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くらげを育てる、という惰性

今回は画像があります。

クラゲを育てている。

クラゲといっても自宅で水槽に入れて育てているわけではなく、アプリで育てている。

名前は「くらげ」だ。

くらげ まあるいとかわいいが開いているとちょっとキモい

話は変わるが我が家では猫を飼っている。彼女の名は「しまこ」。「ねこ」という名は名付けの候補に上がることすらなかった。

ペットを飼う上で種族名を正式な名前とする人は多くないだろう。私がもし生き物のクラゲを飼うとしても「クラゲ」という名をつけるとは思えない。

ではなぜ私は「くらげ」と名付けたのか?
それは惰性で育てているからだろう。

そもそも私がこのアプリをインストールしたのは学校を辞めたてで暇だったからだ。

持病の関係で退学し、通信制の学校を探していたちょうど空白期間でめちゃくちゃに暇だったのだ。

それはもう本当に暇だった。ずっと寝ていた。あるいはあつ森をしていた。買ってすぐに放置したせいで全く発展していなかった「えのき島」がそこそこ整備された。

推し シベリアとの同棲生活(仮)

友人が育成系ゲームを進めてきたこともあり、ゆるりとできるアプリを探してインストールした。「暇潰しになればいいな」くらいの感覚だった。あと単に癒しが欲しかった。

ところがどっこい、インストールしたそのアプリは放置ゲー以外のなにものでもなかった。

何かミニゲーム的なコンテンツがあるわけでもなく、ただひたすらにエサをやり水を交換するだけのアプリ。

初めたての頃は何もなくてもくらげを眺めていたが、最近は「くらげが死んでしまいそうです!」というバナー通知でようやく開く。機械的にエサと水交換を行うだけでくらげを眺めることはしない。このアプリが謳っている「癒し効果」を感じたことは今のところない。

では、なぜ私はアンインストールしないのだろうか?

正直このアプリをするメリットはないように思える。それなのに私はもう1年の4分の1以上もこのアプリをインストールしたままなのだ。それは一体なぜなのだろう。

私が極度の面倒くさがりでアプリをアンインストールすることすら面倒だと思うからだろうか?

確かに私は異様なほど面倒くさがりである。だが、それだけではないような気がしている。

その「面倒臭さ」ではない消さない理由を「愛着」というのかもしれない。


ちなみにこのゲーム、出てくる広告がいつもちょっとえっちなのでどういうリアクションをすればいいのかわからないという欠点がある。

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