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彼の犬 #3  加地慶子

■ 前回まで

  散歩中に犬のタロウと心中しようかとふと思った。犬が可哀そうだからではない。そのとき自分が世界に一人放り出された感覚が細い線になって体を走ったのだ。自殺者はこういう感じになって逝ってしまうのかとそのとき気づいた。
 犬は彼がもらってきた。私が拾ってきたのではない。8匹のきょうだいはもらわれ、タロウは最後の1匹だった。7匹は好まれてもらわれたのにタロウはもらってもらえなかった、そこに彼は同情したのかどうか。
 

彼の犬 #3

 8匹生んだ母犬は野良犬だった。別荘の人に捨てられたのか首輪が外れて迷い犬になったのかはわからない。運送会社の事務所前にいて女子社員に拾われたときすでに妊娠していた。
 その前は餌をもらってどこかに消え、また戻ってくるというふうだった。人が近づくと逃げる。    女子社員が家に連れ帰ったときはなついておとなしくなっていた。
 母犬は女子社員の家の倉庫で出産し、そのまま倉庫と庭で過ごした。仔犬2匹は車の事故に死んだ。もらわれた仔犬は8匹ではなく、6匹である。  タロウのきょうだいたちが10歳になったとき、China武漢で新型コロナウイルス感染症が発生した。
 武漢の市場では生きた小動物を販売しているそうで、蝙蝠が発生源だろうと報道された。それで武漢ウイルスと呼ばれた。 
 わたしは十数年前、東京から新幹線で1時間の地方都市に移住していた。
 最初は有給休暇を使い、やがて休暇がなくなると診断書を出して病欠を取り、医師に自律神経やホルモンバランス、貧血や低血圧や鬱病の症状を訴え、一週間連続で欠勤するようになっていた。
 まったくの仮病ではなく、ほんとうに体調が悪くなっていた。動悸や頭痛、立眩みなど暗示にかかったのかついに薬を処方されるようになった。       通勤しないなら東京にいる必要もなく、転地療養と言いふらして祖母の別荘に移住した。そのうち会社に居づらくなって退職願を出した。ちょうど早期退職の募集があり、退職金が上乗せされた。
 人事課長が「休日出勤の代休が76日残っているので4か月分の給与と賞与が出ます」と言った。
 そんなに休日出勤していたのかと忘れていたので驚いた。ひょっとしたら仮病ではなく、病気は事実だったのかもしれない。そもそも会社を休みたくなることじたい不自然である。そんなことになるはずのない仕事好きのほうだった。なんだそうだったのか。

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