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オヤジ 6/100
オヤジが、もう長くなさそうだ。2024年の正月を例年通り一緒に迎えられるだろうか。微妙だ...
オヤジとは、実父のことだ。80を超えてる。長年患ってきた病気が最近になって急速に悪化。入退院を繰り返してる。かなりシンドそうだ
ちなみに、僕は父のことを「オヤジ」と呼んだことはない。ずっと「父さん」一択だ。が、敢えて「オヤジ」と呼んでみる。少しだけリアリティが薄まり、状況を俯瞰できる気がする
ちなみに、高二の息子が僕のことを「オヤジ」と呼びはじめた。なんか新鮮。おそらく今年に入ってからだ。ずっと「父ちゃん」一択だったのだけれど。成長と言うか、トランスフォーム感があって、嬉しい
オヤジはちゃんとした人だ。ずっと、ちゃんとしてる。いささか偏狭なところはあるが、他人の気持ちを慮る、繊細で善良で優しい人だ。嫌いじゃないし、感謝もしてる
けど、リラックスして気軽に話せる間柄ではない
オヤジと腹を割って会話した記憶は、ない
オヤジがどんな人なのか、よく知らない
定年まで中学教師をしてた。生徒さんの結婚式によく招かれてた。自分だったら担任教師なんて呼ばない。好かれる先生だったんだろう
僕の知るオヤジは、家に居たオヤジだけだ。息子バイアスな主観的印象でしかない
誰にだって、いろんな顔がある。当たり前のことだ
子供時代はどんなで、仕事ぶりはどんなで、何を大切してて、どんな友達がいて、どんなことに満足や幸せを感じる人なのか。
全然知らない。オヤジに直接聞いたこともない。野球と、新聞と、五輪真弓と小椋佳が好きだった。そのくらいだ。
まぁ家族なんてそんなものだろう
オヤジに詳しい息子とか、キモい
けど、オヤジの体調が目に見えて悪化しはじめた頃から「一度きちんとインタビューしてみたい」と、思いはじめた。
このnoteの第3回で紹介した広島のネオ文豪・清水浩二さんと、この話題で雑談したことがある
「親のインタビューって、特に父親ってなかなかハードル高いよね」「でも一度はどこかでやっとかなきゃって思うよね」と意見が一致した。「お互いの父親をインタビューしあうってのもアリかね」とか冗談半分で話したりもした
けど、結局やってない
なかなか切り出せない。顔を合わせ、一瞬迷って、「しんどそうだし」とかいろいろ理由をつけて「また今度」と回避してしまう
徐々にタイムリミットが迫ってる。
僕は幸運なことに、物心ついてからこの歳になるまで、身近な大切な人を亡くした経験がない
なので、ちょっと怖い
一つだけ質問するとしたら、何を訊くだろう?
「あなたが人生のなかでいちばん嬉しかった瞬間は、いつですか?」かなーと、今思った
次会ったときに、頑張って聞いてみようと思う。
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