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インタビュー 7/100

僕の仕事はカウンセラーだ。

公認心理師と臨床心理士という資格をもって、「心理学的」とあいまいに括られる「ものの見方」や「スキル」を活用して、主に病院や学校で、いわゆる「心の悩み」を抱える方の話を聴き、解決をサポートすることを生業としてきた。

この仕事を始めて二十年になる。

シビアでややこしいことも多いわりに、稼ぎがいいとはとても言えない仕事だけど、続けてこれたのは、結局のところ、「他人の話を聴くのが好きだから」ということに尽きるように思う。

不謹慎な言い方だけど、本を読んだり、映画を観たりするのと同じだ。

自分と相手の相異なる視点が交錯する観察点に立ち、自分が生きてない人生を、自分が生きたかもしれない人生として、丁寧に見聞きし、都度都度の感情もセットで追体験する。

僕はビビりで行動範囲が狭小なので、ネタが乏しい。自分の内面や体験だけで好奇心を満たすには、人生は長過ぎる。

三年前にフリーに転じてからは、オンラインやカフェや本屋さんなど、少しずつインタビューする場を増やしている。

二年前から終末期のガン患者さんのインタビューを始めた。

もっといろんな人の「自分語り」を聴いてみたいと思うようになった。しんどい人、元気な人、異文化圏の人、老若男女を問わず、いろんなライフストーリーを追体験してみたい。

インタビューは、聴き手(インタビュアー)と話し手(インタビュイー)の協働作業だ。

質問するー話す・聴くー応答する

聴き手が変われば、話し手の選ぶ無数の言葉や漏れ出す感情のどれに反応し、どんな応答や質問するかは変わる。

一回一回のターンの微妙な、時に大きなズレによって、語られる物語は無数のパターンをとりうるし、予測不能な展開ともなりうる。

同じ話し手の同じエピソードが、ギリシャ悲劇にもなれば、吉本新喜劇にもなりうる。文春的なゴシップにもなれば、酔っ払いのたわごとにもなれば、向田邦子ばりのエッセイにもなりうる。

良質な物語は、暗闇に射す一筋の光となる。滑り落ちそうな足元を支えるハーケンとなる。痛みを和らげる手当てともなる。

良質な物語は、話し手のみならず、聴き手にも救いや希望や好奇心や新しいアイデアを与える。良き対話においては、聴くことと話すことが、ほぼ同義となる。

良き対話においては、相手の話を聴くことが、自分のことを話すことと、ほぼ同じか、場合によってはより望ましい効用をもたらすことがある。

そんな気がしている。

あくまでイメージですけど

まずは、自分が「ステキだな」と思う人へのインタビュー依頼から始めてみることにする

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