「天才」ってなんだ
さて、最初の投稿から数分もたっていないのですが、もう次の投稿をしたくなりました。
実は書くこと自体は昔からやっていて、いまはそれを書き起こす作業なんです。なので、ネタはすでにいくつかあるのです。
では、書き起こしを始めてみたいと思います。
小さいころ自分は非常に単純で見栄っ張りな人間でしたので、もう
とにかく褒められたかったのです。特に「天才」なんて言葉は、あこがれの言葉でした(実際に言われたことはありませんでした)。
しかし、少しづづ成長していくにつれ、どうもそんなに価値のある言葉に思えなくなってきました。言われないことへの負け惜しみといわれれば確かにそうなのかもしれませんが、なんとなく、その人本人というより、天性の部分のみをほめているような気がするからです。
だから、いま改めてその言葉の意味を考えてみたくなりました。
「天才」とは何か、もちろん辞書で引けば一発でわかるのですが、それじゃあなんとなくつまらない感じがするので、もうちょい日常に寄り添って考えてみます。
言葉の意味を探るのに、自分が良く使うのが「対義語を見つける」ということでした。一見してわからない言葉も「あの言葉の逆」といえば何となくつかめる感じがします。
しかし、これもまた難しい問題に直面するわけです。例えばパッと思いつくのが「バカ」という言葉です。確かに両極端な感じはします。しかし、「天才」が非凡なものへの表現ならば、その対義語は平凡なものを表現しなければならないのではないだろうか、そう思ってしまうわけです。しかも、そう考えると「バカ」も一種の非凡なわけで、すっごく目を細めてみると「バカ」も「天才」も同じグループにいると考えることもできなくはないです。
ちょっと違う角度から考えてみましょう。「天才」という言葉が持つ「生まれながら」的な匂いからかんがえて「努力家」という言葉はどうなんでしょうか。
やっぱりこれもちょっと違う気がします。「努力家」という言葉はどことなく性格を表しているような気がします。一方で、天才というのは何となく、状態を表している感じがするのです。「髪が長い」とか「目が大きい」とか、そういう言葉に近いような気がします。二つの言葉はいる世界が違うような気がするのです。
こう考えると同じ世界にいる「天才」と「バカ」はやはり対義語なのでしょうか。なんか釈然としません。
思うに、「天才」と「バカ」は表現の幅が違いすぎると思うのです。例えば「サッカーの天才」はいるのですが「サッカーのバカ」は聞いたことがありません(あるものがとてつもなく好きであるという意味では「〇〇バカ」と使いますが、これでは対義語としては適当ではありません)割と日常的な使い方なのにも拘わらず、「バカ」は対義語としての役目を果たせていません。
ならば、さっきでてきた「平凡」はどうなんだということになります。ただ、「天才」がいわゆる正の要素をたくさん持っているのに対して、「平凡」は0という印象を受けます。これでは対義語とは呼べないのではないでしょうか。
しかし、この指摘そのものが、前述のこととムジュンしてしまっています。これもまた、天才という言葉の表現の幅を表しています。
とすると「天才」の対義語なんてないのかもしれません。天才が何となく孤高の人であるように感じるのは言葉の世界でも同じかもしれません。
あるいは、天才の対義語を見つけることができるのもまた「天才」なのかもしれません。