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「その指先に、愛と光こめて」

初めてホビージャパン誌を読み始めたのは中学一年生のころだった。ホビージャパンは当時の模型界を席巻する唯一の模型雑誌。様々なジャンルの模型製作例を載せた、素晴らしい雑誌だった。それから20年間くらいはホビージャパンを買い続けたので、たぶん2百冊以上のホビージャパンが今でも家の屋根裏部屋に保管してあることになる。
20年も読み続けてふと、やめてしまったのにはいろんな原因があったのだけれど、単に情報誌なので必要がなくなれば見なければ良いだけのことなので、自分の中ではあまり大きな意味を持たない事項だと思い続けていた。
ホビージャパンをやめて20年がさらに経ち、何か物足らない模型日和が続いていることに気づいた。

「自分の読みたい模型雑誌が無いな」

と、言うことだった。
前途したように模型には様々なジャンルの世界がある。
車、飛行機、艦船、戦車、フィギュア、SF、千差万別で、それぞれの世界にそれぞれの神のようなモデラーが存在しておられる。
どんなジャンルの作例でも最近は言えることなのだが、「とにかく上手い」と言うこと。もちろん、きっと自体の出来も良くなっているので(値段も高いけど)、普通に作るだけで丁寧な仕事をすれば「相当すごい」ものが比較的簡単に仕上がるシナリオとなっている。これは素晴らしい事で、模型の理想形なのではあるが。

果たして、みんながみんな、何千円もする高価なキットを数ヶ月に一度だけやっと一つ買ってきて、超人的テクニックで模型雑誌に迫る仕上がり具合で完成品を手にしたいのか、手にする必要があるのか。と、言うことである。

それを仕事にしていたり、頼まれて作る場合と、趣味で作る場合とでは意味が違うのだ。

なんの世界でも仕事では常に百点を求められる時代だ。低コスト。短時間。それに相反する素晴らしい仕上がりで誰もが欲しがる「アウトプットの見本」を生み出していくように世界の仕組みが向かおうとしている。

僕は模型も仕事にしてしまったので、もう3年間は自分の作りたいものを作っていない。作れてはいない。それは自分の選んだ道なのでそれに対して不満を話しているのではなく、そうなったからこそ、「歩きたい道を素直に歩いて行けることの幸せ」を、強く更に感じるようになった。

趣味として模型を嗜むことができる環境は、とにかく幸せであると思わなければならない。話が少しそれかけているが、そんなとき、「あっ!この作例いいな、僕にもできるかもしれない。このキットなら今月のお小遣いでなんとか買えそうだからちょっとお店に行って見てこようかな?」と、思える環境が欲しい。

「この作例すごいけど、一体何十時間掛けて作ったんだろう。ここまでの加工や塗装をまともにやるには機材も足りないし時間も腕も足りないな、今月は本を見て楽しむだけにするかな?」と、思ってしまう環境がいまは多い気がする。僕がみてもそう思うのだから、たぶんそんなには外れていないだろう。

誰にでも手が出るレベルの完成品を、誰にでも手が出る価格の最低限の内容のプラモデルキットを展開することで、誰にでも「模型本来の楽しみ方」を、体感してもらえる。いまはそれが求められている時代にあると思う。

「どうでしょう?すごいでしょう?」
ではないのだ。

「これならできそうじゃね?よくみたらちょっとカッコよくね?」
と、語り掛けたい。

そんな思いを抱けるような、ライトな模型雑誌があってもいいはずなのだ。そう、思ったときもう自分で作るしかないなと、考えた。
「ないものは、作って仕舞えばいい」
と言う理論に小学生のころたどり着いた。家は貧乏だったから欲しいものは満足に買ってもらえない。どうするか。作るか、貰うか、拾うか。とにかく、「買う」以外の方法を模索した。結果的に、その頃の体験が今の思考のベースにあるため、ほとんどの場合「これ自分でも作れなくね?」という視点から全てスタートしている。これはお買い得な考え方だ。

今はなんでもお金さえ出せば手に入る時代になった。プラモデルなんて、自分で作って塗るなんて大変だ。よくみたら完成して色が塗ってある模型を売ってあるぞ。値段は一万円と書いてあるけど自分で作るよりいんじゃね?
と、なってしまうのも仕方がないだろう。そのように世界が向いているのだから。

物事の楽しみ方や意味、価値を取り違えてはならない。本来、「模型は自分で苦労して作り、完成したときの満足感を得る」のが最大の楽しみポイントなのだ。もちろん、様々な理由から作れない人もいる。だから完成品が流通しているし、そんなことを話しながらも自分も完成させて売る仕事をしているのではあるが、これは前途した、作れない人たちへの寄り添い活動なのであって、本来は「作ること自体の楽しさを伝えられたらな」と、常に考えているのだ。

加地工房ではSNSの「note」を使って模型雑誌を発刊する予定です。発刊というと大層なことに思えてしまいますが、ようは単品単作で僕の中の理想形である模型作りの楽しみ方を、展開していきたいなと。他にないので仕方なし、やるしかないと思いました。
実はそう思って春から少しづつ書いているのですが、本業の忙しさでなかなか進みません。原因は不明ですが、一週間前から我慢していた腰痛が昨夜暴発。時折トイレに立てないほど腰が痛くなるような状態になりました。有給もなかなか取れない状況だったので「ついに来た」感じです。

肺や呼吸器の疾患ではないので、起きることができればベッドに座ってこうして文字も打てるので大丈夫、心配ないのですが、移動がしずらい。今日は夕方から治療に行く予定で予約してあったのですが、すこしダメージが予想より大きかったみたい。あまり無理なくやりますね。原因はほぼ見えていて、治し方についても信頼の置ける先生についてもらっているので不安は全くありません。ただ、電池の切れた玩具みたいになっている状態なだけ、なので。

長文になり申し訳ないのですが、痛みで夜目が覚めて、気を紛らわせる為に画面をタップしまきた。僕が今やらなければならないことは、更に研ぎ澄まされて見えてくるようになりました。身体は正直だし、身体からのメッセージを無視して仕事に行ったりしません。ああ、あのときのがサインだったのか、というのはよくあること。今日は勇気を持って仕事をお休みします。できる自分も、できない自分も、カッコよくてもカッコ悪くても、そんな自分が僕は大好き。自分が好きになってあげないと、誰が好きになってくれるでしょうか。

今日も価値のある一日に。時には立ち止まり俯瞰して自分を見つめ直してみよう。今やるべきことは、ちゃんと書いてあります。
今日も素晴らしい一日に。

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