バンドの終わり船の始まり
最後に彼に会った時、「ケンさんこれを託します。この前弾いてた時似合ってたんで」と、ベースをもらった。昨年亡くなったX JAPANのHEATHさんモデル。今となっては最後になった子Xバンドミーティングでの議題はこのLIVEに向けての曲と追加メンバー決めだった。
そして議長であり主役を欠いてのLIVEは予定通り執り行われた。どこかのROCKSTARの時みたいく盛大に。
昨年加入させていただいたXの本気コピーバンド「子X」。リーダーでボーカルの子ToshIさんが最後に選んだこの日のステージに、彼は立つことが出来ずに空に旅立たれた。
彼が亡くなった時、メンバーはLIVEの中止を一切考えずに新たに子ToshIさんと親交の深かったサポートメンバー三人も加えてLIVEを敢行した。しかも二人は愛知からの参戦で当日初めて合わせるというぶっつけだったが、想いは一つで全く問題なかった。これもXという共同体のなせる無謀な奇跡だろう。
そんなLIVEはこちらの2時間48分ごろから見ることができる。
兎に角現メンバーの気合の入れようもさることながら、サポートメンバーの意気込みとクオリティには脱帽だった。俺よりも付き合いの長い盟友の力だろうが、本当にみんないい人過ぎた。だから子X大好き。もう、あの場に来てくれた人含めて愛でみなぎっていて、想いが高まったメンバーに向け、Vocalコジローさんからの「兎に角楽しくやりましょう!」の言葉に救われた。
想いが募る終わり始まりの始まりである
子X追悼解散LIVE
今となっては昨年末の心斎橋がラストになってしまった子ToshIさんの勇姿はこちらhttps://youtu.be/xeHv6E_Hxas?si=8GsBp0mvVKzze9uF
それぞれも思いもさることながら、ステージ上だけでなく、客席に集まった方々も熱い。そもそもこのLIVEは関西のVISUALコピーバンドを集め、このジャンルに精通するプロの方々ともセッションが出来るという夢のような機会だったので、他バンドやオーディエンスの方々もあの時代を生きた熱い方ばかりだった。
改めて今回、「LIVEとは生きること」という実感を得た。
Xが好きで集まった40前後の俺らも、同じくオーディエンスの仲間たちも、これらを創りあげてくれた会場の方々、何よりそんな夢を叶えてくれた主催者KOKOさんはじめ皆さんがいてくれたからできた大きなLIVEだったが、ここまで生きてこれなかった仲間たちはこの場にいることはできない。
そして一緒に彼と新大阪で住んでいたお兄さんと、実家の姫路からはご両親も参戦してくれた。どんな想いで主人公のいないステージを見ていたかと思うと胸が詰まる。まさに瞬間の美学である。
歴代の子Xメンバーの先輩との再会も、一緒にやるはずだったギタリストも駆けつけてくれた。腕に子Xのリストバンドをはめ、メタルポーズを高々と掲げ、怒涛のXジャンプも響かせてくれた。
誰もがこの場にあの人がいてくれたらと思った切なすぎるTearsは、選曲決定した時に一番乗り気になれなかった曲だけど、追悼の意を込めて彼の好きだった唄を鳴らした瞬間、全てが吹き飛び、一番思いを込めて奏でることが出来た。一緒に泣いてくれた人も多いみたいで、改めてこの名曲と人一人の命の大きさを目の当たりにしてもらった。
LIVEが終わり、それまでズシンと伸し掛かっていた何かが浄化した達成感と目の前全ての人に対する感謝が溢れた。
15歳の時XでROCKに目覚め、hide様の唄に救われ、それからそんな風に人を生き返らせるようなバンドマンになりたいと音楽を始めたけど、Xをやる機会は2013年の80回クルーズまでなく、陸では初めて組んだXバンドが子ToshIさんから誘われた子Xで良かった。
そしてみんなに会えてよかった。これまで生きてこれたのもXのお陰で、未だにその存在には助けられている。これからも共に生きていこう。
夢の共演と語り
そしてこのイベントのメインであるプロとの遭遇。うちのドラムも子ToshIさんが予め予約していたボーカル枠で本家のSoulloveを熱唱し、楽屋前でD.I.Eさんと対面した。
俺にとってD.I.Eさんは最も尊敬するバンドhide with SpreadBeaverのkeybordistとして15歳の頃からの憧れの的だった。
先日同じくBASSのChirolynさんには子ToshIさんと会いに行ったけど、引き続きD.I.Eさんとの語りもじっくり深く今とあの頃を語らせてもらった。
「音楽って生き様だからね」という彼の話はやけに説得力があった。この人も俺らと同じく、あの頃を忘れずに今を生きている。むしろあの90年代があったから、今に繋がる。そんなこんなで25時近くまでLIVEHOUSEで打ち上げをしていた。コジローさんもAKITOくんも、笑顔で「またやりましょ!」と、思いがけない言葉をかけてくれた。どこまでもやっぱりX好きは同志なのだ。
船に乗るようになってからテレビやスクリーン、本の中の人など会いたい人に会えるようになったけど、やっぱりあのころのひとりぼっちだった自分にもしっかりと教えてあげたい。
人生マジお前の面次第で誰にでも会えるし、何でも起きると。
そして7年ぶりの船へ
あとはもう95回クルーズから7年ぶりの118回クルーズへの乗船だ。
6月中旬は東京出張で久々船一色の活動に身を置いたが、もはやパラダイムシフトが起きている去年からの新クルーズに胸が高鳴る。
時代が変われど、俺らが出して来た船ではいつも今の日本の縮図が見れる超現実的空間。やりがいしかない0~1に薦める挑戦。しかも今回は音響証明担当という今までやったことがないポジションに未知の自分を感じている。今に会ったプライドといらない経験。零になったつもりでの20年目の挑戦だ。
今までとは全く違う価値観と雰囲気。降りてからの生活も一変することは間違いないだろう。
それでも今までと同じより、やって後悔する方を選ぶ。そもそも紅海なんてしないだろうけど、自分的冒険には久々本職での自分との勝負。
慣れ親しんだ関西生活もあと一か月。
こちらも食い残さないように準備を始めますかね。
みんないつもありがとう。これからも共に生きよう。
愛を込めて
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