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一石を投じる

先日新聞の折り込みに県の広報誌がはさまれていた。

内容は「障がい者と社会」
表紙は健常者と思われる女性モデル2人が寄り添うようにして写っている。
一見春らしいオシャレな広告を思わせる。
「THINK! NAGANO MODEL」の文字


ページをめくる


女性モデルそれぞれがポーズをとり、
「障がいは、本人の努力で乗り越える。それが、個人モデルという考え方」


もう一方は
「障がいがあっても参加できる社会をつくる。それが社会モデルという考え方」


と、2つのモデルについて解説している。


正直、今さら何だろう…と
違和感を覚えた。


2つの考え方があるのはわかる。
が、
考え方を並べただけであり、
県としては何をどう目指すのか、その考えは示されていない。


それから数日後の新聞に、この広報に対し、わかりにくい、県は個人モデルの捉え方を求めているのか?障害者にこれ以上頑張れというのか?
という疑問の声が相次いで寄せられたとする記事が載っていた。


そして、動画配信も差し止めになった。


県によると、この記事は「県障がい者共生社会づくり条例」の来年度制定を目指し、県民に障害と社会の捉え方を考えてほしいと企画されたようである。


また、「押し付けがましくては読んでもらえないと思い、2つのモデルの考え方にあえて優劣をつけなかった」という。


たしかに、2つのモデルの違いについてはわかる。
どちらがいい、わるいという問題でもないだろう。
しかし、この場合、優劣をつけないことが逆効果でもあるように感じた。
実際のリアルを伝えたほうがよかったのではないか?
リアルとはやはり現実、当事者の声であり、データである。
漠然としすぎていては伝わらない。
はっきりと、これが現実だという事実を示してもよかったのではないだろうか。


この記事からは当事者が置き去りにされている感じしか伝わらない。


当事者の声は活かされていない。


当事者の声、姿、支える人たちのこと、
想像してみたのだろうか

この記事を世に出す前に、
当事者の声を聴いたのだろうか


色々な考え方、捉え方はあるだろう。
自分自身もこうして好きなように意見を述べているが、自分がよかれと思った言葉が誰かを不快にさせたり、傷つけているかもしれない、そういう危機感は忘れずに持ち続けたい。
誰もが自由に発言、発信できることは素晴らしいことである。
が、それ故の弊害も忘れてはならないだろう。


この広報が、物議をかもしたことで
「障がい者と社会」について
一石を投じることになったのであれば、
評価に値するかもしれない。




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