コンビニの実話誌で、くらう。
自分がつくづくエンパス・HSPだなと感じる現象として「よいものを読んだら精神の透明感アップ。悪いものを読んだらくらう。」というものがある。
約10年前。20代前半の頃の私はコンビニの実話誌が大好きだった。
当時はコンビニ実話誌が華の時代。実話ナックルズ、実話マッドマックス、文章が多いものもマンガタイプなど数多くの実話誌がコンビニの男コーナーに鎮座していた。
中学生の時は地元の本屋で「SPA!」を買うだけでド緊張していた自分も、この頃にはすっかりけがれ、買うときはコンビニ店員の目など一切気にせずレジに運び、家につくなりウキウキで芸能界のドス黒話、違法ビジネス、歌舞伎町の与太話・・・など闇の世界の怪しげな華やかさやスリリングな世界のエピソードの虜になっていた。
でも夢中にさせたのは下世話な部分だけでなく、レギュラー陣の漫画家の皆さんのレベルの高さも大きな要因だった。構成力、切り取り方、展開・・・うまい作家さんは話がとても面白いのだ。(本当にレギュラー陣の先生とたまに載っている人とでは実力の差が歴然としていた。)まだ「東京北区赤羽」を描く前のブレイク前の清野とおる先生が知らない街をひとりで歩く寂しげなマンガもリアルタイムで読んでいた。よくお色気系の漫画を描いていらっしゃった先生の劇画タッチとギャグマンガの中間みたいな、唇が概念としての石原さとみのような厚さのスリップ姿のギャルも大ツボ千夏だった。あれは世に氾濫する萌え絵に疲れていた私の心に深く刺さったものだ。
実話ナックルズ・久田正義編集長の「少し疲れた白髪交じりのメガネ」というビジュアルもまたいい味を出していた。そう。「いい味」私は実話誌の「味」に惚れていた。ただゲスい記事が読みたいなら安いネット記事でいい。でも違う。哀愁、背徳感、最後の昭和・・・なにを言っているかわからなくなってきたが、そこにはたしかなロマンがあった。
実話誌ウォッチ。今思えば、これは私の数少ない趣味だったんじゃないかと思う。そんなわけで当時、そういった類の雑誌が部屋に常時2〜3冊はあった。
しかし、そんな大好きな実話誌を読むといつも体がぐったり、はたまたどよんとして、頭の中はネガティブな考えがグルグルと渦巻き、朝まで眠れない事が続いた。いわゆる「くらう」状態だ。体調を崩すと、心なしか部屋の空気も重々しくなっていた。薄々、原因は何か気付いていた。でも実話誌を読みたいという欲求が勝り、見て見ぬふりをしていた。
体調不良の日々は続き、休みの日は何もせず横になっている事が増えていった。ただでさえ悩みの多かった当時の私は、少しでもラクになりたいと願うようになった。そんなある日、自分の苦しみを何かのせいにしたくなり断捨離を決行した。そして部屋に散らばる実話誌を見て「(もしかしてこういうものが部屋にあるからいけないんじゃないか)」と、ふと思った。雑誌を読みおわってもなかなか捨てないタイプだったが、その時は思い切った。数日経ってから、部屋の空気が軽くなっている事に気付いた。
あの「捨てた日」から何年経っただろうか。実話誌ブームが昔ほどではない事もあるが、とりあえず今は買っていない。どうしても読みたい時も「(またくらうぞ)」と自分に言い聞かせガマンをする。ガマンをし、廉価版の黄昏流星群を買うようにしている。
あれだけ読み漁っていたのに禁書にような扱いなんて酷いな、と思う所もあるけれど、離れたところで感謝してお別れしよう。ありがとう。私の青春ナックルズ。
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