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その空気の行方

救えたはずの命が救えなかった。

コロナ感染症にて自宅療養中の妊婦が自宅で出産、
救えなかった命…

コロナ感染症と出産に対応できる施設、人員が手配できなかったと説明する保健所次長の言葉には、救えなかった命への思いを感じることはできなかった。

しかし、この保健所次長を責める事はできない。

保健所の業務がどれ程ひっ迫しているかは想像に難くないからだ。

私の弟は保健師として保健所に勤務している。

今でこそ臨時の保健師が補充され、一時よりはひっ迫が改善されたが、ひどいときは連日勤務、日付が変わる前に何とか帰宅、休みでも呼び出されることはしばしば…

過労死するんじゃないか、と本気で心配した時もあった。


保健所次長の言葉は淡々としていた。
手を尽くしたが、どうしようもなかったのだと。

誰かのせいにしたり、
誰かに責任を押し付けたいわけではない。
ただ、なぜ?どうして?という思いが消えない…

NICU、新生児集中治療室に勤務していた時がある。
小さな小さな、それこそ両手に乗るくらいの小さな命と向き合ってきた。
救えなかった命もある。
救えたが、障害が残ってしまった命もある。
救えたが、家庭の事情により育てられず、乳児院へ託した命もある。

小さな命は大人が守らなければならなかった。
守り切れなかった命。

「仕方がなかった。どうしようもなかった。」

仕方がない、どうしようもないという空気。
その空気は失望となり、
その空気は人を殺すこともできる。


この国はいつから空気で人を殺す国になったのだろうか。


救えなかった命は終わった命じゃない。
救えなかった命は今も続いている。
救えなかった命は問いかけている。

その問いに応えていく責任がある。

流行病の長期化、本当の敵はウィルスではなく、この空気、なのかもしれない。

失望、冷めた空気ではなく、
心地よい空気にふれ、気持ちのいい風に吹かれたい。

まだ夏の名残を感じる秋の風を感じながら
その空気が行方不明にならないように、
追い風か向かい風か、風を読みながら、進んでいきたい。             
決して空に身を投げるようなことはしないように、と願いながら。

あっち?こっち?そっち?どっち?
変わりやすい秋の空は迷子になりやすい。

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