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最愛の同僚、また一人卒業の巻

眼を閉じると想いが募る。これまで10年間、最も多く人生を語り、共に船を出してきた自慢の妹分が新たな旅路へ出航する。

なにげにこれまで一度も同じ船には乗ったことがないのも面白い縁だ。
それでもこれまで何百回ゆんたくをし、思想の強い曲をぶちまけたカラオケで朝を迎え、幅広く世界を伝える企画をしてきたことだろう。こうして公私共に関わってこれたのは、彼女の太陽のようなポテンシャルとおれの真っ黒な闇との真逆な化学反応からくる相性だからこそ。

愛すべき妹分の船卒業なのである

タイヨウの(ような)子

8年前の地球六周目の航海から下船した頃、代々木公園のEARTH DAYで同僚として共に出展したのをきっかけに、僕らは兄妹になった。
最初の印象はよく覚えていないが(笑)とにかく元気な沖縄っ子。世界の事どころか沖縄は勿論、少し難しそうな言葉すら知らない帰国子女のような子だった。
彼女の目標は「誰も一人にさせない」という寄り添い精神。どんな人でも空間でも一気に明るくほぐせるいちゃりばちょーでー、ゆいまーる精神の申し子のような妹分の周りにはいつも多くの人の笑顔が未だ絶えない。
それもそのはず、年齢や性別、国籍や人種すら超えた好奇心の塊である彼女の在り方として、どんなことでもまず聞いてみてすぐ食べてみるという感覚や行動力が備わっていたからだ。

洋上でもゲストパートナーにも多く参加し、知らないことを知っていくそのスタンスはまさにスポンジボブ。のちに毎度彼女の創る企画で毎回言うことになる「知らないことは事は怖いこと」知ってしまえばなんくるないさーと言わんばかりの希望的な感覚に持っていける愛がある。

あるとき彼女に貸した「太陽の子」では地元沖縄を学び、そこからすくすく育っていく様を見るのは俺にとっても欠かすことのできない仕事のやりがいになっていった。

全国見学航海中宴@広島港付近の牡蠣小屋

兄妹になるということ

自分の中で、キョウダイになることに対する線引きなんて特にない。そもそもカテゴライズや内輪ではしゃぐことに抵抗を感じているからだ。
それでも本当の兄弟とちゃんと支え合うことが出来なかった反発が、僕の中での「外での家族づくりへのこだわり」に拍車をかけたんだろう。

人が好きになることができるようになった2005年の初航海の下船後、当時24歳のおれにはたくさんの敬愛するパイセンたちが俺の兄貴分、姉貴分になってくれた。この安心感や、憧れの大人と仕事ができる希望は今でも忘れない。それどころか東京に移り住むことにより、東京のおふくろやおやじ的存在の人もできるようになり、いつしかかわいい弟分、妹分も航海を重ねるごとにたくさんできるようになっていった。

これが俺の海賊活動の元となる。
「自分や相手の価値観を壊し続けながら、家族的仲間を集め、無謀と言われる夢やそれぞれの宝物を探しにいくために船を出す」

俺が大海賊四皇「白ひげ」に憧れる由縁。「家族」を創るために航海をしているという今を選ぶ。

そんな中で特に興味関心事が重なるキョウダイ分は公私共にずっと一緒に行動を共にしていくようになる。感動するものがほぼ一緒になるからかもしれない。その共通点は、それを知らない人にもっと伝えたいと思う愛なのかもしれない。

国会前デモ後の兄妹水入らずカラオケ

共に歩んできた10年近く

僕らがよく行く難民キャンプや戦争や社会からの差別や弾圧によって苦しめられてきた人々がよく言う魂からの言葉。
あなたのために何が出来ますか?という問いに対して
「もし出来ることならあなたたちの国に帰った際に、ご家族や周りの友人たちに「今」ここで見聞きしてきたことを伝えてほしい」。
そんな胸の詰まる思いをたくさんして、船でも陸でも俺らは学び、伝え、共に考え続けてきた。それは俺たちがやりたいことでもあるから。

何も知らなかった妹分が初めてスタッフとして船に乗ると決まった日から、毎週出勤一時間半くらい前に馬場駅前のPRONTに二人で集まり(半分以上寝坊してきやがったが)航路上のハイライトの見聞検証系の予習復習をしてきた。何でも教えてほしいと言ってきてくれる妹分が可愛すぎて、余計に自分も復習したりして、おかげでインプットアウトプットの修行にもなる時間になった。

アパルトヘイト、ファベ―ラ、ビジャエルサルバドル、OKINAWA、イスラエル・パレスチナ問題、秘密保護法や安保法制、在日・部落・ハンセン病に対する差別、死刑制度、教育問題、LGBT、お金、ワクチン、医療や食事などなど。国会前のデモにも何度も足を運び、大学での共同講演や他団体からの依頼も受け、朝までメッセージ性の強い愛の歌を歌っては、新宿駅前の立ち食いそばを食ってハグして帰る。

結局一度も同じ船に乗ることなかったのに、関西に行った今も、一番連絡を取り、一番関西に足を運んでくれるのもまたこいつだった。

何度もぶつかり、何度も支え合い助け合えた、まさに五分の盃を交わしたキョウダイ分やった。どんな時も「だったら俺らが間違いない船出すしかねーな」と、何度も誓って共に20回以上の船を出してきた。

久々の再会カフェ

別の航路への再出航

そんな妹分が先日退職した。この間何度か出ては消えていた退職の話も、ついに終焉を迎えた。異例の勤務中でのフロアも部署も越えたお別れ会の光景は何とも言えない時間だった。そこにも皆の笑顔という満開の花が咲き誇っていたのは言うまでもない。

これまで、「あなたが居るから俺はここで船を出している」という仲間との別れは何度も経験した。それなのに未だに慣れない部分もあり、そんなキョウダイ分たちには「どこいったってこれからもキョウダイだから本気で応援する」と伝えてきた。そしてまだここにいる自分も同時に感じる今。

自分自身、この10年以上ずっとここ以上に面白い仕事を探してきた。人一倍いろんな方とお会いさせていただきコミュニティにも関わらせていただいた。それでもここを辞めてまで踏み切れるだけの所を未だ見つけられずにいるからここにいる。そんな場所をあいつは見事に見つけて笑顔で去っていく。これからもずっと一緒だと。

いつだって俺たちは世界を知り、自分たちが得た大事なことを伝えられることにワクワクしていた。それはこれからもきっとずっと変わらないだろう。


離れていても企画したがる血は譲れない

妹よ

最後にどこに出しても恥ずかしい、敬愛する自慢の弟子に一言。

あなたの愛に何度も救われたのは俺だけじゃないからこそ、これからもいつだってゆいまーるでいこう。俺らとして出会ってしまったのだから仕方ない。逆にもっと色々出来そうだしな。

心を越えた魂からの愛を込めて、由梨の出航をお祝いします。

今まで一緒に愛が詰まった夢の船を出してくれて有難う。
これかもゆたしくうにげーさびら!

愛しき人々に乾杯

結局、
愛しかない。

photo by Kei SATO


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