見出し画像

広島への道。

10年前の朝の事。
私は、東京駅の八重洲口にある、東海道・山陽新幹線のりば手前の椅子に腰掛け、時計ばかり見ていました。
その日、私は午前8時10分発博多行きに乗るべく、朝6時前に家を出、加とさんに駅まで送ってもらい、池袋から電車を乗り換えて東京駅にやって来たのです。
降りる駅は、広島。
何をしに行くのかと言えば、薬を手に入れる為でした。
初めてのひとり旅。
人生二度目の新幹線。
一度目は1978年、奈良・京都への修学旅行で乗ったきり。実に32年ぶり。
切符の買い方もよく解らず、東京駅のどこへ行けば新幹線が待ってるのか、それさえも殆ど知らずにまぁ・・・

それだけ、切羽詰まっていた訳です。
(今日、行かなければ。今日行かないと、次は無いかも)
追い詰められる私の腹部は、時折刺すようにきつく痛みました。
何度もトイレに行く私。
トイレに行ってるうちに新幹線が発車しちゃったらどうしよう・・・
余計な緊張感も積もってきて、広島ひとり旅は出発前から不穏な空気が満載でした。

やがて、乗車のアナウンスがあり、
私はバッグと切符を手に、挙動不審なオバサンよろしく、他の乗客の後ろについて、乗車ホームへと上がって行きました。

画像1

なんと・・・今の子はウルトラマンみたいな顔なのね!(違)
のぞみちゃん、私を広島まで連れてって・・・!!
実際に乗る車両を見たら、幼稚園児のごとくテンション上がるオバサンw
お腹痛いけど嬉しくなっちゃうってw

定刻通りに発車した新幹線。
は、速い!!!←当たり前だ
でもあれね、窓がちっちゃい。外の景色が見えにくい。
私が普段利用している西武鉄道にも全席指定の特急列車がありますが、
西武の特急電車は、窓がそりゃもぉ大きいのです。
私は2列席の通路側だったのですが、窓の向こうに富士山が大きく見えた時なんかもう、目を見開いて、軽く足をパタパタしてしまった(笑)
お腹痛いのにテンションは高いw
当時、実寸大ガンダムRX78が静岡のどこだか?に設置してあったとかで、
新幹線から見えないだろうか、通路側席からきょろきょろしてしまいました。窓際のお客様、ホントすみませんでした(;´д`)

↓↓↓(途中は端折って。。。4時間後)↓↓↓

無事、広島到着!(速い!)

さて、
何故私が朝早い新幹線で広島を目指したのか。それには理由があります。
私は2005年の秋頃に、難病の潰瘍性大腸炎を発症しました。
ざっくり言うと、
大腸の自己免疫システムが何らかの原因で狂い、大腸そのものを異物と見なして攻撃し、やがて全体に赤くただれた潰瘍が発生して、酷い出血と下痢腹痛が起こります。
その痛みの激しさと言ったら(涙目)。
私はひとりで作業していた職場で、あまりの激痛に絶叫したあげく、応接間のソファに倒れ込んでそのまま意識を失った事があります。
(あの時だーれも来なくて良かった。2時間もひっくり返ってたんだもん)
下痢は日に20回を超え、酷い時は20分おきにトイレに駆け込みました。
トマトケチャップの様な赤い排泄物が日に20回。そのたびに激痛。
もう死ぬんじゃないかって、泣きながらトイレと寝床の往復です。
ただ、ずっと続く訳じゃありません。
薬と絶食等でやがて症状がパタッと消え、治った?と思うくらい、無症状・快調な状態になります。これが、緩解期。
その状態が10年続く人、20年続く人、一生続く幸運な人もいれば、
1か月で症状が再燃し、再び活動期に入る人もいます。
完治は99%不可能。
患者はこの再燃→緩解→再燃→緩解を繰り返しながら日々を送るのです。

私の場合、2005年に発症し、1年ほど軽症のまま過ごしていたら、
2006年秋に某カレーレストランにて野菜カレーランチを食べたところ、翌日から鈍い腹痛と下血が始まり、やがてそれは猛烈な下痢下血腹痛へと進行してまったく起き上がれなくなりました。
※この病気はとても厳しい食事制限があります。辛い物や繊維は超絶NG!
更に嘔吐も始まり、水さえも飲めない状態。
所沢にある専門クリニックの主治医はステロイドを処方し、私はその小さなピンクの錠剤のおかげで、少しずつ少しずつ回復へと向かい、半年後の2007年春には、普通に仕事もこなせるまでになりました。
がしかし、ステロイドの副作用にもくるしみました。
すごく良く効くけど・・・怖いね。

それから3年後の2010年。
私は再び、嫌な腹痛を繰り返すようになっていました。
日に5度、トイレに駆け込み、下痢と下血。
それが段々に増えて来ました。
2006年の悪夢再び。
しかも、普段飲んでいる薬も効かなくなって来ました。
当時は新薬も出たばかりだったのに。
またステロイドか。それが効かなかったら、入院して絶食か。
それもダメだったら、大腸全摘出か。
どうしよう・・・

そんな時、
ネットで話題になっている漢方薬の存在を知りました。
重症だった同病患者さんが、ほぼ完治状態に至ったと言う情報。
思わず飛びつきました。
その漢方薬が、広島のとあるクリニックでしか入手出来ない事。
入手するには、今現在症状がある(つまり再燃してる)事。
それには火曜日の午後、広島まで行く必要がある事。

となれば、

行くしかないじゃん!!

思い立ったが吉日!
前後左右未確認!
直進爆走型!!…な私、さっそくネットでクリニックの電話番号を調べ、
8月3日の火曜日に予約!
どうやって行くか?飛行機?電車?
調べると、駅からほど近いらしい。じゃ、電車だ!新幹線だ!
時刻表を調べ、所沢のクリニックに通院した帰りに、所沢駅で切符をゲット!
(買い方をよく知らなくて窓口を長時間占拠してほんとすんません( ̄▽ ̄;))

加とさんは当時激務だったから無理して休んでもらう訳にはいかない。
ひとりで行くぜ!!

そう決めると、なんちうか、症状が治まってくるもんですね。
潜在意識が体調を左右すると言われますが、まさしくこの時、移動時間中はお腹はさほど痛みませんでした。

で、広島着いた訳です!↑↑↑に戻る↑↑

画像2

もうね、お腹痛いのも忘れて浮かれまくる♪

画像3

さすがMAZDAの本拠地!改札出るとデーン!とプレマシー鎮座!

画像4

その日はナイターのある日で、球場に向かう人々かな?お客が何やら沢山カープグッズを買って、球場方面へと歩いてったよ。

画像5

灼熱の太陽が照りつける広島駅の出入り口から見える球場までの道。
我が家は父母と妹がカープファン。父は長い事MAZDAの車を乗ってました。

画像6

西武線沿線ではおよそ見られないカープグッズ色々。
ベビー用品もあって、Cの刺繍が入った真っ赤なスタイまである!

画像7

路面電車が次々と発着する乗り場。
私はこういう車両に殆ど乗った事が無いので、クリニックの予約が無ければ乗って見たかったなぁ。
しかし、猛烈に暑い・・・予約時間まであと1時間・・・
駅ビルをあちこちウロウロしていると、広島風お好み焼きのお店が沢山並ぶフロアに出ました。
ああ。食べたい。が、食べられない(ノД`)食べたら最後、下痢が酷くなって埼玉まで帰れないかもしれない・・・

泣く泣く諦め、フラフラしながら1階のコンビニへ。
お盆前ってのもあって、コンビニでお盆用品売ってる!
丈の短い卒塔婆もあってビックリ(°□°;)何に使うんだろう?
その隣に「マエケンコーナー」と書かれたワゴンがあって、広島カープに当時在籍していた前田選手のグッズが並んでいました。
我が家は、私以外はカープファン。
(マエケン・・・誰?)
私は父に電話して見ました。突然の電話に驚く父「どうした!?」
私「マエケンて誰?」
父「は?マ、マエケン?」
私「うん。コンビニでグッズ売ってるけど、要る?」
父「マエケンて言ったらお前、凄いんだぞ!前田!…で、グッズだと?・・・あ、そっちは要らん」

なんだよ。要らないのかよ。
でも、せっかくだから、お土産買いました。父母と妹に。

画像8

画像9

画像10

画像11

そして、予約時間が来た!
タクシーで初乗り料金の場所に、そのクリニックはありました。
その日全国から集まった同病患者13名は、ドクターから漢方薬の飲み方や記録票の記入などのレクチャーを受け、1か月分を処方されました。
やっと手に入れた、広島漢方・・・
私はもうホッとして、帰り道は徒歩でのんびり帰りました。
街路樹からクマゼミの鳴き声が大音量で降りそそぎ、熱気がゆらめく舗道に伸びる影を見ながら、

私、ついに手に入れたんだなぁ・・・と感慨にふける私。

そして、帰りの新幹線に乗った私は、東京へと戻って来たのでした。

あれから10年。
漢方薬が効果を現すのに5か月ほどかかり、その間は本当に辛くて、リタイアしようと思った日も沢山ありました。
ステロイドを飲まずに漢方を選んだ為、所沢の主治医を激怒させ、縁を切られてしまって途方に暮れた日もありました。
(現在は広島漢方に理解ある鶴ヶ島のクリニックにお世話になっています)

色んな事がありましたけど、
今の私はすこぶる元気です!
漢方薬も大分前に卒業しました。
暮れに下痢が続き、久しぶりに広島から漢方を送って戴き、まだしばらく服用が続きますが、下痢も下血も腹痛も一切ありません。
ほぼ、ほぼ、完治に近いと思われます(油断は禁物ですが)。
広島のクリニックの先生には、足を向けて寝られません。
10年前のあの日。行って良かった!

いつかお好み焼きを食べに来ようと心に決めたまま、実行せずに10年経ちました。
駅ビルも変わっただろうなあ。
行きたいなぁ。広島。
今度は加とさんも一緒に。
もう一度。あの場所へ。

(長文を読んで下さった方、ありがとう)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?