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【#1】『放棄の末裔エスポシト』【ブラスフェマス・考察】

1.『放棄の末裔エスポシト』とは

 血塗れの包帯で目隠しされた赤ちゃんという画的インパクトの強さから、おそらくブラスフェマスで最も有名なボス。ゲームの残虐描写と宗教性を象徴する存在。
 実際にプレイしてみるとエスポシト本人からの攻撃は唯一即死技があるのみで、基本的には枝で編まれた人面蛇(?)と戦うことになります。

 ブラスフェマスは登場人物ごとの情報量にムラがあり、エスポシトに関してはそれほど多く語られていないため、視覚的情報と少ないテキストからみた憶測に近い考察ですが、あしからず……

※ネタバレを含みます。


2.考察と所感

・眠れる画廊にあるもの=教会によって秘匿された存在

 エスポシトがいるエリア「眠れる画廊」は、教会に悪影響を及ぼす可能性のある造形物、都合の悪い存在等を隠すための場所です。実際の世界史でいうと、聖像や絵画等イコンの崇拝を禁じた「偶像禁止令」が近いかもしれません。
 
 ここに隠されたのは美術品だけではないことがロザリオ「博識なる石灰眼」(奇蹟により石像と化した写字生の話を眠れる画廊に隠した話?)からも分かります。
 つまりエスポシトも「抹消することができないが、教会としては秘匿しなければいけない存在」であったのでしょう。


・テキストで語られた情報

火刑の直前、焚き火の元へと連れていかれる母親の腕から、宗教裁判官が赤子を取り上げた。彼女は泣き叫び、自らが燃やされる様子を赤子に見せないよう、嘆願した。遠くから母親を眺める、その赤子の目元の目隠しは涙で湿っていた。処刑の様子を見ようと、焚き火の周囲は人々が取り囲んでいた。人々は口々に、彼女のことを魔女と罵り、異端だと大声で叫んでいた。炎が焚き火の山を舐め始めた時、母親は周囲の人々に心からのお願いをした。赤子が寂しがらないよう、母親の大きさと姿を模した人形を木の枝で作り、その腕に赤子を置いてほしい、と。人々はその願いを受け入れ、人形を作り、泣き叫ぶ赤子をその腕に抱かせた。赤子はその瞬間、ぴたりと泣くのを止めたという。奇蹟はまたしても、その慈悲を知らしめたのだった。

ロザリオ「枝編みの結び目」伝承より

 以上の話は「教会が」「奇蹟の驚異について」表立って語った伝承と思われます。その赤子がどうなったか、なぜ母親のみが火刑に処され、しかし赤子の命と木の枝の人形を作ることは容認したのかという部分は語られていません。
 また赤子を取り上げたのが「宗教裁判官である」というのも突拍子のなさというか、この伝承に登場するには唐突な感じがします。
(宗教裁判官=聖下ではとも考えましたが、宗教裁判官と名のつく遺骨が複数あることから、必ずしも同一人物ではないと思われます。)

 しかし「魔女の子ども」でありながらエスポシトが生かされたのが、宗教裁判官の意向であることは間違いないでしょう。


・エスポシトの攻撃方法

 冒頭に述べた通り、エスポシトはボスとしては特殊な戦い方をします。

・通常攻撃は枝編みの「人面を持つ蛇のような何か」(エスポシトでも母の像でもない)が行う
・たまにエスポシトが即死技を行う(悔悟者の四肢を千切ってバラバラにする)

 人面蛇?に関する話は典拠が全く無いため憶測ですが、母親の魂(子どもを守る精神)の部分ではないかと個人的には感じます。
 (ブラスフェマスでは特に、肉体ー精神の分離について語られる場面が頻出します。三姉妹が奇蹟により、アルタスグラシアス(肉体面)と三苦悶(精神面)に分離される等) 

 肉体は焼かれても子を想う精神を宿す媒体があれば、人の身でなくとも存在し得るということなのかもしれません。母が子を守るという意味からすると、蛇というよりもへその緒を模している姿なのかも…。

 またエスポシト本人の攻撃方法は四肢千切りのみですが、これはゲーム内で唯一の即死技です。最終アプデまで含めて敵及び他ボスは即死技を持っていないので、かなり意図的な設定に感じます。
 「奇蹟の末子」ですら、即死攻撃を持ち得なかったということです。


・「聖下の隠し子」?

 宗教学には詳しくないのですが、宗教的なモチーフが取り入れられた作品には「父親は聖職者、母親は不明」という設定や考察がされている作品をよく見かける気がします。そういったエピソードの元ネタになるような、実在の宗教的逸話・伝承があるのだろうか…

※他作品ですが、Fate/Zeroの言峰(父は司祭、母親は不明)が「我が父は犬でも孕ませたというのか」という台詞があり、これは真っ当な人の道を歩けない自己に対する究極の罵倒なのですが、同時に客観的事実として言峰の出自に曖昧な部分がある、ということも示唆されているように思います…
※これも他作品ですが、ジョジョ5部に登場するディアボロの出自(父親は不明(病死)、母親は女囚)が、本当は神父と血縁関係のある子だったのではという一説があったような…多分…

 聖職者と結ばれてはならない女性との間に子どもができてしまった場合、教会側はどのように対応するでしょうか。異端者への拷問や焦貌の聖女修道院の規則(自らの顔を油で焼かねばならない)等々を見るに、宗教的な尊さを重んじるならば残酷な行為も厭わない、そういう判断をするでしょう。
 例えば魔女狩りのように、女性に非がなくとも何らかの罪を被せ、処刑するだとか…


・腹部の傷

 よく見るとエスポシトの腹部には、胸部~腹部にかけて縦に長い傷があります。涙で濡れた目隠しと違い、この傷については明らかな言及がされていません(隠されている?)。
 また真なる埋葬教団の導師の教えには「どこも欠けることのない者のみが夢の向こう岸へと渡れる」とされており、この文化的価値観は逆に「悪しき者、都合の悪い存在を昇天させないようにするため、遺体をバラバラにする」行為へと繋がったとも言えます。テンチュディアの遺体であったり、異端者や犯罪者の遺骨が打ち捨てられているところからも、その考え方が広く信じられていたのでしょう。

 そのような背景を考えると、エスポシトの腹部の傷は臓器や身体の一部を抜かれた痕なのでは…と思います。教会にとって都合の悪い存在ではあるものの、事情(聖人の子ども?聖人に比類する存在?)により殺すこともできないため、肉体の欠けた状態で生かされ、隠された場所に閉じ込めたのではないでしょうか。
 仮に聖下の子どもであったとして、自分を超える力を赤子の時点で持っている我が子をそのままにしておけば、将来的な自身の地位や天の意志との繋がりを危惧することもあるかもしれません。少なくとも夢の向こう側に渡らせてはいけない、と判断されたのだと思います。


3.教会より「放棄」された奇蹟の「末裔」エスポシト

 エスポシトという名前は、昔のスペインで親の分からない子ども(孤児)を指した言葉のようです(Blasphemous Artbookより)。

 しかし上記の点からみると、敢えて「親の不明な子」という名前をつけられ存在をうやむやにされた、奇蹟の「末裔(⇒「奇蹟の末子」になる力を秘めた者)」となる可能性を教会の手により「放棄」させられた子ども、と解釈できるのではないかと思います。

 「奇蹟の末子」とは必ずしも聖下エスクリバーのみのものではなく、相応の力があれば他の人物もなり得る存在であることはエンディングの一つ(Aエンド「信ずる者の道」)でも明らかになっています。
 エスポシトもあるいは、奇蹟の末子として君臨するに相応しい人物だったのかもしれません。


余談.エスポシトの生死

 エスポシトは最期に、燃え盛る火の海に枝編みの母の像と共に沈みます。しかしエスポシト本人が本当に死亡したかどうかは、他のボスと比較してはっきりと描かれてはいません。
(舞台裏的にいえば、赤ちゃんに対する直接的な残酷描写を避けただけかもしれませんが…)

 身体を裂かれ、目隠しをされたまま閉じ込められ、しかしなお生き延びていた巨大な赤子。最終アプデで追加されたEDムービーの心臓人間?(聖下の復活?)を見ると、次回作も世界観は統一されていそうなので、一作目の登場人物として続編に再登場する可能性もあるかもしれないですね。




(雑記)
wikiもだいぶ形になってきたので、これからは考察系の話も書いていきます。マイペース更新&言及する題材も順序だっていない形となりますが、よかったら読んでもらえると嬉しいです

【ブラスフェマス(blasphemous)テキスト @Wiki】 https://w.atwiki.jp/text_blasphemous/  ←こちらは公式フレーバーテキストをまとめています。整備中ですがよかったら見てね。