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プロサー~仲間の幸せを全力で応援する最高の集団~

前書き

約1年ぶりの投稿になります。

プロサーの運営者であるむらっしゅさんにnoteを書く機会をいただいて、このnoteを書いています。

どうしても「書きたい!」という気持ちになってしまいました。

なのでこの機会に

「どうしても書いておきたい!」

「自分のためにも残しておきたい!」

と思ったことを書いてみました。


プロサーとは

僕にとってプロサーとは

「仲間の幸せを全力で応援する集団」

です。

自身の幸せを考えるのは当然のことですが、

プロサーは、

「幸せの形は人によって違う」

「幸せの形は変化していく」

なので

「様々な形の幸せを肯定して」

「様々な形の幸せを全力で応援しよう」

という考えが根本にあるように思います。

更に、そのための仕組みを次々に作り上げていく。

そんな集団だと思います。

そして、このような考えに救われて、僕の今はあります。


自己紹介

申し遅れました。

僕はyooshと言います。

14期なので、プロサー歴は約1年。

38歳。

男。

妻1人。

子ども2人(2歳、3歳)

仕事は障害のある人のヘルパーをしています。

なので前提として、僕は

「エンジニアではない」

ですし、この先、

「本職としてのエンジニアにはならない」

可能性も高いです。

何故なら

「僕は障害のある人とかかわる仕事がめちゃくちゃ『好き』で、『ワクワク』して仕方がないから」

です。

なので本職は

「障害者福祉」

だけど、今後は

「『障害者福祉×プログラミング×仲間』で課題をクリアしていく」

これが今の僕の思いです。

でも、こうやって明言できるようになるには結構時間がかかったんですよね。

少し長いですが、

なぜ僕が

「『障害者福祉×プログラミング×仲間』で課題をクリアしていく」

という思いを明確にできたのかを書いていきたいと思います。


挫折(自閉症支援編)

僕は、障害者福祉の仕事は、合計10年くらいやっています。

障害のある人と関わる仕事を始めたのは、27歳の頃でした。

勤めていた証券会社がリーマンショックで業績が低迷、営業部門が他社に売却されるとほぼ同時に退職し、知り合いの紹介でたまたま就いた仕事が障害者福祉でした。


一言で障害といっても、多岐に渡ります。

僕が一番長く、深く関わったのは「自閉症」の人たちです。


最初の印象は

「わけわからん」

でした。


ずっとゲロを吐き続ける人。

ガラスをたたき割る人。

自分の腕を噛んで、出血しても暴れ続ける人。

わけわかりませんよね、、、


本当に最初は

自閉症の人自体に対して、

「嫌い」

とか

「もう嫌だ」

といったネガティブな印象しかありませんでした。


加えて、上司から詰められまくる日々。

(この上司は自閉症支援では有名な人で、熱い気持ちと論理性を兼ね備えた人。僕は今ではこの人が大好きです)


で、ホントに毎日「辞めたい」と思うほど、仕事が大嫌いになってしまいました。


けど、そんな時、↑の上司が言うわけです。

「何が彼らにその行動をさせているのか考えてみ」

と。


自閉症の人には

「コミュニケーションにとてつもない困難さを持つ人」

が結構います。

・言葉自体を持たない人

・言葉を発することはできても、それが機能的でない人

いずれにしても、コミュニケーションが困難なことに変わりはありません。

自分の思いが

「伝えられない状態」が「ずっと続く」

かつ

「他者の言っていることの理解が困難な状態」が「ずっと続く」

なんですよね。

キツすぎますよね。


にもかかわらず、多くの施設では、自閉症の人のコミュニケーション支援が実施されない傾向があります。

というか

「できない」

というのが本当のところだと思います。

それは、

「知識の欠如」

「技術の欠如」

そして何より

「時間的制約」

が大きな理由だと思います。


けど僕は、何とかしたかったんです。

なので僕は、自閉症の人たちの自発的なコミュニケーションについて必死に学びました。

そして実践しました。

それはそれは、完全に「没頭した」という感じです。

結果、

「機能的なコミュニケーションができなかった人たちが、(多い人で)300くらいの言葉(音声言語ではないです)を使ってコミュニケーションを行えるようになった」んです。

それはそれで、素晴らしいことです。

が、、、300語の言葉を使える状況であっても、彼らの生活が、突如としてガタガタに崩れていくのを目の当たりにしました。

とてもとても無力感、絶望感を感じたのを覚えています。

そして、その絶望感は、また僕の心の中で「自閉症の人は嫌だ」という気持ちを芽生えさせました。ただただ自分が無力なだけなのに。。。

結局、僕は「自分の成果」のために自閉症の人を支援し、成果が出なくなると、それを彼らのせいにしてしまったんです。


エンジニア転職を目指す

そんな時に「プログラミング」に出会いました。

facebookの広告じゃなかったかなと思います。

「テクノロジー」という言葉。これは、僕が属している福祉業界では結構疎遠だったりします。

こんなにも世界がテクノロジーによって変化している状況。

なのに「テクノロジー」に「テの字」もない僕。

「やってみよっかなあ」と思った僕は、まずprogateを始めました。

で「めちゃくちゃ面白い!」と思っちゃたんですね。

(最初はどんどん進んでいけますしね)

触れたことのない世界。今までとは違う類の「知的」「論理的」な世界。

で、僕の頭の中は

「もうこんな仕事ヤメや!」

「結果が出ても、めっちゃ小さな結果だけ!」

「もっと目に見える結果がでる仕事がしたい!」

「結局自閉症の人の支援はできない!」

「辞めてエンジニアになってやる!」

とまあ、めちゃくちゃな思考ですが、本当に仕事を辞めてしまいました。

↑の上司はその時、

「まだ一緒に働きたいけど頑張れ」

「また何かの形で一緒に仕事しよう」

と応援してくれました。

この時、僕は35歳。奥さんは2人目の子を妊娠中でした。

奥さんは、めちゃくちゃ不安だったと思います。

けど、僕が

「絶対エンジニアになりたいねん!」

と強く思いを語ったものですから、

「3か月でエンジニアに再就職できるのであればいいよ」

ということでエンジニア転職にチャレンジすることになりました。


挫折(エンジニア転職編)

で、独学では限界があることは承知していたので、3つのプログラミングスクールの無料面談を受けました。いずれも有名なプログラミングスクールです。(この時はまだプロサーの存在は知りませんでした)

で、そのうちの一つを選択したのですが、その理由は

「営業マンが『3か月あればエンジニア転職できます!』と言い切ったから」

です。


今思えば3か月でエンジニアに転職というのは、相当困難だということはわかります。けど、当時の僕は「3か月でできるのか。よかった。progateも結構なスピードで進捗しているし、確かにできるのかも」なんて思ってしまったわけです。


1回目のレッスン。
メンター(エンジニア)に言われました。

「3か月、、、?は?無理です」(メンター)

1回目のレッスンでメンターに言い切られ、混乱しまくったのを覚えています。

必死に頑張ってみましたが、結局は惨敗も惨敗。。。

エンジニアとして必要そうなスキルは何一つ身に付けられないまま、3か月を終えました。面接に行くとか、そんなレベルではなかったですね。

この結果を受けて、僕は奥さんにも、↑の上司にも「恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない気持ち」になりました。

「あれだけ言い切ったのに、、、」

相当落ち込みました。

精神的にもかなりキツかったのを覚えています。


高齢者施設に就職

結局、タイムオーバーになった僕は、高齢者施設で働き始めました。

・自閉症支援には戻りたくない

・一般企業では、35歳ノースキルでの採用は困難

・福祉施設であれば、採用枠が大量に空いている

というのが理由です。

無事採用され、高齢者施設の職員としての生活が始まりました。

ここでも良い仲間、上司に恵まれ、日々充実していました。

高齢者福祉は未経験ながら、1年後にはリーダーに昇格。

とても有難い環境でした。

エンジニアレベルでなくても「施設の中」では「パソコンが得意」な僕。

・マクロでの事務作業効率化

・パソコンが苦手な職員に対して教える

なんてことをしていたら、結構喜んでもらえて嬉しかったのを覚えています。


残る悔しさ

けど、やっぱり心の中で悔しさが残っているんです。

「エンジニアになれなかった」

「挑戦したけど、惨敗に終わったままになっている」

更に

「僕なんてやっぱり挑戦してもダメなんや、、、」というネガティブな気持ち。

この気持ちがずっと付きまとってきやがるわけです。

高齢者施設に転職してからも、自分でプログラミングの勉強はしていました。

・UDEMY

・メンター

・書籍

なんかを使って。

けど、ほぼ何にも生み出せない。。。

「何か生み出したい」

「それが誰かの役に立ってほしい」

「エンジニアレベルのスキルを手に入れたい」

「そしたら、もっと高度なレベルで業務を効率化できるのに」

「何といってもプログラムを書くのが楽しい」

こういった思いは、高齢者施設に勤務しつつも、ずっと僕の中に渦巻いていました。

で、僕はもう一度探し始めたわけです。


仲間が欲しくてプロサーに応募

それで出会ったのが、プロサーでした。

一度、プログラミングスクールで失敗(目標には届かなかった)を経験している僕。

聞いたことのない「プロサー」という響き。

受講料も記載されていない、、、

「怪しい」というのが直観でした。

けど、プロサーに応募したのは

・横のつながり(仲間)を相当大事にしている

ということをnoteやtwitter、ホームページから感じることができたからです。

別のプログラミングスクールでは、僕は

「完全に孤独」

な感じでした。

横のつながりは全くなく、一人で沼にハマっている感じでした。

このことは、自身の気持ちを低下させました。

気持ちの低下は、誰でも必ずあると思いますが、何か行動する時に、かなり重い足かせになります。

僕は「仲間」が欲しいと思いました。

そして「プロサー」に応募しました。

プロサーを選択したのは、大当たりでした。

僕は、正直まだ横のつながりができているとは言い難いですが、それでも毎日

・slackで他のメンバーが進捗していく状況がわかる

・ほかのメンバーのコードが見れる

・ほかのメンバーが自分のコードを見て、アドバイスをくれる

なんてことが起こります。

自分が主体的に動くことで、

・開発案件にかかわれる可能性がある

・メンバー間のすさまじい情報を共有できる

・オフでもメンバーに会うことができる

・マレーシアのシェアハウスでガンガン勉強できる

・むらっしゅさんと直に面談ができる

等、ワクワクするような内容に溢れています。

そして今後更に

・コーチングの要素

が加わります。

コーチングには「小島有史さん」(株式会社アオハルCEO)(株式会社GOAL-B CHRO)が協力してくださいます。

小島さんについては、

・youtube

・twitter

・GOAL-Bのホームページ

でその人となりを知ることができると思います。

僕もオンラインセミナー(プロサーが主催してくれたものです)を受講しましたが、「やる気」出ます。「やる気に具体性」を加味することができます。


話を戻します。

プロサーに入って、少しずつ進捗する日々。

そんな中で、

「やっぱりエンジニアになりたいなあ」

「いや本当にエンジニアになりたいのかな」

「どうなりたいんやろう」

「僕の大事な価値感は何だろう」

なんて思いがわいてくるわけです。


価値観

で、僕は書いてみたんです。

大学ノート丸々1冊を使って。

自分の思いや、大事にしている価値観を。

で、こんな価値観のピラミッドができました。

それは5階建ての価値観のピラミッドで、

土台に「夢中」

2階に「向上」

3階に「自信」

4階に「穏やかさ」

5階に「他者貢献」

でした。

つまり、僕の価値観の土台には

「夢中」

が必要で、それがないとその上は簡単に崩れるわけです。

じゃあ、僕の「夢中」は?

「障害のある人、、、自閉症の人」

駅でパニックになっている自閉症の人に出会うとき、、、

特別支援学校のバスに乗り込む子供たちを見るとき、、、

以前関わっていた自閉症の人の現状を聞くとき、、、

高齢者施設の職員に自閉症支援について語るとき、、、

僕の心がポジティブに動かされるのを感じるんです。

で思ったんです。

「やっぱこの人たちと関わりたいわ」

「あ!僕の夢中はこれか!」

と。


障害者福祉に戻る

で、現在。

今は、障害のある人と関わる仕事に戻りました。

毎日「かなり楽しい」と思いながら仕事をしています。

僕にとっての幸せの一つは

「障害のある人と関わること」

です。

今は自信をもって言うことができます。


幸せの再定義、そしてそれを認めること

で、今は障害者福祉の世界に戻ったわけですが、これは

「本職としてはエンジニアにならない」

ということになります。


「結局エンジニアになれなかった」

「やっぱり僕は挑戦してもダメなんや、、、」

と思っていた僕にとっては、

「エンジニアにはならないという選択」は、

ある意味痛みを伴うことです。

自分の幸せを再定義できたとしても、それに伴う痛みも受け入れて、認めなければなりません。


プロサーは

「上質なエンジニアを生み出す」サークル(スクール)

であることは間違いないと思います。

けどもっと重要なのは、プロサーが

「幸せになる人」を生み出すサークル(仲間の集まり)

であるということだと思います。

それは

「エンジニアになりたい人」

のバックアップに限らず、

「幸せを求める人」

を応援してくれる人たちの集団であるということです。

そしてそれを全力で、具体的に行動している人たちの集団であるということです。

「本職としてのエンジニアではないけれど」

「障害のある人と関わる仕事をやっていく」

そして

「『障害者福祉×プログラミング×仲間』で課題をクリアしていく」

という思いを明確にし、肯定的になれたのは、僕自身がプロサーという

「他者の幸せに対して全力疾走している集団」

の1人であるという事実があったからです。


プロサーが転換点かも?と3年後に思う

「何か新しいことに挑戦する」

「自分の中で幸せの形が変化していく」

そんな時にプロサーは僕たち、そして新たに応募してこられる方たちの力になってくれると思います。

コーチングで小島有史さんが参画してくださっているのも、そういう理由が一つにあると思います。

もちろん、主体は僕たちです。

思考、行動するのも僕たちです。

けど、その思考、行動に対して、大きな力になってくれると思います。

正直、最高の集団だと思います。

3年後の未来から現在を見ると

「プロサーが人生の転換点だったな」

と思うと思います。

僕もそのために全力で前に進みたいと思います。

長くなりましたが、ここで終わりにします。

読んでくださってありがとうございました。

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