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自分は両親が嫌いだった❓️

自分は両親が嫌いだった❓️

うちは元々理髪店を営んでいたが、理髪店の店主は後継ぎがいなくて困っていた。

そこで、自分の母(身体障害者)が理容師の資格を持っていたため、養女として貰われてきた。

そこに婿として元父(水道屋勤務)がやってきて結婚。

自分が生まれた。

つまり、自分は代々理髪店である苗字を名乗ってはいるが、血は引いていないのだ。

自分が3歳の時に元父が浮気をして、身体障害者である母と自分を置いて家出をし、離婚となった。

慰謝料と養育費を貰うことになったそうだが、元父は1円もお金を送って来なかったそうである。

慰謝料と養育費はともかく、身体障害者の母を捨てたことに対して、自分は元父を許さない❗️

そしてそこから母と自分の二人暮らしが始まった。

自分は理髪店を継ぎたくないと言ったが、母はそれに関しては何も言わなかった。

そして高校まで出してくれた母には感謝はしているが、自分は大人になってから言われた母の言葉にショックを受け、母が嫌いになった。

何言ってるんだよ❓️

僕を育てたのはお前じゃないのかよ❗️❓️

社会人としての伸び悩みに悩んでいたところに母からのこの言葉で、母との仲は険悪になった。

更に会社の女性に好意を示したものの、酷いフラれかたをした自分は、自分の給料で建て替えた家で暴れだし、母にも手を上げた。

母は親戚の家に逃げた(避難ではなく敢えて逃げたと言わせてもらう)。

そんなこともあり、自分は精神病ということにされ、入院することになる。

※病気のことに関しては以下の過去記事に掲載しています。

その後、親戚が母と自分の中に入り、仲直りした形となったが、自分は仕事が出来なくなり退職、せっかく建てた家を売り、アパートに住むことになった。

市営団地に入居出来てすぐの頃、母が脳梗塞を発症する。

退院後、母は家にリハビリに来てもらいながら、自分は新聞配達のアルバイトと障害年金、母も1級の身体障害者となったため、生活資金には困らなかった。

その後、夜中に母がトイレに行くために車椅子に移譲中に転倒し、足を骨折し再度入院。

この時はリハビリ入院後、すぐに老人保健施設が見つかり、母は施設の料金を自分の障害年金から払い、自分は新聞配達などのアルバイトや、障害者雇用で生活する期間が長く続いた。

そんな折、母の肺に影が見えるということで詳しく検査すると肺がんのステージ4と分かり、終末医療をお願いした。

終末医療が始まり8ヶ月後、母は亡くなった。

その時自分は最初は「やっと母は苦しい思いをしなくて良くなったんだ。」と思うと、涙は出なかった。

しかし、母が亡くなって今年で7年を過ぎたが、今になって母に対していろんな思いをするようになった。

亡くなって寂しい気持ちや、「お前は人間としてダメだ❗️」と言われたことを思い出して憎らしい気持ちが蘇ったり、複雑な気持ちが交差するようになった。

元父は母と自分を捨てた憎い奴という気持ちは小さな頃から今まで変わっていない。

でも母に対しては、憎い奴だったのか、育てたことに感謝していてそれで寂しい気持ちになるのか、自分でも分からなくなる。

でも、再掲するが、母に言われたあの言葉は忘れる事は無い。

これが忘れられない以上、やっぱり母のことは嫌いなんだろうな。

最近こんなことを考えている。

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