比喩のボーダー

今日、掃除をしていたら400字詰めの原稿用紙が4枚出てきました。もちろん文字もびっしり。どうやら自分が昔書いたもののようです。内容としては、「台風の日に外に出たらいつもと違う雰囲気がして面白かった。」というものでした。

それだけならまだいいものの、その書きっぷりがまあ恥ずかしい。きっと当時は気持ちよーく書いていたんでしょうけれど、今見るとなかなか見苦しいものです。(もしかしたら、今書いているこれだっていつか恥ずかしくなるかもしれない!)

なぜ恥ずかしくなるのでしょうか。勇気を出して考えてみることにしました。考えてみたところ、どうも「比喩」が原因の様でした。

原稿(昔書いた文章)には比喩が多用されていました。それも、まるで意味のない比喩がズラリと。ここに何かむずがゆさを感じるのだと思います。

比喩というものはたいへん便利なものです。文法に大きな制限はなく、伝えにくいことをうまく伝えることができる。さらに、比喩の中身によってその人の個性を出すことができます。

その一方で、扱いが難しいものでもあると思います。制限が少ない分、様々な場面に「一応」組み込むことができるものの、その効果を最大限に生み出せない、あるいは、逆効果となってしまう場合もあります。自分も宿題の作文やレポートを書いた後、読み返してみると「何でここにこんな比喩入れてんだ?」ということがよくありました。(ただ、字数を稼ぐという意味では、かなり助けてもらったような気がします。)それ以来、比喩を使うことに少しためらいができるようになりました。「ある程度くどくなっても、そのまま書いたほうが確実だろう」と思えるようになったのです。

 しかし、それでも、比喩があきらめきれない…!だってかっこいいもの。

そこでどこまでが「かっこいい比喩」になるのか、考えてみようと思います。

比喩は基本的に共感性を利用している語法です。たとえそれが全員全く同じものをイメージできていなくても、「まあ、何となくこんな感じかな」ということがつたわれば、その雰囲気を読み手に伝えることができます。これは、具体的な語法では表現しきれない部分でもあります。

なのでやはり突拍子もないもの、すごくマニアックな比喩は避けたほうが良いのかもしれません。相手に伝わらなければ「比喩を使っている」ということのみが表に出てしまう気がします。

一方、あまりに普遍的な比喩をすると、邪魔にはならないものの、「かっこよさ」は出ないような気がします。この両方のちょうど間らへんを入れる。これが難しい。素人の自分にはなかなかなせるものではないのです。そのため、本を読んでいて、すごくうまい比喩などを見つけると、うらやましくなってしまいます。

もう少し、詳しく考えてみたいとおもいます。前述のとおり、共感ができればよいためみんなが体験している必要はないと思います。つまり、「なんかわかる」ぐらいのモノがちょうどいいわけです。それさえ出ればかっこいい比喩が使える・・・わけですが、実際問題そう簡単には出てきません。こうしたところに「文章力」みたいものが出るのかもしれません。

どうしたらかっこいい比喩が出てくるのでしょうか。これは、絵がうまい人などが良く言うのと同じようにどれだけ対象を細かく観察できているかということになります。比喩の場合、その対象は日常全部ということになります。もちろん、本、さらに細かく言えば、文章をたくさん読むということも有効だと思います。比喩のテンプレートがわかれば、そこからの応用もできるかもしれません。いずれにしても道は険しそうです。

さて、長々と書いてしまいましたが、何となく比喩の取扱い方が自分の中でまとまってきました。しかし、依然として恥ずかしさは消えません。もうしばらく比喩は使えなそうです。(うすうす感づいている人もいるかもしれませんが、実は今回の文一度も具体例を出していません。それどころか比喩すら使っていません。)しばらくして、傷がいえたらNOTEでも使ってみようと思います。