ひとりぼっちのノスタル紀行 第二話
前回
でかい・・・
駅のホーム、左右に伸びているエスカレーター。不思議な形をしている天井。いくら日本の一大観光都市と言えど夏の、それも平日となれば、予想していたよりも人込みは少なかった。
建物を出て振り返る。快晴の空。その7割ほどを支配する巨大な建物。真ん中に堂々と描かれた「京都駅」の文字。
「あっつ・・・」
汗をぬぐいリュックから取り出した水を飲む。うまい。やはり水はアルプスのものに限る。
ひとりぼっちのノスタル紀行を決意した日、私の目に留まったのは京都であった。私は世界史選択の洋楽好きなので、あいにく仏閣には全く興味がない。
そんな私が京都に目を付けたのは、とある場所に興味を持ったからだ。
スマホを開いてその場所を検索する。ありゃ、どうやら京都駅からそのまま行けたらしい。先ほど意気揚々と通過した改札を、顔を隠すように少しうつむきながら再入場する。
ここから山陰本線を使って30分。電車は人でごった返していたが、それ以上にキャリーバッグの群れが邪魔でしょうがなかった。しかし、それに愚痴をこぼせるのは現地民の特権。外様で、しかもキャリーバッグの主と同じ観光客となれば、私はそんなことを思う権利はない。
しばらく揺られていると嵯峨嵐山駅についた。ヒトがドカッと下車する。どうやらみんな目的地は同じらしい。
そこは完全に観光スポットであった。細い道人込みをすり抜けながら前へ進む。ときおり人力車とすれ違った。人力車を引く屈強な男性とそれにのる若い女性二人。なにか趣を感じたが、その根拠となる知識を持ち合わせていなかったため、この感慨はその場の気まぐれで終わってしまった。
私は正直、目的地以外にあまり興味がなかった。これからの旅路を考えれば、あんまりお金は使えないし、何より、この幸せカップルにあふれた道にずっといると、少し肩身が狭い。
そりゃあ、ついた直後は「けっ!カップルなんて知るか!一人でも人力車に乗ってやらあ!何ならそこら辺の若いカップルを捕まえて人力車ひかせてやらあ!(?)」ぐらいに思っていたのだが、いざ歩いてみたらこのざまである。無力。
しばらく歩いていると、脇に細道が現れた。嵐山近辺は比較的こういう細道は多いのだが、この細道は特別ごった返している。それは、私の目的地の功績であった。
細道を進むと空がうっすら暗くなる。道の両端には無数の竹がまっすぐ伸びており、風が吹くと「サササ・・・」と葉の揺れる音がした。間から日の光が差し囲み、竹は黄緑に輝く。そのとき、あれだけ扱った日光が今は竹の為だけに放たれていると思えた。
あたりにいる人の声はどこか遠くに聞こえ、私の考え事はどこか遠くに消えた。そして、新たな考え事が頭に鎮座する。
私はこの道に何を思ったのだろう。竹なんて私の幼少期とほぼ関係がない。しいて言えば、さゆりちゃんの家の庭に生えていた数本くらいだろう。しかし、この道は確かにノスタルジックを感じる。
しかし、ノスタルジックを感じながらも時を感じない。ノスタルジックがなつかしさならば、それは当然、時の流れに対する変わらないものとして、それに対する感嘆として存在する形容であるはずだ。
それはこの竹林の小径にはない。私の記憶との関連性も、時代の象徴としての存在感もない。しかし、そこは確かに私のノスタルジックをかりたてる場所であった。
もし、私に物書きの才能があれば、これをどうやって表現しただろう。どんな名著を書いて、ここを聖地にしただろう。しかし、今の私には、このあふれ出る気持ちを考えて言葉にして、何とか残そうとするので精一杯だった。
小径を進む。その足取りに先ほどの肩身の狭さはない。今は竹とともに肩で風を切って歩ける。
少し右に曲がった道の先。踏切があった。そう、ここが今回の目的地。少しさびた標識の上で赤いランプが光る。静かな道の先でゆっくりと遮断機が下りると、そこをオレンジと緑の電車が通過した。
ああ、ここには確かに生活があるんだ。あの電車には誰かが乗っていて、おばあさんが、おじさんが、青年が、少女が、少しうつむきながら、あるいはワクワクしながら、あるいはうたた寝しながら確かに生活しているんだ。この小径もただの幻想的な故郷ではなくて、確かに誰かのふるさとなんだ。
そう思うとこの竹林もまた違って見える。彼らは幻想のための飾りではなく、誰かの喜びを見送り、誰かの悲しみを慰めてきたのだ。
そう思うとこみあげるものがあった。それを抑え込むかのように、首からぶら下げたカメラを構え、シャッターを切った。一枚一枚が私のなかでかみ砕かれていく。一つ一つが私の記憶となる。
最初にここにきて正解だった。ここは私の中のノスタルジックを的確に表現している。
しばらく写真を撮ったのち、私はその場で立ち尽くした。何もせず。その時ばかりは何も考えることが出来なかった。どんな顔をしていたのだろう。
次はどこへ行こうか。せっかく京都に来たのだから、もう少しこの辺を観光しよう。空になったペットボトルを自販機の隣にあるごみ箱に捨て、私は歩き出した。