見出し画像

No vision No future

これは、 かの有名なNO MUSIC NO LIFE (音楽のない人生なんて考えられない)のような言葉ではない。シンプルに、「ビジョンもないし未来もないよ」という意味。今のわたしの状態、気分。スピード、効率、メカニズム、コスト、横文字、横文字、横文字、、、。
プシュー… 疲れた。
成し遂げたいこともなく走るには辛いコースを走っている。もうとっくに脳内は決壊している。何か追加で入れようとしてもだばだば漏れている。

昨年4月に転職するまでは、前職で仕事に対する意欲がなくなってしまい、コロナ禍により築かれた社長の暴言ラジオのようなリモート会議で心が削られていき、外の空気を求めて、心理学入門講座や、人の話を聞く をテーマにしている会社の研修に参加などしていた。今とは逆で何かを吸収する意欲があった。それでも、毎日の大半を占める「しごと」という時間の中の満たされない部分を埋めるほどにはならず、日々悶々と過ごしていた。

そこに、知人からの紹介で、とある企業に転職した。私が乗り込めるような船ではないと感じたが(いかだからタイタニック号ほどの違い)、えいままよ、と勢いで乗船した。

その頃、聞いていたpodcastで、今いる場所を離れて新たな場所に向かって挑戦することを、「沖に出る」という表現をしていた。私はまさに、沖に出たということになる。タイタニック号の中は、さまざまなマストアイテム(英語能力、数字能力、論理的思考etc…)を当然のように常備した貴族たちで溢れていた。私は紛れもなく、ジャックだった。なぜこの子がここに?という目線を感じながら羞恥心は早々に放り出してとりあえず1年旅を続けた。貴族たちには、目指すものがある。そう、ビジョンとフューチャーがある。やる気で満ち溢れている。組織への貢献力がみなぎっている。そんな中にいると、初めのうちは周りもそこまで見えていなかったので、なんとかこの船で成果を出さなきゃ、役に立たなきゃと必死だったが、周りが見えるようになってきたことで周りの優秀さやスパーパワーに気づき始めたことで、彼らとの途方もないほどの差を実感し、自分の脳内も決壊し始めて、タイトルの状態に相成ったというわけだ。

とはいえ、タイタニック号に乗って新たな世界を見せてもらえたことには感謝している。昔読んで憧れた、小田実の世界貧乏旅行記「何でも見てやろう」という気分にはなった。
もう息切れしてそんなことは思える気分ではないが、ここで出会えた人たちからもらったことは財産となるだろう。まるでもう辞めるかのような書きぶりだがまだ出口は見えていないし決めていない。

ちょっと先に控えてる胃カメラの検査の結果によってはこの豪華客船から降りることになるかもしれないなとも思いつつ、また明日からジャックとしての1週間が始まる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?