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許す人

友だちってなんだろな、と考えてしまうのをやめられない。答えが出るわけない話なんだけど、みんなの答えはどうなんだろう。

怖くて訊けたことは、あまり無い。あるにはあるけど、まあそうだよね(でも実際私とあなたが同じ感覚かはわからないな)、という答えなので、結局知らないも同じ。

ある知り合いからしたら、私には「ちゃんと友だちがいる」のだそうだ。
たしかにゼロでは無いのだけど、そう言われるたびに、その知り合いも含めて、本当の本音の私を受け入れてくれる人は居ないんだろうなと思う。

わがままな話なんだろうけど、誰と一緒にいても何処かぼんやり「相容れないな」と笑えなくなる瞬間がある。その相容れなさを許容して笑えるのならいいのだけど、そうとはいかずに、この人に私の価値観は理解してもらえないんだろうと壁を張ってしまう。そこで一歩踏み出して、「私はこう思うよ」と言ったら嫌われてしまう気がして、そのリスクを取るのなら私の価値観は私が守ればいいと黙ってしまう。

だから「この人とはここまで話せるけど、あの人には話せなくて、その代わりにここから先は話せる」みたいな、ひとりひとり私の中で少しずつ違う妥協点のある友だちがいるのだ。

こうして並べ立ててみると本当に失礼だし厚かましいのだけど、友だちってそんなものじゃないのだろうか。

話は逸れるが、私はずっと、なんでも話して喧嘩もするけど、それはお互いに対する信頼からで、ずっとベッタリだったり、かと思うとしばらく会わなかったりして、それで久しぶりにあっても、まるで昨日も会っていたかの距離で話せる人たちが好きだ。友だちとか恋人とかを超越した、何かを持ってる人たちが好きなのだ。

そして、私にとってそれに最も近い人が少し前まで居た。その人は十年以上の付き合いで、ずっと親友で、良いところも悪いところもたくさん知っていて、それらのすべてが面白い人だった。その人は、私の暗いところも知っていて、長く会わないときがあっても私のことが好きでいてくれて、何も喋らなくてもよかったけど、話すことなんていつまでも尽きないくらい何もかもを話していた。友だちだったし、恋人だったし、それ以上に肉親たちより優先したい大切な家族だった。

と、思っていた。
あるとき、その人の知らないところを知った時に、「この人は誰なんだ、なんのために私と居るのだろう」と考えるようになってしまった。

私が悪かったのかもしれないし、その人にも悪いところはあったと思っているけど、結局関係を壊したきっかけは私で、今やその人は、私の人生から残滓も残さずに追い出したい人になっている。

それ以来、誰かほんとうの意味で心を許せる人を探しながら、ちょっとずつ諦めることを繰り返している。

その誰かはきっと、私がその人を許そうとしないと現れない。だから誰か、許す勇気をくれ。


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