見出し画像

「想像すること、創造すること」

小さな小さな僕は友達が一人もいなくて、もっぱらお家で物作りをして一人で遊ぶ子供だった。姉が一人いて良くいっしよに遊んでくれたので、それでもなんとかやれていた気がする。
とはいえ家が貧乏だったから、湿り気の多い日陰の借家に住んでいて、遊び道具はほとんど買ってもらえなかった。同級生が買ってもらったという新しいオモチャの話を聞いたりすると、心の奥で妬んだりしたものだった。

無いのなら、あるものでなんとかすればいい。
無いのなら、作ってしまえばいいじゃないか。

その頃、そんな思考が頭の中で確立した。小学校の低学年の頃の話だった。やろう。やるしかない。
ポニーの超合金だって?
そんなものはいらない。
紙に線引いて切り出してノリやセロテープで貼り合わせて形にしていった。関節の軸には爪楊枝を刺して回転方向に可動できるようにした。今思えば、かなり変わった子供だった気がする。

ある日隣の借家の子が親と一緒にやってきた。
なんでも引越しするからということで、結婚式の引き出物が入っていた大きな大きな紙袋に
これでもかと詰め込まれた「ブロック」を、僕にくれた。
かなりのの量だったが、いまでいうレゴのようなお洒落なものではない。形も直方体の単純形状で長い短いがあるくらいのシンプルなもので、ここから欲しいものを作り出すにはかなりの労力とイメージ補完能力が必要に思われた。

結論から言うと、そのブロックがなかったら、今の僕はなかったと言っていいと感じている。
単純明快だからこそイメージが膨らませやすく、それから中学生になっても、それで遊んでいた記憶がある。とにかく作りまくった。建物、乗り物、ロボット、戦闘機、なんでも作った。作っては分解してまた、作った。あるもので想像していかないといけないスキルは、隣の子がくれたブロックで、限界まで高められていく。

人生の出会いとは儚いチャンスだ。あの日あの場所にもし行ってなかったら、出会えなかった人もいる。もしあのとき、あの人に出会ってなかったら、、
冷静に記憶を遡り、起こりうる未来を再度脳内で再体験していく。全く違った未来が比較的安易に想像されていく。そう思うと、日々の瞬間々の行動が、その人の未来をかなり大きく左右していることが分かる。

一日は世界中の人皆に平等に与えられた時間だ。地球が24時間で一回転をする自転スピードから算出された「一日」と言う時間の中で、果たして一秒でも無駄な時間は存在していないだろう。だからと言って、ミツバチのように働いたりしなければならないという意味ではない。
働いていても、休んでいても。その時その時、一人の人が体験している感覚はとても貴重なもので、無駄な時間なんて1フレームだってないと言うことだ。

先々日、YouTuberのHIKAKINさんがNHKの特集番組に登場された。100万人単位のフォロアーを抱える人気者だ。彼曰く、「僕がすることで皆んながワクワクしてくれる姿を想像すると自分も嬉しい」。「お金儲けのために動画を配信しようとしてはいけない。自分が楽しんでいなければならない。結果は後からついてくる」のだそうだ。また、一日に一本のネタを考えて7分の動画を編集するのに6時間はかかるのだそうだ。普通に考えたら尋常ではない時間の使い方だ。それでも他の人と分業化してしまって自分の「味」が薄れるのは、みてくださる方々にはすぐに伝わるし自分の本意ではないと。

もう6年間は休みなしでこのペースが続いていると言う彼の姿を見てハッとしてしまった。僕はなんてぬるま湯の中にいるのだろうと。
YouTuberになれば楽をして儲けられる、というのは極々一握りの世界なのだ。何をやるにしても、楽に生きられる方法なんて、そうは無い。

僕は、僕の身につけた、僕にしかできない、僕だけのワールドでみんなを楽しませていきたい。今は軌道にはまだ載せられていないのだけれど、手応えは感じている。あとはプロデュースの仕方次第。世界の時間は止まることなく進んでいる。自分が止まれば世界に確実に置いていかれるだろう。
世界の時間を飛び越えるくらいのつもりで、その先にある未来の糧を掴み取りにいきたい。だからこそ、いまは空いた時間になにをやるのかが重要なのだ。立ち止まっている暇は、無い。

今日も、価値のある一日に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?