今更ながら「スゲエ!」と思う一文で記事を書く

最近懐かしい曲をたくさん聞いています。ノスタルジーに浸ることがあれば新しい発見もあったりと飽きません。

その中で一曲久しぶりに聞いたら「すごいな!」と思える曲がありました。
それはH₂Oさんの『想い出がいっぱい』(作詞阿木燿子 作曲鈴木キサブロー Kitty Records)
合唱曲の定番ですね。個人的には無花果さんのアカペラカバーが印象に残っています。
今回はこの曲の特に歌詞。そしてさらに一文だけで記事を書きます!それだけ感動したのです!

それがこちら

手に届く宇宙は限りなく澄んで 君を包んでいた

『想い出がいっぱい』(作詞阿木燿子 作曲鈴木キサブロー Kitty Records)

もうこの一文を久々に聞いた時感動しました。なんだかこれだけで一枚絵を書けそうです(誰かかいてくれないかなあ・・・)

詳しく見ていきます。まずは最初「手に届く宇宙」よく聞きそうで実はあんまり聞かない表現です。

こういう「手が届く」という表現は、こちらが比喩として使われるケースが多いと思います。例えば「手が届きそうな青空」「もうすぐ手が届きそう」
「手が届く価格」こういう表現は比較的よく見ます。

翻ってこの一文はどうでしょう。「手に届く宇宙」というと、明らかに「宇宙」の方が比喩的な表現と感じます。もちろん、実際に宇宙に手が届くわけではないので「手に届く」も十分比喩なのですが、それ以上に「宇宙」の方が現実味がなく比喩として強い印象を与えます。

こうして宇宙にフォーカスを当てたところで次の一文

「限りなく澄んで」

・・・ええ!宇宙が澄んでいる?とても驚きます。だって宇宙が濁ってると思ったことがないですから。この二択でいえばどちらかというと澄んでいるイメージです。しかし、作詞者ははっきりとおっしゃっています

「限りなく澄んで」

「限りなく澄んで」?どういうこと?ますます混乱は深まります。そして最後にこの一文

「君を包んでいた」

これによりぐっと宇宙が近くなります。まあ、元々「手に届く」と言ってるぐらいですからそりゃあ近いのでしょうけど。こうして二つ身近である、そばにいるという表現を用いることで、比喩表現はますます「宇宙」に集約されていきます。

では「宇宙」とはなんなのか?それは書かないでおきましょう。こんな記事を書いといてなんですが、自分は歌詞の解説があまり好きではありません。せっかく頑張ってそぎ落としたものに贅肉をつけるような行為です。(今回はどうしても書きたかった・・・ごめんなさい!)

そのため、内容についての解説、考察は控えます。一つ申し上げておくと、これは明らかに空間的な意味での「宇宙」にはとどまらないという印象を受けました。


しかし、自分が伝えたいのはこの一文の持つ圧倒的な透明感、ファンタジー!セピア!(?)もう時間的、空間的に幻のような雰囲気をまとっています。最高です。

最後に作詞者についても触れておきましょう。作詞は阿木燿子さん。御年77歳(喜寿ですね。おめでとうございます。)
なんと2006年に紫綬褒章を受章されています。とってもすごい方でした。そんな方の作詞についてこんなNOTEの片隅に潜んでいるような人間が書いている・・・申し訳なくなります。

自分は世代ではないためわかりませんでしたが、数々のスターの曲を作詞されているとのこと・・・スゴイ方・・・

そんな方の作詞に「スゴイ」といった。しかも(恥ずかしながら)作詞者の方を存じ上げない状態で!ちょっと鼻が高いです。