた成長度合いより、全く成長が感じられず、かなり焦りました。

部長の彼はハードルのインターバルが3歩になり。同学年の男子は4種競技で才能が開花しました。
そんな中、私はハードルは崩れ、3月末の記録会ではハードルで自己ベストも更新できず、部長に余裕で負けてしまいました。

しかし、そのすぐ後の100mではベストを更新し、通信記録も突破しました。
ここで、私は決断しました。
ハードルを捨て。100mという花形であり、厳しい競技に転向することを。

さて、ここまでが2年生時代の回顧になります。
この年は比較的いい事続きでしたが、もちろん学びと反省すべき点がいくつかあります。
それを挙げたいと思います。

①ハードル種目の勉強不足
②後輩への指導の難しさ
③怪我への対応
④種目の転向は慎重に

①ハードル種目の勉強不足
私はハードル種目は、バネが必要で柔軟性があればどうにかなると思っていました。
ほとんど勉強してなかったです。
そのため、ある一定の部分から3歩にすることができず、結果として種目を諦めることになりました。
顧問の先生は十数人いる部員それぞれに100%の観察と助言ができるわけではありません。
自分で調べ、時には聞き、ハードル走とは何か?そこから知るべきでした。

皆さんも専門とする種目については知識を蓄え、それを実践できるようにしましょう。

②後輩への指導の難しさ
私自信の競技や練習に集中しすぎるあまり、後輩への指導や助言が疎かになっていました。
何より、自分のやってきたことを言葉にして伝えることが苦手でした。
正直、日々の練習の積み重ねと時にハードなトレーニング。
これしか言えてなかったと思います。
自分が後輩の立場だとしたら、全く足りていません。
もっと技術的なことを言えば良かったし、自分で解析して説明出来れば良かったと思います。

③怪我への対応
1年に引き続き、また失敗しています。
怪我を堪えて練習をしたところで、調整は失敗するに決まっています。
また、この時形成外科ではなく、整体や針を受診していたらまた大きく変わっていたと思います。
私は、肉離れや骨の怪我など大きな怪我より、筋肉や腱の疲労からくる怪我の方が多いです。
なので、いかに疲労を貯めないか、疲労を上手く取るかが鍵となることに気づくべきでした。

④種目の転向は慎重に
私は、ある一日の記録会でハードルが悪く、100mが良かったので100mを選ぶというある意味ありえない種目の転向をしましたが、普通ならもっと慎重になるべきです。
私は100mは花形で、ここで上を取れれば部内でもエースだという、身勝手な考えを持っていました。
結果として、3年時いい記録を出せましたが、完全に失敗するケースも有り得ました。
自分の特徴、得意、不得意を見極めて良い種目選択、あるいは転向を考えましょう。

今日は、ここまでです。
明日は中学3年。私は中学の部活の集大成に何を見るのか。
見届けて下さい!

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