フシギな負の世界

今まで、義務教育の中でいろいろな勉強をしていたわけですが、一番理解するのにてこずったのが「負の数」という概念でした。数えられないのに「ある」という発想がどうにも納得できなかったのです。

これを解決するためにまず誰が作ったのかを調べました。といってもずいぶん昔に調べたものなので明瞭な記憶ではないのですが。どうもインドで借金の計算に用いられているのが始まりという説があるそうです。なるほど、確かに負の数は「対となる二つの言葉を同じ物差しに表す」ときに便利かもしれません。

しかし、しかし!納得ができないわけです。負の数は我々には「見えない」わけです。

例えばテーブルの上にリンゴが一つあるとします。我々がそれを見るとき「リンゴ」を見ているのと同時に「一つ」を見ていると思うのです。リンゴの色や形などの情報と同じように「一つ」であるという情報を視覚から手に入れるわけですから。

しかし、負の数はそれができない。何とも不思議なものです。もしかしたら負の数というものは目に映らない別の世界にあるのかもしれません。(少しきな臭くなってきました。)

さらに勉強を進めると次の様な問題に出会うことがあります

2×-3×4=?

この答えは-24となります。これを計算するときの手順を追ってみます。

とりあえず、掛け算のみなのでスタンダードに左から順に計算をしていこうと思います。

最初に行うのは2×-3。これは-6ですね。

ここで、元々確かにあった2という正の数が、負の数をかけたところで負の数となり、急に存在を証明するのが困難になってしまいました。先ほどの言い方をするならば、別の世界に行ってしまったのです。・・・何か少し厨二病チックですが理解していただければ嬉しいです。

また、負の数は極めて人工的なものである気がします。正の数はその表現自体は人工的なものであっても、存在自体は自然なものです。例えば先ほどの一つあるリンゴは、例え我々が数を表す言葉を持っていなくても確かにそこにあります。(本当に確かにあるの?という問題は沼にはまってしまいそうなので今回は置いときます。)

しかし、負の数はその概念が存在しなければ、存在し得なかったものなのです。こうした点で負の数は「人が作ったのに、人が存在を認識できないもの」であるといえます。こんな不思議なものがあってよいのでしょうか。

昔は、こんなことを気にしていたら、受験に間に合わなかったので、とりあえず納得していましたが、少し余裕ができたので、改めて考えてみました。自分は数学者でも何でもないので、書いたものは自分の「推論」いや、ほぼほぼ「感想」に近いものです。それでもなんだか腑に落ちない・・・