近代・・・何?
最近突如歴史にはまり、いろいろ本を読んでいます。そのなかで必ず出てくるのが「近代」・・・なに?いつ? 調べてみました。
・・・なに?少し抽象的すぎます。さらに調べてみるとどうも国によって歴史上の近代の解釈が異なるらしい。
ところで、この「近代」だれが最初に名付けたのでしょうか。調べてみます。
・・・が、どうもインターネットでは限界がありそうです。語源辞典でも持っていれば・・・これの真相解明は某ゆるラジオに任せましょう(というかすでにやっていたりしますかね?)ただ、あくまで予想とすれば、ヨーロッパから学問が輸入された際に、和訳する関係で「近」の字が違和感がなかったのではないでしょうか。こういう理由で現代だと違和感のある言葉はままあります。
ちなみに、「近代」の後は一般的に「現代」となっています。これ、中々の妙案だと思います。
そもそも「近代」というのは相対的な尺度である気がします。(今に)近い代であるわけですからね。平安貴族にとって「近代」は平安時代であろうと思われます。
で、この言葉が出来たとき、「近代」が最近であるはずだったんですよ。ところが、歴史上では抽象的な定義、区間が出来てしまった。じゃあ次はどうしよう。かなり難問です。皆さんならどうしますか?
自分も頭をひねって考えたのですが「近近代」とか・・・?言いにくいです。
この点「現代」はウルトラCだと思います。ちなみに「現」は「うつろ」と読み現実というニュアンスと「現チャンピオン」といったように現在というニュアンスでも用いられます。「現代」は後者に入るでしょう。
この言葉のすごいところは、「近代」と尺度が異なるという点です。「近い」の対義語は「遠い」が一般的でしょう。一方「現」の対義語は「昔」とか「過去」とかそういったものです。つまり「近い」は物理的な距離のニュアンスが強いのに対し、「現」は時間的な距離のニュアンスが強いものであります。この二つが時代という全く同じ尺度の中に盛り込まれているというのは全く偉大な発明です。(もっとも、この論理であれば時代というのは時間的な距離を測るものですから、「現代」の方が違和感がなく、むしろ「近代」の方が異端とも言えなくもありません)
また、「近代」では「近」が時代の中で表記しますが、現代において「近」を用いる時間的なニュアンスを持つ言葉はあまり多くありません(「現」は前述のとおり「現チャンピオン」などで用いられています。)
あれ?そうなると意外と「近代」の方がウルトラCなのか?だとしたらなぜ「近代」にしたのでしょうか?不思議でなりません。
ところで、この記事の題名「近代・・・何?」としましたが、もしかしたら「近代 いつ」とか調べている人がここに迷い込んでしまうかも知れません。もしかしたらちゃんとした資料を要求していたかもしれませんが、申し訳ありません。