誰か。

人は色んな背景があって此処に集まっているのだと思う。

隣の誰かだって、きっとそう。僕の知り得ない過去があるのだ。

だけれど、こうやって思いを馳せることを、逡巡することを煙たがる人も居る。冗談混じりに揶揄する人も居る。僕はこれを絶対的な軸として建てているのに、それをも簡単に壊そうとする。人の裏側を覗き見るのは厚かましいことではあろう。けれど、その過去を想像し、例え不確かな事であったとしても、それを必死に想い、守ろうとする。そんなことがたった一言の冗談で潰されてはいけない、そう思ってしまう。

人の過去を想うことは、ただの夢想だ。夢見心地でその人の全てをわかった気になることかもしれない。今から会いに行く人たちの過去全てを想える訳じゃない。その中で自分が好きな人の過去を想うのだ。それは決して一人だけとは限らないが。

考えることは、あなたを知りたい、と思うことはそんなにいけないことだろうか。独りよがりか。そう捉える人も居るのか。自分の核を否定されたような感覚に陥ったとき、僕は涙さえも流せない。随分と泣くことなんてしていなくて、ただただ悲しい。泣けやしないから余計に救いがない。いっそのこと、独り、暗い部屋の隅で、延々泣ければ、淀んで濁った何かを浄化できそうな気もする。誰かの心の中で誰かの胸を濡らすことができれば、どれだけ良いだろう。
だけれど、そんな褒美を貰えるわけでもなく、僕はずっと怠惰にダラダラと日常を生きている。

そのジレンマがまた、僕の心を切り裂いて、悲しくなる。負のスパイラルに入ってしまっているな。自尊心の低さからこうなることは分かっている。誰よりも優しいと云うエゴを持つ僕にアイデンティティなんてものが持ち合わさっている訳はない。

ひとつ、また、ひとつ。新しい世界を見るしかない。その世界がどんなに素晴らしくとも、僕は汚してしまって、その少しの汚れをずっと探し回って、消そうとしてしまうんだろうけど。そうこうするうちに涙が生まれて、歳を食い、命を燃やし切るんだ。

そうやって、世界を拡充して行こう。死へと歩みを繰る明日のために。

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